2019年5月27日~5月30日 


古代出雲歴史博物館 
出雲大社
足立美術館
松江城
小泉八雲記念館と堀川めぐり



出雲と松江の旅 1
 

卒業した仙台の高校の3年2組は、まとめる力のある人がいたおかげで、長いことクラス会が続いている。ある時から宿泊を伴うものになり、宮城、山形、岩手はもちろん、茨城、下関、熊本まで行った。関東では鎌倉や横浜や箱根やお台場や千葉の房総など。

50人ぐらいの同級生のうち、旅に参加するのは多くて15人ほどだったが、だんだん減ってきて、この時の旅はわずか6名。減ってきたのは、自分の病気や親やご主人の介護ということもあるが、本人つまり同級生が亡くなってしまったからである。年齢からいって当たり前かもしれないが、みなご主人より早く逝ってしまった。平均寿命より若い。

「少なくなっても続けようね」と話していたのに、2020年はコロナ騒動で計画を立てる気も起らない。

2019年5月27日

 10時15分(羽田)→JAL279→11時40分(出雲)

参加者6名は4名が仙台、1名が下関、1名が横浜なので、出雲までの交通手段が違う。そもそも島根旅行を決めたのは、仙台から出雲まで直行便ができたから乗りたいという仙台組の希望によるものだった。

仙台からは13時40分着の1便だけなので、午後2時半に出雲大社で待ち合わせることにした。下関と出雲は隣県とは言え山陰線は本数が少なくて使えない。だから新幹線と特急を乗り継いで、5時間近くかかったようだ。

妙なことに、実質時間がいちばん少ないのは仙台からだった。私は羽田まで時間がかかる。

左は出雲の縁結び空港。


待ち合わせ時間までに2時間あるので、前々から見たいと思っていた「古代出雲歴史博物館」へ。島根県には2度ほど来ているが、この博物館は見ていない。

 
博物館
洒落た建物

 
入口に行くまでに兎が出迎えてくれる
もちろん大黒様と兎のエピソードにちなんで

というのも出雲の荒神谷遺跡、銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が見つかって新聞を賑わしたのは1985年。その頃の私はすぐ飛んでいける身ではなかった。1998年にはこれらすべてが国宝に指定されている。

この博物館には惜しげもなく銅剣などの本物が展示されている。銅剣、銅矛、銅鐸は他の地でも見つかっているから青銅器そのものは何度も見ているが、これだけ揃うと壮観だ。


銅剣・銅矛の展示 数の多さに圧倒される

銅鐸の展示


銅剣は長さ50㎝、重さ500gとほぼ同じなので、弥生時代に同じ場所の同じ鋳型で制作されたと考えられている。青銅器が大量に発見されたからと言って、出雲が先進地域だったとは言えないらしい。というのはこの時代にすでに鉄器を使っていた地域が多く、青銅器は武器にはならないからだ。とはいえ、これらの国宝を目にして、旅の目的の半分は達したような気分になった。

入口を入るとすぐ巨大柱が置いてあった。2000年に発掘され、この柱から想像するに平安時代の出雲大社は高さが48mあった。今よりずっと高い。平安時代の大社の10分の1の模型もあった。


平安時代の出雲大社の10分の1の模型

特別展で勾玉の展示をしていた。色も作りも素晴らしかった 


 
                                                    (2020年10月2日 記)

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