アメリカの旅4 
 サンアントニオのアラモの砦

2014年525日(日)-6日目

今日は宿泊地のサンアントニオまで約500qを走る。トイレ休憩をとったオゾナという町のコンビニでは、ビールなど酒の棚はクローズになっていた。日曜日は酒を売ってはならない条例があるらしい。日曜はキリスト教の安息日にあたるからだ。日曜どころか、テキサス州では午前中に酒を売ってはいけない。意外なことにアメリカは、酒の販売に厳しくて、他のスーパーでのことだったが、午後だというのに酒の棚に縄がはってあった。店が違反をおかしたので、その罰だという。

昼食をとったカービルという町に、1ドルショップがあった。日本の100円ショップみたいなものだ。「良い品はないだろう」と思いつつのぞいてみた。意外にもカワイイグッズがあり、ボールペンと英語の絵本を買った。税は8.5%。

サンアントニオの人口は、全米7番目で140万人である。ちなみに上から順にいうと、1位はニューヨークの850万人、2位がロサンゼルスの410万人、3位がシカゴの300万人。この3都市は順位に変動はないが、4位以下は毎年入れ替わるそうだ。去年の統計では4位はヒューストンの220万人、5位はフェニックス(シリコンデザート)の150万人、6位がフィラデルフィアの145万人、7位がサンアントニオの140万人、8位がサンディエゴの135万人、9位はダラスの125万人、10位がサンノゼ(シリコンバレー)の100万人。

日本の場合は、毎年人口の順位が入れ替わることはない。アメリカはそれだけ発展する分野の移り変わりが激しいのかもしれない。それにしても、だだっ広いだけの偉大なる田舎だと思っていたテキサスのイメージはまたもや崩れる。全米ベスト10に、ヒューストン、サンアントニオ、ダラスと3都市も含まれている。

アラモの砦サンアントニオに着いて最初の見学場所は、アラモの砦(左)。18世紀初めにスペイン人が先住民のキリスト教化を狙って建てた伝道所だったが、アラモの戦いでは砦として使われた。

1836年2月23日から3月6日にかけてのアラモの戦いは、メキシコからの独立を願うアングロサクソン系のテキサス住民とメキシコとの争い。この戦いではメキシコが勝ったが、10年後の米墨戦争ではメキシコが完敗。「アラモを忘れるな」のスローガンで戦ったアメリカが、メキシコ国土の50%をもらいうけることになった。

映画アラモのポスターサンアントニオに着くまでのバスのなかで、例のごとく「アラモ」のDVDを見た。この映画は1960年の作品。ジョン・ウェインが主演、監督、制作と何役もこなしている。ジョン・ウェインが主演した1939年の「駅馬車」から20年以上経っている。左は映画「アラモ」のポスター

ジョン・ウェインが演じるのは、テネシー州の義勇兵を率いたデイビー・クロケット。テキサス軍の悲惨な状況を聞いたクロケットは、アラモの守備隊に合流することを決意する。高い士気を持っていたとはいえ、多勢に無勢。青年ボナムが救援を求めて砦を脱出したが、救援は得られずに189人は全滅。13日間の戦いは終わった。脱出するボナムを演じたのは、ジョン・ウェインの息子のパトリック・ウェイン。

実は、アメリカ旅行前の4月中旬に訪ねた愛知県の岡崎城址に、サンアントニオ市から贈られたアラモの戦いの石碑(が建っていた。岡崎出身の地理学者・志賀重昴(しげたか)氏がアラモの砦あとに石碑を建てた。そのお返しの石碑(右下の写真)だと、ガイドが説明してくれた。

「1か月後にはアラモの砦に行くはず」と思いながらも、双方の石碑の関係がイマイチ理解できなかった。


日本人が贈った石碑サンアントニオから贈られた石碑岡崎で話を聞いたばかりの石碑が、アラモの砦に本当に建っていた!(左)。字が薄くなっているので、目を凝らさないと読めない。普通ならこんな石碑を見向きもしないのだが、シャッターを何枚も押した。

日本人の志賀重昴氏が、テキサス軍の勇気に感動を受け、賞賛の言葉を送っている。ちょうど100年前の1914年の記載がある。なぜ日本人がアラモの戦いに関心を持ったのか。

アラモと岡崎以外のもう一つの地・長篠を登場させないと説明がつかない。アラモの戦いよりずっと前の1575年、武田勝頼軍15000人が、奥平氏の長篠城を取り囲んだ。奥平の城兵は落城寸前。そんなとき、足軽の鳥居強右衛門(すねえもん)が城を脱出し、徳川家康に援軍を要請。織田徳川連合軍がかけつけて落城を免れた。

つまり、双方の戦いとも多勢に無勢。援軍を求めて若者が砦や城を脱出したことに共通性がある。とはいえ、片や援軍を受けられず全滅、片や援軍を受けて落城を免れたばかりか、織田徳川連合軍勝利の前哨戦になった。

鳥居強右衛門長篠城址にも行ったことがある。資料館の入口には鳥居強右衛門の磔の絵が飾ってあった(左)。この男の決死の脱出劇がなかったら、長篠城は落城していただろう。戦国の歴史が変わったかもしれない。

岡崎のガイドに聞いたのだが、長篠から岡崎まで鳥居強右衛門が走ったであろうコースで、毎年マラソンが行われる。このように、長篠や岡崎では有名だが、全国的には鳥居なる足軽の名前など知られていない。その名前が、はるかテキサス州サンアントニオの石碑の裏に彫られている。

たまたま長篠と岡崎を訪ねたばかりだったので知っていた出来事を、アメリカ在住27年の奥村さんが詳しく説明してくれた。よく勉強していることに感心してしまった。彼は日本に帰ることはあっても長篠や岡崎までは行ってないという。「岡崎城址の龍城神社の近くにアラモの石碑があるのよ」「長篠駅の隣駅の駅名は鳥居よ」など、教えてあげた。こんなによく勉強している彼の説明は正しいに違いないと思い、いつになく書きとめた2週間の走り書きはメモ帖1冊分になった。



運河アラモの砦見学後は、市内中心部の運河沿いの道(左)を散策した。「米国のベニス」とも言われるきれいな町で、年間1000万人の観光客が訪れる。砂漠っぽい場所ばかり見てきたので、運河の水に救われた。

今日の夕食はついてない。自由に食べろということだ。私はアメリカに来てから食べ過ぎているので胃を休めたい。夫もそんな気分なので、簡単なものを仕入れてホテルで食べた。

  <サンアントニオのホリディイン泊>

5月26日(月)-7日目

サンアントニオから330qのヒューストンに向かう。トイレ休憩したシュエンバーグはクルミの一種・ピカンの産地。試食したら美味しかったので土産に数袋買った。

ヒューストンまでのバス移動の間に「2012年に日本を旅行したアメリカ人が見た日本」のアンケート結果を話してくれた。テキサス州の旅日記には場違いかもしれないが、面白かったので書くことにした。

○トイレ

ウオッシュレット・音姫・蓋の自動開閉・自動水洗などトイレのハイテク化に注目している。歌手のマドンナはウオッシュレット一式をアメリカに持ち帰ったそうだし、世界中に普及する予感もする。他にトイレに関したことでいえば、予備のトイレットペーパーが無造作に棚などに置いてあること。アメリカだったら、すぐ盗まれてしまうとか。

○電車

電車のダイヤが正確で、1分でも遅れると「お急ぎのところ申し訳ありません」のアナウンスがあることに驚いている。アメリカの列車アムトラックは、20分〜30分遅れるのが普通だとか。もっとも私たちは南部のアトランタから東部のワシントンD.C.まで乗ったときは定刻発車。でも20分も早く到着。早いからいいものでもない。要するにアテにならないんだから。

電車の中で居眠りをしている男性が多いが、あわてる風もなく目的の駅で降りていくことに感心している。頭のどこかでは目覚めているんだろう。カワイソウなお父さん!

○ご飯をたくさん食べているのに痩せている人が多い

日本人が痩せているというより、アメリカ人が肥っている。ビュッフェスタイルの昼食でアメリカ人と同席するチャンスが何度かあったが、アメリカ人の食べる事食べる事。大量の食事の後に、アイスクリームやケーキをペロリ。肥るのが、当たり前。コカコーラの本社で聞いたのだが、アメリカ人が1日に飲むコーラは、350ミリリットル缶で3億本。平均すれば1人が毎日1本飲んでいる。コーラに入っている砂糖の量を考えると、肥るのが当たり前だ。

○100均の店

100円ショップの商品の種類の多さと安さに感激している。すでに書いたようにアメリカにも1ドルショップがあった。アメリカにも安くて良い物もある。

○宗教

特定の宗教を持っている人は少ないのに、いろいろな宗教行事に参加すること。これは褒められているのか、オチョクラレテいるのか。ポリシーや思想や信仰がないのに、商業主義に踊らされている人がたくさんいるってことかもしれない。

○風呂

温度調節が自由にできる、浴槽がいっぱいになったら自動的に止まるなど、私たちは慣れっこになったこんなことに彼らは驚いている。外国のホテルでいちばん悩ましいのは、どっちに回したら湯になるのか水になるのか、シャワーの使い方が分からない事。日本のホテルのシンプルさを見習ってほしいものだと常々思ている。

共同風呂でみんなが裸なことにびっくりする。私は今でもこの習慣は好きでないですけど。

○女性がおしゃれ

特に若い子がおしゃれでセンスが良いのは感心するも、ブランドのバッグを持っているのは違和感を持っている。欧米ではブランド品も持つのはそれなりの階層の人だから。

○女性が食事代を払っている

特に家族で食事をしたときには、お母さんが払っている。日本では家計を握っているのは母親ですもの。よく観察してることにびっくり。

○チップ

チップを渡そうとすると、一度は断る。もしくは受け取らない場合が多い。外国で自由行動をする日に、いちばん気を遣うのはチップ。その点、日本はいいなあ。

○車が新車のように綺麗

たしかに、外国では錆びた車やへこんだ車も走っている。

○看板が多すぎる

たしかに日本の街中は広告が多すぎて、色もけばけばしくて品がない。

○夏なのに、建物の中でも冷房が効いてない。

2012年というと、3.11の翌年。まだ節電傾向が強かったときなので、たしかに冷房が効いてなかった。逆に私はアメリカの冷房が恐ろしい。あの人たちとは肌感覚がまったく違うから、いつも上着を持っていないと、とんでもない目にあう。

○物価が高い

バブルのころは日本の物価高が話題になったが、今でも日本の物価は高いのだろうか。有名なスーパーマーケットの「ウオルマート」で値段のチェックをしたが、コーラの纏め売りのバカ安は別として、アメリカが日本より安いとは思えなかったけれど。

                                                    (2015年8月2日 記)
感想・要望をどうぞ→
次(ジョンソン宇宙センターとニューオーリンズ)へ
アメリカの旅1へ
ホームへ