アメリカの旅6
 プレスリーのふるさとメンフィスとトウペロ

2014年5月28日(水)-9日目

今日は620qを移動してメンフィスに行く。途中、9番目の州ミシシッピ州を通った。ニックネームは「マグノリア ステート」。マグノリアは花の名前。州の名前は、ミシシッピ川と同じなので馴染みがある。ナイル川、アマゾン川、長江についで4番目に長い川。奥村さんが詳しく調べた数字では5971mだとか。

以前ニューオリンズに来た時に、兄の子ども4人、私の子ども2人、妹の子ども2人がいたので、船に乗せておけばその間は安全だという兄の考えで蒸気船でミシシッピの船旅を楽しんだ。まだナイルもアマゾンも見たことがない時だったので川幅の広さに驚いたものだ。

プレスリー銅像川の名前は有名だが、豊かさには関係ないらしく、ミシシッピ州は全米でもっとも貧しい。黒人が40%も占めていることも原因かもしれない。この州にトヨタと日産の工場があるのは、貧困層を助けるためだという。やるね。日本の企業も。

次は10番目の州テネシー州に入った。テネシー州のニックネームは、「ボランティア ステート」。ボランティアには志願兵という意味もある。そういえば、アラモの砦の犠牲者には、テネシー州出身者がたくさんいた。ジョン・ウェイン演じるデイビー・クロケットが率いたのもテネシーの志願兵だった。

テネシー州メンフィスアメリカの旅1の地図参照)は、エルビスプレスリーの街として名前だけは知っていた。今は国際宅配便のFedEx の本社があることでも有名。メンフィスの国際空港にはFedEx の飛行機が700機も常駐しているそうだ。

メンフィスのグレ−スランドに着いたのは午後2時頃。雨が降っていたが、観光に困るほどでもない。グレースランドは、エルビスのことならなんでもという牙城だ。

邸の門 豪邸 内部
 
プレスリーの邸の門
 
22歳のときに購入した豪邸
亡くなったのもここの2階
 
ステンドグラスや鏡で
囲まれた部屋


エルビスが1957年に22歳で購入した邸を公開している。他にもアメリカ各地に邸があったが、亡くなったのはこの家の2階。1977年8月16日、42歳という若さだった。心臓発作、クスリの飲み過ぎなどいろいろな説があるが、真相は謎のままだ。183cmで75sの体型が、晩年には100sを超えていた。好物がコーラ、ピーナツバターサンドイッチ、バナナ、バーベキューポーク、ピカンパイなど、肥りそうなものばかり。どう考えても健康にはよくない.

私がテレビを見始めたのは、エルビスがデビューしてからだいぶ年月が経っていた。すでに肥りはじめていたし、カッコいいとは思わなかった。歌にも惹かれなかった。だからメンフィスはどうでもよかったのだが、お仲間には「ここがいちばんの目的」と目を輝かす人がいた。

エルビスがもっとも愛したという家は、ステンドグラスや鏡で囲まれた部屋が多く、なんだか落ち着かない。「趣味悪いなあ」と思ったが、熱烈なファンを傷つけるつもりは毛頭ないので、黙っていた。エルビスが亡くなった2階に行けるのは、離婚した奥さんと昭和43年に生まれた娘のリサ・マリーだけだという。

博物館にはステージ衣装、ゴールドディスク、トロフィー、写真などが展示してある。今頃気づくのも失礼な話だが、この展示を見て、スゴイ歌手だったのだと改めて思い知らされた。今なお年間50億円の売り上げがあるそうだ。死後37年も経つのに、50億円を稼ぐ人が他にいるだろうか。

プレスリーの墓全米でいちばん訪問者が多い墓は、アーリントンのケネディの墓。2番目がここエルビスの墓(左)で、年間70万人が訪れる。メンフィスの人口68万人とほぼ同じ数だ。特に命日の8月16日は大混雑。5万人はいるというエルビスそっくりさんも集まるそうだ。

アメリカンドリームとはこういうことを言うのだろう。なんせ13歳まで過ごしていたミシシッピのトウペロでは、POOR WHITE(貧しい白人)。夜逃げ同然でここメンフィスに来た。18歳のときに、母親の誕生日に曲を贈るために、サンスタジオを訪れた。サンスタジオはレコーディングする資金のないミュージシャンのために開設されたスタジオ。

黒人のような哀愁を帯びた、しかもロック風の歌い方が反響を呼び、オーナー兼プロデユーサーが、すぐに契約を結んだ。あれよあれよという間にスターになった。母親の4代前はどちらかが先住民。周りにたくさんいた黒人の歌を聴いて育った。先住民の血などいろいろな要素がミックスして、エルビスという歌手が誕生しと言われている.

いったんホテルに戻り、オプショナルのブルースナイトディナーに行った。夕食付とはいえ、ひとり130ドルもする。エルビスの歌とも関係ないらしい。行かないつもりだったが、奥村さんが熱心に奨めるので、参加することにした。でも案の定というか、ちっとも心に残らない演奏で、うるさいだけだった。

オプションに参加して唯一よかったのは、帰りにキング牧師が暗殺された地に寄ってくれた事だ。キング牧師が暗殺されたニュースはよく覚えているが、場所は知らなかった。メンフィスを遊説中の1968年4月4日、ロレインモーテル306号室前のバルコニーで暗殺された。39歳だった。犯人は対面のビルから狙ったので、すぐ捕まった。

最期の地になったモーテルは、「国立公民権博物館」に生まれ変わっている。知っていれば、ブルースなど聴かずにここに来たかったが、事前に調べてない私が悪い。ここを手始めにキング牧師関係の地を3か所訪れた。旅行前はさして関心がなかったが、バスの中で“I have a dream”のDVDを見たことで、演説の内容と説得力に惚れ込んでしまった。   <メンフィスのコンフォートスイーツ サウザンドオークス泊>

5月29日(木)-10日目

メンフィスから170qにあるミシシッピ州のトウペロに寄った。プレスリーが生まれた町なので、小さな田舎町にもかかわらず、観光客が訪れる。

少年の頃の銅像生家はショットガンハウス(弾丸が突きぬけるほど小さい)と呼ばれるだけあり、わずか2部屋。きのうの豪邸との落差がおもしろい。彼は双子の弟としてこの小さな家で生まれたが、兄は生後すぐ亡くなった。兄にも同じような才能があったはずだから、デユオが聴けたかもしれない。

家の周囲が公園として整備され、13歳のエルビスの銅像(左)があった。誕生祝に母が買ってくれたギターを持ったおどおどした感じの少年像だ。夜逃げするほど貧しくても、息子の才能を見抜いたのか、母はギターをプレゼントしている。

借金が払えなくて家を手放し無一文で向かったメンフィスで、思ってもみなかった幸運が待っていた。最盛期には、1日に1億円の収入があったとか。なんて親孝行の息子!

おなじみになった道中の映画は「グレンミラー物語」。ジューンアリソンとジェームススチュアート主演のこの映画は、何度も何度も見たが、また見入ってしまった。

昼食は11番目のアラバマ州のバーミンガムでとった。アラバマのニックネームは「イエローハマー ステート」。イエローハマーは鳥。アジアンビュッフェなので、寿司やベトナム、タイ料理などもあった。寿司は日本のと比べてはいけない。まったく別物の料理と思えば美味しい。残念ながらアラバマ州は昼食だけだったので、州の特徴は思い出せない。    (2015年9月3日 記)


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