アメリカの旅7
 アトランタとアムトラック


2014年5月29日(木)-10日目

いよいよ12番目のジョージア州アトランタアメリカの旅1の地図参照)に入った。いよいよと言うのは、そもそもこの旅に参加したきっかけは、前年にアイルランドに行ったからだ。アイルランドでタラを訪れたことから「風と共に去りぬ」を思い出し、「そうだ!アトランタに行こう」となった。でもどうせ行くならアトランタ以外にも見たいとなり、大陸横断と東部という欲張ったものになった。

でも具体的に日程表が届いてみると、てんこ盛りのような旅で、アトランタに滞在するのは半日もない。宿泊もしない。「風と共に去りぬ」ゆかりの地には寄るのだろうと考えていたら、どこにもそんな文字はない。ダメ元で添乗員と奥村さんに「ちょっとでいいから、マーガレットミッチェルの家にも寄って」と頼んでおいた。

ジョージア州の名は、イギリスのジョージ2世からとった。州のニックネームは「ピーチステート」。桃の栽培が盛んらしいが、わずかの滞在では桃の木を見ることはなかった。

まず訪れたのはキング牧師国立公園歴史地区。キング牧師は、アトランタで生まれた。育った一画が国の史跡になっている。キング牧師の生家が非常に立派なことに驚いた。1895年建築のクイーン・アン調の家。牧師だった祖父が購入したもので、1929年にこの家で生まれた。

黒人で公民権運動家で牧師というと、貧しい暮らしを想像してしまうが、とんでもない。メンフィスの暗殺現場には、彼が直前まで乗っていた白くて大きな「リンカーン車」が保存してあった。このときも違和感をおぼえたが、貧しい黒人という思い込みは間違っていたようだ。

キング牧師の生家 ビジターセンター キング牧師と奥さんの墓
 
キング牧師の生家
クイーン・アン調の家
 
ビジターセンターには
写真やメダルが飾ってある

 
キング牧師と夫人の墓石が
並んでいる


ビジターセンターの近くに、インドのガンジー像があった。キング牧師はガンジーの「非暴力主義」に傾倒していたからだ。センターには、1964年に35歳の若さでもらったノーベル賞のメダルや遺品や“I have a dream”の演説の写真などが展示してあった。

2006年に亡くなった夫人の墓石と彼の墓石が並んでいた。「キング牧師が亡くなった時、小さなお子さんが4人いましたね。今はどうしていますか」と聞いたところ、確かめてくれた。「長女は亡くなりました。長男はアトランタで福祉関係のビジネスマンをしています。次男はカリフォルニアでやはり慈善団体のビジネスマン。次女はアトランタに住んでいるそうです」。キング牧師の息子にふさわしい仕事をしている。

コカコーラミュージアムとオリンピック公園とCNNの本社が一か所に固まっているところで自由時間になった。コカコーラの本社はアトランタにある。アメリカは大会社の本社があちこちに分散している。日本のように東京一極集中でない点がいい。コカコーラミュージアムはアトラクションや世界各国のコーラの試飲があり楽しいらしいが、時間はない。敷地の散策とショップだけで我慢した。ツアーの仲間が「コーラの味がする口紅が珍しいのよ」と教えてくれたので、なるほどと思い10本も買った。

コーラの発明者は、薬剤師のジョン・ペンバートンである。二日酔いのクスリを開発中に、水で割るものを間違って炭酸で割ってしまった。それが非常に美味しかった。コーラの発明はこうした偶然から生まれた。1886年のことだ。今では世界中で1秒間に17400本も飲まれている驚異の飲料。

コーラの発明者 コカコーラの売店 オリンピック公園
 
コーラの発明者の
ジョン・ベンハートンの像
 
売店では楽しいグッズを
売っている

オリンピック公園とクーベルタン男爵
背後に見えるのはCNN本社


コカコーラミュージアムの隣にあるオリンピック公園は、1996年開催のアトランタオリンピックを記念して作られた。ちなみにアメリカでは、1904年のセントルイス、1932年と1984年のロサンゼルス、1996年のアトランタと夏季オリンピックを4回開催している。

公園内に掲げてあるいろいろな国旗の中に、日の丸もある。オリンピック開催国の旗を集めたのだろうと思ったが、そうでないのも混じっていてわけわからない。五輪マークをかたどった噴水で子ども達が水着姿で遊んでいた。なぜか黒人の子ばかり。いまだに住み分けがあるのかなと、少し気になった。

CNNの本社は公園の向かい側にある。CNNは、Cable News Networkの略で、ニュースだけを一日中繰り返し流しているユニークな放送局。今や世界中の国で視聴できるはずだ。予約すれば見学できるとガイドブックには書いてあるが、ツアーでは無理だ。

アムトラックの発車は20時4分。万一乗り遅れたら大変なので、添乗員もガイドもピリピリしている。でもここまで順調にきたので少し余裕ができたらしい。予定外のマーガレット・ミッチェル・ハウス記念館に寄ってくれた。寄ったといっても記念館の外観をながめるだけだ。アメリカ旅行のきっかけが、「風と共に去りぬ」だったので、わずかでも寄れただけでも良しとせねばならない。この場所に建っていたアパートの一室で、ミッチェルは「風と共に去りぬ」をタイプライターで執筆した。出版は1936年。たちまちベストセラーになり、映画化されるまで3年しか経っていない。

今ある記念館は、ミッチェルが住んでいた建物ではない。彼女ら夫婦が住んでいたアパートは荒れ果てていた。オリンピックにあわせて記念館をオープンする予定だったが、オリンピック直前に放火されてしまった。放火犯人はアフリカ系黒人。この小説では奴隷が美化され過ぎているということで、彼らには許せない内容なのだ。記念館に反対したくなる気持ちは痛いほど分かる。それだけ差別がまだ残っているからに他ならない。いくら法律が出来ても、心の中までは変えられない。放火にもめげず開館にこぎつけたのは1997年。

若い頃にいちばん好きだった小説。小説のクライマックスのひとつが、北軍に放火された中、主人公のスカーレットがタラに脱出する場面だ。アトランタが南北戦争で甚大な被害をうけたのは史実なので、当時の建物はほとんどないが、ところどころに煉瓦作りのビルが残っている。オリンピックを契機に高層ビルができ、今では南部の中心都市である。

煉瓦造りのビル 映画のスタッフに囲まれたミッチェル アトランタ駅
 
南北戦争で戦火にあったアトランタ
では珍しい古い煉瓦造り

 
映画「風と共に去りぬ」の
スタッフに囲まれたミッチェル
 
アトランタの鉄道駅
とても小さい駅


アトランタの鉄道の駅は、まるで田舎の無人駅のように小さい。移動手段の中での鉄道の地位の低さが分かる。LAの空港からアトランタまでひとりで大型バスを運転してくれたカルロスさんとは、アタランタの駅前でお別れ。ここまで5600qを10日かかったが、彼は最短距離をとり、2泊3日でLAに戻るそうだ。

アムトラックのクレセント号は、ニューオリンズとニューヨーク間1377マイルを結んでいる。アメリカ東部だけを回るツアーでは、「あこがれのアムトラックに乗車」が、謳い文句だが、乗車区間はワシントンDCとニューヨーク間など短い。

私達は、アトランタからワシントンDCまで634マイル(約1014q)、14時間も乗る。若いころならともかく、今は14時間も続けて列車に乗る事がない。寝台車でもないのに眠れるだろうかと心配したが、思っていたより乗り心地がよく椅子がずいぶん傾いた。冷房がきついと聞いていたのでたくさん着こみ、ホッカイロも身につけた。おかげで寒さも気にならず14時間を乗り切った。       <車中泊>    (2015年9月16日 記)


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