オーストリアの旅 2
2011年6月21日(火)-3日目
きのうのアイゼンシュタットも今日のグラーツのガイドも、日本語が話せない。日本人がほとんど訪れない所なので無理もない。カリフォルニアの知事だったシュワルツネッカーは、生粋のアメリカ人ではなく、グラーツ近郊の村出身だ。その村にシュワルツネッカー博物館ができたが、醜聞騒ぎで開館が遅れているという。博物館目当ての観光客を期待しているグラーツは、やきもきしているらしい。
まずケーブルカーでシュロスベルク(城山)に向かった。オスマントルコの襲撃にそなえた城塞があったが、ナポレオンに攻められて廃墟になった。今は市民公園になっている。
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城山の時計塔。長針と短針が普通の時計とは反対で9時半を指している。
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眼下にあるムーア川の浮島には、ガラス屋根のレストランがある。
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超モダンな展示場クンストハウスの屋根が見える。
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当時のもので残っているのは鐘楼と時計塔だけだが、城山から見る中性の街並みは素晴らしい。ヨーロッパの旧市街のほとんどがそうであるように、屋根が錆色に統一されている。そうかと思うと、展示場として2003年に作られた超近代的なクンストハウスが見える。中に入ってみたかったが、お仕着せツアーではかなわぬ希望だ。
帰りは歩きながら旧市街へ。宮廷御用達のパン屋では、「シシー(エリザベート)のキス」というクッキーを売っていた。ふつうのクッキーでも「シシー」をつけると売れるらしい。
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シシーのキスというクッキーを
売っている宮廷御用達のパン屋。
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遠足の子供たちには、旅行中
何度も会った。
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クロッケンシェピール広場にある
仕掛け時計。
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ヨハン大公の銅像があるハウプト広場、フレスコ画が壁一面に描かれたゲマーテルハウス、州庁舎などを見ながらグロッケンシェピール広場へ。11時からの仕掛け時計を見るためにたくさんの人が待っていた。仕掛け時計の時間にあわせるために、ほかの観光が組まれていると言っていい。最初に仕掛け時計を見たのは、ドイツのローテンブルクで、何が何でも見なきゃと思っていた頃の情熱が、われながらなつかしい。
小中学生も見物していた。6月末というこの時期は、長い夏休みに入る前の遠足に充てられているそうだ。今日もたくさんの子供たちと付添いの先生に出会った。
昼食後に2時間バスに乗ってクラーゲンフルトに着いた。ここも州都だが人口は9万人の小さい町だ。小さいとはいえ13世紀には都市の権利を持っていた歴史がある。旧市街の城壁は道路になっているが、ここが城壁の中にあったのだなという雰囲気は残っている。左はバックミラーに映った旧市街。
ガイドがいないので、添乗員のSさんと散策。広場・教会・州庁舎などを見学。今回の旅、オーストリア一周では、こうした小さな州都のほとんどを見学しているが、同じようなものだから省いてもいいような気がする。
また2時間ほどバスに乗り、ハイリゲンブルート(オーストリアの旅1の地図参照)に到着。オーストリアでいちばん高い山グロースグロックナーのふもとにある小さな村で、標高が1300メートルもあるので、涼しい。山と教会が見える絶景のスポットまで行ってみた。頂は少し雲に隠れていたが、絵葉書写真の撮影ができた。
<ハイリゲンブルートのランドホテルポスト泊>
6月22日(水)-4日目
きのうの夕方よりもくっきりとグロースグロックナー(3797メートル)が輝いていた(左)。前に訪れたツアーのお仲間は「前はまったく見えなかったのよ」と言っていたからラッキーだ。
まず1491年建立の聖ヴィンセント教会に行った。キリストの聖血を持って旅をしていたビザンチン帝国の官吏が寒さのためにここで行き倒れ。この人物と聖血のために教会が作られたという。それ以来ここは巡礼地のひとつ。
なぜ1000年以上前の血が残っているの!などの野暮な詮索は置いておく。
グロースグロックナー山岳道路を通り、フランツ・ヨーゼフ・エーヘ展望台へ。この道路は、標高2000から2500メートルを通るスカイライン。日本でもこうしたスカイラインは珍しくもないが、1935年に作ったことが日本とは違うところだ。
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聖ヴィンセント教会と
グロースグロックナー山。
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フランツ・ヨーゼフ・エーへ展望台
には日本でもおなじみの
写真用の型がある。
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氷河は薄汚れているし、年々
融けているので迫力がない。
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フランツ・ヨーゼフは、ハプスブルク最後の皇帝。皇后エリザベトと一緒にここを訪れたので展望台の名になっている。標高は2396メートルだが、天気が良いせいか寒くはない。グロースグロックナーはじめ山々が連なっていた。眼下の氷河は、薄汚れているうえに、年々融けているので迫力がないのが残念だ。
嬉しかったのは、野生の山羊アイベックスやかわいいリス科のマーモットや本物のエーデルワイスを見たことだ。栽培花では有難味が減るが、大地に根付いているエーデルワイスは健気だ。
パノラマレストランで昼食後、山岳道路を通り、ツエル・アム・ゼーに着いた。アム・ゼーというのは湖畔のという意味。「湖畔の町ツエル」ということだ。
名前どおりツエル湖を中心としたリゾート地で、たくさんの観光客がいた。カタールから来た女の子たち(左)に「フィリピン人か」と聞かれた。フィリピン人と間違われたのは初めてだが、それがきっかけで「カタールに行ったことあるよ」など、少しおしゃべり。オーストリアにはアラブ系の人たちが移住している話は聞いていたが、彼女らはカタールから遊びに来ている。
<ツエル・アム・ゼーのホテルラティーナ泊>
(2012年8月16日 記)
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