オーストリアの旅4
  チロルの村からザルツブルクへ

2011年6月24日(金)-6日目

 チロル地方めぐりの続きを書いている。ハル・イン・チロルを後にして、アルプバッハに行った。2500人ほどの小さな村だが、「オーストリアでいちばん美しい村」「ヨーロッパでいちばん美しい村」のコンクールで1番になったことがある。


どこを見ても美しい
アルプバッハの村 
 
牧草地のそばを歩く
チロル娘
 
暖房用の木を切っている


  アルプバッハはアルプスの小川の意味で、文字通りイン川の支流に沿った村だ。どの家のバルコニーも花で溢れている。でも、花と家だけがきれいでも意味がない。牧草地・道路・レストラン・土産物屋のどれもが美しくなければならない。

 冬の暖房のための木材でさえ、芸術的にきれいに重なっている。村人のだれもが美意識を持たねばできないことで、日本の村でこれをやるのは簡単ではないだろうと思った。

 次に立ち寄ったのはラッテンブルク。かつては銀が採れる町として栄えたが、銀が採れなくなった今は、ガラス細工で有名だ。

 昼食後にフリータイム。町全体が垢抜けしている(左)ので、ウインドショッピングしながら、ブラブラするだけでも楽しかった。

 名だたる観光地・ザルツブルクに着いた。ホテルで休憩後、高台にある夕食のレストランへ。16世紀創業の老舗を売りにしているが、ぎゅうぎゅう詰め込まれたので居心地は良くないし、肝心の味もいただけない。ハイシーズンの旅には、どうしてもこんな不都合がある。

                                    <ザルツブルクのメルキュールホテル泊>

6月25日(土)−7日目

今日は丸一日、ザルツブルク(オーストリアの旅1の地図参照)に滞在する。午前中は日本人ガイドのオヤマさんと一緒に市内見物。ザルツブルクは、人口15万人のオーストリア4番目の市だが、モーツルトの生誕地、映画「サウンドオブミュージック」の舞台として、ウイーンについで人気がある。特に夏の音楽祭のシーズンは大混雑するらしい。

第二次世界大戦で敗戦国になったオーストリアは、いっとき連合国に支配された。ここザルツブルクにはアメリカ軍が駐留していたそうだ。ちなみに、インスブルックはフランスの、グラーツはイギリスの、北東部はロシアの統治下にあった。首都ウイーンは4か国に統治されていた。

まずミラベル庭園と宮殿に行った。映画の中で、ドレミの歌を歌いながら子どもたちとマリアが遊ぶシーンのロケに使われたので、初めてのような気がしない。

 
かつてのミラベル宮殿は
今は市庁舎
 
噴水と花壇がきれいな
ミラベル庭園

サウンドオブミュージックの
中でドレミの歌を歌った階段


 17世紀、大司教ディートリッヒが愛人のために宮殿を建てたことに始まる。愛人との間に15人の子供がいたそうだ。カトリックの大司教は妻帯が許されないはず。「愛人は許されるのかしら」とガイドに聞いてみようかと思ったが、バカらしくなりやめた。ディートリッヒ失脚後も、代々大司教の離宮になったが、今は市庁舎になっている。

ミラベル庭園の次は、三位一体教会やモーツアルトが2番目に住んだ家を遠目に見ながら、カラヤンの生家前に出た。中には入らなかったが、庭に銅像(左)があったので撮ってきた。

橋を渡ると旧市街だ。ゲテライテガッセという旧市街の繁華街に、モーツルトの生家がある。

 モーツルトは2人の子供がいたが、残念なことに子孫はいない。天才の血が絶えたのは残念な気がするが、モーツルト自身は早世したにもかかわらず、今もしっかりとオーストリア、特にザルツブルクに根をおろしている。

 
モーツァルトの生家
内部は撮影できない

モーツァルトが後に
住んだ家 
 
旧市街には日本料理屋もある
NAGANOはオリンピックの開催地

だったので覚えてもらえる

皮肉なことに、モーツアルトはここを支配していた司教と気が合わず、ザルツブルクが好きではなかったらしい。でも今のザルツブルクにとって、モーツァルトはなくてはならない人だ。アイゼンシュタットがハイドンさまさまの比ではない。モーツアルトだけで観光の半分以上を稼いでいるような気がする。  (2012年9月16日 記)

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