オーストリアの旅7 2011年6月28日(火)−10日目 バート・イシュルのホテルを8時に出たバスは、途中で2回の休憩をとりメルク修道院に着いた。高さ60メートルの岩山の上に建つベネディクト派の修道院で、今でも1000人近い生徒が学んでいる。創建は11世紀末だが、18世紀に再建された。
昼食のあとは、ドナウ川下り(オーストリアの旅1の地図参照)。ドナウ川の源流は、ドイツの黒い森である。8か国を通り最後は黒海にそそいでいる。全長2826kmの8分の1、360kmがオーストリーを通る。その中でも、メルクとクレウムスの間35キロメートルはヴァッハウ渓谷と呼ばれ、ブドウ畑や古城が点在する。ドナウ川は何度か見ているが、クルーズでゆっくり楽しむのは初めてだ。
今日はこの旅でいちばん暑い。景色を見たいので甲板に出ていたが、だんだん日が差し込んできたので、少しの日陰を確保した。でも現地のお年寄りは、乗船時間の1時間半、帽子もかぶらずに直射日光を浴びていた。足腰が不自由そうなお年寄りだったので「椅子をひっこめましょうか」と言ったところ、太陽を指さしながらなにごとかつぶやいた。「お日様にあたっていたいのよ」と言ったに違いない。 クレムスを出て1時間ほどでウイーンのホテルに到着。どんな旅でもそうだが、地方を回って大都会に入る時には嬉しくなる。田舎が嫌いではないが、首都に入ると心が高揚してくる。中心部の環状道路に面しているラディソンホテル(左)は、貴族の館をホテルに改装したというだけあり、格式の高さをうかがえる。 ホテル前の環状道路を見ているだけで退屈しない。以前の城壁を取り払って、環状道路を作り都市改造に着手したのは、皇帝フランツ・ヨーゼフである。 夕食はウイーンの森にあるグリンツイン村のホイリゲに行った。ホイリゲは、自家製のワインを飲ませる店のこと。ぶどうの木の下の木製テーブルでの食事は雰囲気満点だったが、嫌なことがひとつあった。 一緒のテーブルの人とおしゃべりに興じていたら、バイオリンとアコーディオン弾きがやってきた。私はこういう演奏が苦手だ。素直に音楽を楽しめない。彼らがチップ目当てに弾いていることが分かるからだ。このときも、特に男性の目の前、耳の元でギコギコやっている。その時のチップではまだ足りないと思ったのか、第2弾として各テーブルに、ザルをまわしてきた。 6月29日(水)−11日目 北海道とほぼ同じ広さのオーストリアだけを13日間で回るので、ウイーン滞在は十分あるものと決め込んでいた。ところが、ウイーンは2泊しかないことに旅に出てから気づいた。自由に使える日は今日しかない。少しでも自分の足でウイーンを歩きたい。バス出発9時までの時間をフルに利用した。 まず、ホテルの前にある市立公園で、ヨハンシュトラウス像を探した。ヨハンシュトラウスという名前の作曲家はふたりいるが、一人は父で一人は息子。父はラデツキー行進曲、息子は美しく青きドナウで有名だ。この像は息子の方だが、なぜか金ぴかだ。お色直しをしたときに金色にしたらしい。最初はウイーン子に不評だったが、今ではこの公園になじんでいる。今は台座を修理しているとか、像だけが別個に置いてあった。他にシューベルト像、ブルックナー像など、さすが音楽の都。 市民公園からシュテファン寺院まで足を延ばした。あとで見学する予定になっているが、ウイーンのシンボルなのでまずは見ておきたい。すでに教会は開いていて朝のミサをしていた。カトリックは、誰にもウェルカムだと聞いたことがあるが、ミサに参加するには信心がなさすぎるし、時間もない。
ウイーンの半日観光のガイドは、日本人のritukoさん。ホテルからシェーンブルン宮殿までの車窓もウイーン初めての私には珍しい。楽友協会、カールス教会、コンツエルトハウス、ゼツエツシオンなど重厚なビルを横目に、簡単な説明を聞いた。 ナッシュマルクトという市場、もウイーン子の素顔を知るにはのぞいてみたい一つだったが、車窓からちらと見ただけで終わった。 (22012年11月2日 記)
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