オーストリアの旅7
 ドナウ川下りからウイーンへ

2011年6月28日(火)−10日目

 バート・イシュルのホテルを8時に出たバスは、途中で2回の休憩をとりメルク修道院に着いた。高さ60メートルの岩山の上に建つベネディクト派の修道院で、今でも1000人近い生徒が学んでいる。創建は11世紀末だが、18世紀に再建された。

メルク修道院 大理石の間 図書館
 
宮殿のようなメルク修道院

修道院なのに大理石の間がある 
 
10万冊の蔵書がある図書館


 王侯貴族がたびたび滞在したこともあり、修道院というより宮殿みたいだ。部屋も500ある。専属ガイドの案内で館内を見て回ったが、聖杯・聖体の箱、ミサ用のマント、木棺、祭壇画、大理石の間などいずれも豪華。なかでも10万冊の蔵書と2000点の写本を持つ図書館は圧巻だ。

 昼食のあとは、ドナウ川下りオーストリアの旅1の地図参照)。ドナウ川の源流は、ドイツの黒い森である。8か国を通り最後は黒海にそそいでいる。全長2826kmの8分の1、360kmがオーストリーを通る。その中でも、メルクとクレウムスの間35キロメートルはヴァッハウ渓谷と呼ばれ、ブドウ畑や古城が点在する。ドナウ川は何度か見ているが、クルーズでゆっくり楽しむのは初めてだ。


ドナウ下りの船 城が点在している ぶどう畑
 
ドナウ川クルーズはこの船で
 
こうした館や城が点在する
 
段々になっているぶどう畑

 今日はこの旅でいちばん暑い。景色を見たいので甲板に出ていたが、だんだん日が差し込んできたので、少しの日陰を確保した。でも現地のお年寄りは、乗船時間の1時間半、帽子もかぶらずに直射日光を浴びていた。足腰が不自由そうなお年寄りだったので「椅子をひっこめましょうか」と言ったところ、太陽を指さしながらなにごとかつぶやいた。「お日様にあたっていたいのよ」と言ったに違いない。

 日本の年寄には「熱中症になるから、なるべく戸外に出るな。帽子をかぶれ、水を飲め」と勧告しているが、西洋のお年寄りとのこの差はなんなのだ。白人は太陽に強いとでもいうのだろうか。

 クレムスを出て1時間ほどでウイーンのホテルに到着。どんな旅でもそうだが、地方を回って大都会に入る時には嬉しくなる。田舎が嫌いではないが、首都に入ると心が高揚してくる。中心部の環状道路に面しているラディソンホテル(左)は、貴族の館をホテルに改装したというだけあり、格式の高さをうかがえる。

 ホテル前の環状道路を見ているだけで退屈しない。以前の城壁を取り払って、環状道路を作り都市改造に着手したのは、皇帝フランツ・ヨーゼフである。


 
 

 リンクと呼ばれる環状道路沿いには、市電も自動車も自転車も走っている。もちろん人間も歩いている。おのおのが専用のレーンを使っているので危ないことはない(左)。東京では、車の洪水に飲み込まれそうになっている自転車を見かける。オーストリーの首都は、歩行者や自転車がこんなにも大事されている。人口が少ないからだけではないだろう。基本的に人に優しい。

夕食はウイーンの森にあるグリンツイン村のホイリゲに行った。ホイリゲは、自家製のワインを飲ませる店のこと。ぶどうの木の下の木製テーブルでの食事は雰囲気満点だったが、嫌なことがひとつあった。

一緒のテーブルの人とおしゃべりに興じていたら、バイオリンとアコーディオン弾きがやってきた。私はこういう演奏が苦手だ。素直に音楽を楽しめない。彼らがチップ目当てに弾いていることが分かるからだ。このときも、特に男性の目の前、耳の元でギコギコやっている。その時のチップではまだ足りないと思ったのか、第2弾として各テーブルに、ザルをまわしてきた。   
                                  <ウイーンのラディソンホテル泊>

6月29日(水)−11日目

 北海道とほぼ同じ広さのオーストリアだけを13日間で回るので、ウイーン滞在は十分あるものと決め込んでいた。ところが、ウイーンは2泊しかないことに旅に出てから気づいた。自由に使える日は今日しかない。少しでも自分の足でウイーンを歩きたい。バス出発9時までの時間をフルに利用した。

まず、ホテルの前にある市立公園で、ヨハンシュトラウス像を探した。ヨハンシュトラウスという名前の作曲家はふたりいるが、一人は父で一人は息子。父はラデツキー行進曲、息子は美しく青きドナウで有名だ。この像は息子の方だが、なぜか金ぴかだ。お色直しをしたときに金色にしたらしい。最初はウイーン子に不評だったが、今ではこの公園になじんでいる。今は台座を修理しているとか、像だけが別個に置いてあった。他にシューベルト像、ブルックナー像など、さすが音楽の都。

市民公園からシュテファン寺院まで足を延ばした。あとで見学する予定になっているが、ウイーンのシンボルなのでまずは見ておきたい。すでに教会は開いていて朝のミサをしていた。カトリックは、誰にもウェルカムだと聞いたことがあるが、ミサに参加するには信心がなさすぎるし、時間もない。

ヨハンシュトラウス像   カフェ  ビルに映るシュテファン寺院
 
台座を修理中だった
ヨハンシュトラウス像
 
朝のカフェで新聞を読む紳士
 
目の前のビルに映るシュテファン寺院

ウイーンの半日観光のガイドは、日本人のritukoさん。ホテルからシェーンブルン宮殿までの車窓もウイーン初めての私には珍しい。楽友協会、カールス教会、コンツエルトハウス、ゼツエツシオンなど重厚なビルを横目に、簡単な説明を聞いた。

 ゼツエツシオン(分離派)の拠点となった建物は、白い直方体のビルに黄金色のドームが乗っている。1897年、古い芸術に反旗を翻した芸術家たちが、分離派を結成。その活動の拠点のために建てた。クリムトの壁画があるので、行ってみたかったが時間がとれなかった。

ナッシュマルクトという市場、もウイーン子の素顔を知るにはのぞいてみたい一つだったが、車窓からちらと見ただけで終わった。  (22012年11月2日 記)

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