オーストリアの旅8
 ウイーン その1

2011年6月29日(水)-11日目

 ウイーン市内観光の続きを書いている。シェーンブルン宮殿は、ハプスブルク家の夏の離宮だった。フランスのベルサイユをしのぐ宮殿を作ろうと、1696年に工事が始まった。工事はマリアテレジアの時代まで続き、完成時には1441室にもなっていた。イエローの外観(下の写真)はバロック様式、内部はロココ様式。

シェーブルン宮殿
 

 控えの間、大広間(幅10m長さ40mで鏡効果で広く見せている。数々の歴史的な会議が開かれた)、磁器の間(マリアテレジアの書斎)、ナポレオンの部屋(ナポレオンが征服した時に使った)、100万の間(インドの細密画が壁にはめこんである。この部屋の工事費だけで当時の通過で100万グルテン)、ゴブランのサロン(ゴブラン織りのタペストリーや椅子)、寝室(マリアテレジアが使ったベッド)などなど。これを見るだけで、ハプスブルク家の隆盛がわかる。

庭園

40分のフリータイムで庭園(上)をまわった。ネプチューンの泉の高台から噴水越しに見る黄色い宮殿は計算されつくした美しさだ。

シュテファン寺院次の観光地シュテファン寺院までは、また車窓観光。オペラ座、王宮庭園のモーツアルト像、美術史美術館、自然史博物館、国会議事堂、市民公園、ブルク劇場、市庁舎、ウイーン大学、日本大使館、ドナウ運河、ラデツキー将軍の像。リンクに沿って建っているこのビルを見るために歩いてみたかったが、車窓からで我慢するしかない。

シュテファン寺院(左)で下車。1147年にロマネスク様式の小さな教会が作られた。その後1304年、ハプスブルク家によってゴシック様式に建て替えられた。身廊は107m、高さ39m。

 地下にはカタコンベがある。ハプスブルク家には、心臓はアウグスティーナ教会、ほかの内臓はシュテファン寺院、遺骨はカプツイーナ納骨堂に葬るという決まりがあった。ここのカタコンベに葬られているのは、内臓だけということになる。内蔵だけのカタコンベなど初めて聞いた。


 12時15分からフリータイム。まだお腹はすいてないので、まず美術史美術館に行った。


マリアテレジア像
 美術館に入る前に、自然史博物館との間にあるマリアテレジア像(左)を見上げた。家来を引き連れての堂々とした銅像である。

 これと似た銅像は、サンクトペテルブルクのエカテリーナ像だ。やはりたくさんの家来を従えていて堂々としていた。私が今まで見た銅像の中では、このふたつが双璧だ。

美術史美術館は、パリのルーブル、マドリッドのプラドと並ぶヨーロッパの3大美術館だという。外観も立派だが、ロビーから見る円天井や壁など豪華宮殿ごとき内装だ。

ハプスブルク家のコレクションだけに、作品はたくさんある。これだけは見よう!というお勧め10点だけは見過ごさないようにと、恥も外聞もなく、係員に展示場所を聞きまくった。デユーラーの「ヴェネチアの若い婦人」は、その中でも目玉。美術館入口や、オーストリアでよく見る円柱形の広告塔にも、この絵のポスターが貼ってあった。

モーツァルト像駆け足鑑賞を少し恥ずかしく思いながら、次は王立庭園にあるモーツアルト像を見に行った。像の手前芝生の赤いベゴニアが、ト音記号の模様になっている(左)。他の季節は、何の花で飾るのだろうか?

 ザルツブルクやザンクトギルゲンでのモーツァルトの人気ぶりは、銅像めぐりで書いているが、音楽の都ウイーンでの彼の人気も突出しているように思う。王立庭園という一等地に立っているのだから。

モーツアルト像から遠くない道路沿いにゲーテ像がある。ゲーテはドイツの作家だと思うが、なぜここに立派な像があるのかわからない。GOETHEの綴りをみて、「ギオエテは俺のことかとゲーテ言い」を思い出した。



 アウグスティーナ教会 通り道にあるアウグスティーナ教会(左)に寄った。教会は面白くないと文句を言っているくせに、ここは行ってみたかった。目的があると、たとえ同じように見えても、興味がでてくるものだ。

 フランツ・ヨーゼフとエリザベートの結婚式もここ。フランスのルイ16世に嫁いだマリーアントワネットと、やはりフランスのナポレオンに嫁いだマリー・ルイーズは、婿がいないままここで式をあげた。これは、ハプスブルク家のしきたりだという。

 ハプスブルク家の人々の心臓はここに埋葬されているが、場所は聞きそびれた。おそらく地下にあるのだろう。

 3時半から、オペラ座の日本語によるツアー(左下)が始まる。日本人は20名以上いたような気がする。「今日がはじめてのガイドです」という日本語はおぼつかないが、感じの良いオーストリア人が説明役だ。

 オペラ座の初演は1869年。モーツアルトの「ドンジョバンニ」で幕を開けた。第2次世界大戦で一部を残し焼けてしまったので1955年に再建、そのときの初演はベートーベンの「フィデリオ」だった。

 オペラ座内部 小澤征爾さんは、2002年に音楽監督に就任した。音楽の都ウイーンで、しかもウイーンで最高のオペラ座の監督に、東洋人が登用された。ウイーンの人も驚いたに違いない。オーストリア人による日本語ツアーがあるのも、彼の影響だろう。

オペラ座専用の倉庫は別な場所にあり、70作品の舞台セットを保管している。舞台では、トラックで運び込まれた道具をセットしているところだった。(左下)

毎晩、別な演目を上演しているので、裏方だけでも300人いる。そんなこともあって、オペラ座はいつも満員にもかかわらず、赤字だという。赤字を補うために、政府とスポンサーが出資している。2000年からのスポンサーはトヨタ。

 オペラ座の舞台裏「魔笛」をモチーフにしたゴブラン織りのタペストリーがかけてある部屋に来た。王子らしい男性が織り込んであったので「これはタミーノ?」と聞いたら「そうそう!」とガイドが嬉しそうに頷いた。調子に乗って「これはパミーナ?」と聞いたら「それはパパゲーノ、パミーナはこっち」と言われた。

 4日前にザルツブルクで見た「魔笛」の登場人物に、こんな形で会えてうれしかった。

                     (2012年11月16日 記)