ブータンの旅4 
英語教育

 いちばん驚いたのは、英語教育が徹底していることだった。「インド人は英語が得意」と思っている日本人は多い。でも現地に行ってみると、英語が話せるインド人はごく少数だ。ところが、ブータンでは、32歳のガイドはもちろん、42歳のドライバーも英語が話せる。開国後に育った世代は、バイリンガルなのだ。

 校庭 ガイドは「インドに留学していた時も、英語で苦労はしなかった」と話していた。日本語が出来ないドライバーと私たちとのコミュニケーションは、英語。

登校途中の小中学生と何回も話すチャンスがあった。学校は8時半に始まるが、7時ころには学校の近くまで来ている。時間に余裕があるので呼び止めて話しかけても、嬉しそうに答えてくれる。英語が通じるので会話が進む。教科書も何度か見せてもらった。

 学校まで一緒に行って、始業前の校庭を撮らせてもらったこともある。今の日本の小学生は、始業前に校庭で遊ぶのだろうか。(左)




理科 算数 社会
 
小学生の理科の
教科書

 
小学生の算数の
教科書

 
社会の教科書
ブータンの地図

英語 中学生 ゾンカ語
 
中学生の英語の
教科書

 
長文をスラスラ
読んでくれた中学生

 
道徳の教科書は
ゾンカ語

 教科書は、数学も理科も社会も英語。ただし、ブータンの歴史と国語だけはゾンカ語だそうだ。単に「英語」の教科があるだけでなく、数学や理科の授業も英語で行われる。日本の英語教育については「日本語の基礎もない状態で英語を教えでも仕方ない」という反論が必ず出てくる。やっと導入された小学校の英語教育も、週に1回という中途半端なものだ。

 7歳の子の英語の教科書は片面に絵があったが、15歳の教科書は、びっしり字がつまっている。念のために読んでもらったのだが、すらすらときれいな発音だった。英語教育を取入れた頃は、インド人の教師を招いていたが、今はブータン人が教師だ。

 英語が出来たからとてどうなんだ!と言われればそれまでだが、なぜ日本ではこれが出来ないのかと不思議に思う。

 ほぼ鎖国状態だったのに、開国するやいなや英語の重要性を感じて英語教育を取り入れたのは、4代目国王だ。賢王が治める国の模範を、示してもらったような気がする。

祭りあれこれ

ブータンでは、いろいろな地方でツエチュ祭や他の祭りが開かれている。いちばん有名なのは、空港のあるパロで3月に開かれるパロ・ツエチュ祭。このときは、ツアーがすぐ一杯になるらしい。

グル・リンポチェは、チベット仏教をヒマラヤ一帯に広め、第2のブッダと言われる。彼を祝う祭りをツエチュという。彼の生涯には12の重要な出来事があったので、各月の10日に、グル・リンポチェの生涯を祝うことになっている。

参加したツアーは2つの祭りを見物することになっていた。ひとつは、ブムタン地方のジャカールブータンの旅1の地図参照)のツエチュ祭。ジャカールに行くには、空港や首都のある西部から山超え谷超えて、丸1日かかる。同じ道を戻らねばならないから、日本のツアーのほとんどはここまで行かない。ツエチュの本来の意味は10日だそうだが、この日も11月10日だった。

 ブータン最古の寺「ジャムパラカン」でのツエチュ祭を、楽しみにしていた。でも、ガイドや添乗員の不手際が重なり、暗い中をぞろぞろ移動していうるうちに祭りのハイライトを見過ごしてしまった。村人や道化師やお坊さんの仮面踊りごときものを少し見たが、暗くて何も分からない。寒い思いをしただけで終わった。

昼の儀式 夜の踊り 仮面踊り
 
ジャカールを観光中に、御神体を
囲んで儀式をしている場面に
出会えたのはラッキーだ


たき火を囲んでいろいろな所作をして
いるが言葉が通じないし
暗いので何もわからない

 
後日、別の場所で仮面踊りを
見せてくれたが、現地の人が
いない祭りは雰囲気がない


 でもこの祭りが観光客のためにあるのではなく、村人のためであることは想像できた。11月の昼間は暖かいが、陽が落ちると急に寒くなる。にもかかわらず赤ちゃん連れもたくさんいる。この地方に住む人は全員がこの祭りに参加しているのではないか。そう思わせる混雑ぶりだった。

次の日11日は、ジャカールから西に戻ったガンテというところで、オグロヅル祭りを見物するはずだった。又もやガイドと添乗員の不手際で、踊り見物は出来ずじまい。「後の祭り」は諺の世界だと思っていたが、2度も後の祭りになろうとは。

 2度の不手際があったので旅行社は旅行代金の5%をバックしてくれた。「祭りのツアーに無料で連れて行け」と息巻いている仲間もいたが、彼の要望は通ったのだろうか。

オグロヅル祭は、尾と頭が黒い鶴がガンテに飛来するようになってから祭りで、伝統あるものではないらしい。11月6日に、16羽が今シーズン初めて飛来したという。私たちが訪れたのは11日なのでタイミングはよかった。私も遠目に数羽の鶴を見た。湿原を保護し電線を張らないなど自然環境を守っているからこそ、毎年飛来してくる。

オグロヅル祭りの会場 昼食時 オグロヅルの舞
 
オグロヅル祭りの会場
国の宝がご自慢
 
会場についた時は昼の休憩時間
ご飯を手で食べていた
 
後日見せてくれた
オグロヅルの舞
迫力なかった

まず午前中に、祭りの会場に向かった。沿道ぞいに屋台や行商人が並ぶ光景は日本と同じ。午前の部の祭りは終了。家族や知り合いが輪になって、昼食を楽しんでいる最中だった。赤米や野菜炒めみたいなものを手で食べていた。ブータン人が手を使って食べることはガイドブックで読んでいたが、実際に見たのは初めてだった。

私たちも昼食をとろうと、片道30分もかかる農家レストランに行った。戻ってきたら、祭りは終わっていた。いまさらガイドや添乗員を責めてもどうなるものではない。残りの日程を楽しく過ごすには、怒りをおさめるっきゃないのだ。

この経緯を添乗員が東京の本社に連絡。本社から現地旅行会社に厳重な注意がいったようだ。現地旅行社は、2日後の13日に、舞踊団による舞の場を寺院の裏の芝生に設定してくれた。

 音色につられて、近所の人も集まってくれば祭りらしくなるのではないか・・と、それなりに考えたらしい。日曜とあって小学校の低学年の子どもや暇そうな老人が見にきていた。取り澄ました踊りよりも、子供たちの様子がかわいらしくて、何枚もシャッターを切った。日本の旅行会社を怒らせたら、2度と使ってもらえないかもしれない。現地旅行会社の必死さだけは伝わってきた。

 王立舞踊団 旅の日程の最終日に、王立舞踊団による舞を見学することになっていた。この日の舞踊団との違いを楽しみにしていたが、なんと同じ舞踊団だった。メンバーも同じで、踊りも似たようなものだったので拍子抜けしてしまった。

 左はホテルで行われた王立舞踊団の踊り。

  (2013年2月2日 記)



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