ジャワ島とバリ島の旅 2 
 バリ島のウブドとケチャックダンス

2013年8月31日(土)-2日目

ジャワ島観光を終え、バリ島に向かっている。

ジャワ島のジョクジャカルタ発(15時35分)→バリ島のデンパサール着(17時55分)

日没ジャワ島とバリ島では1時間の時差があるので、フライトは約1時間20分。デンパサールの空港は、ジョクジャカルタの空港よりはるかに規模が大きい。観光地としてのバリ人気は、この活気をみれば分かる。左は空港で撮った日没写真。「熱帯に来たなあ〜」と茜色の空を見上げた。

家族でバリに来たのは、もう30数年前だ。当時は今ほどバリ島は知られていなかったが、母が勧めてくれた。小学生だった子ども達は、今でも「この旅は楽しかった」と話している。

出迎えてくれたのは、小錦を小ぶりにしたようなバギアータさん。ジョクジャカルタの名門大学を出て卒業後ガイドになったという。20年もガイドをしている割には日本語もおぼつかないし、ガイドとしての資質に欠けるような人だが、世話になるっきゃない。

フルーツデンパサールから宿泊地ウブドまでは25qもある。道がよくないので1時間半もかかった。ウブドのレストランで、インドネシア料理の夕食。

ホテルは、ウブドの中心地からさらに奥まったところにあった。今回の旅では3つのホテルに泊まったが、ここが最高。バリ島4泊がすべてここなら良かったが、費用の関係なのだろう。

完全に独立したコテージになっていて、屋外には昼寝用のベッドもある。ベッドはヨーロッパの貴族の寝室のように天蓋がついている。ウェルカムフルーツ(左)も置いてあるし、部屋はアロマに満ちていた。バスタブにも花が浮かべてあった。  <ウブドのカマンダルリゾート&スパ泊> 

9月1日(日)-3日目

ウブドは有名なバリの観光地にしては珍しく、ビーチではなく農村部にある。ニワトリの声で目を覚ました。ホテルの敷地はヤシの木が茂るヒーリングスポット。プールもあるし、バリダンスの劇場もある。ここで一日ボーっと過ごすこともできそうな快適な空間だが、出発は10時なのでゆっくりはしていられない。

ホテル ホテル ホテル
 
コッテージにはそれぞれ
門がある

 
部屋はシンプルで
豪華だ

 
ホテルの敷地内は
南国の樹と花



朝食後、ホテルの外に出てみた。すぐ側に薄汚い小屋もあり、ホテルの敷地だけが別世界として作られたことが分かる。右に1分も歩くと、田が広がっていた。朝の9時ころでも日差しは強いが、日本のようにべったりした暑さではない。稲穂が実っている田を見るとなつかしい気持になるのは、私が瑞穂の国に生まれ育ったからだろう。ヒンズー神ごとき像が田の端に立っているのを見ると「ここはバリの田なのだ」と思う。バリ名物の棚田を見たかったが、どこまで行っても棚田らしい傾斜地はなかった。

あきらめてホテルに戻り、今度は左に行ってみたら寺院があった。きのうのジャワ島は、大部分がイスラム教徒だが、バリ島はほとんどがヒンズー教徒。インドで生まれたヒンズー教は東南アジアに広まりマレー半島を南下。バリでは土着信仰と混じりあいながら、11世紀ころに独自のヒンズー教として発展した。

寺院のとなりの屋根付き広場では、100人もの村人が集まり祭りの準備をしていた。寺ごとに祭りの日が違うので、ガイドでも日程を把握しきれないそうだ。島全体では2万から3万もの寺があるというが、滞在中には祭りには出会えなかった。

でも、準備をしている場をのぞかせてもらっただけでもラッキーだ。こんな風に供物や神輿を村人がワイワイ言いつつ真剣に用意している。それも年に一度ではなく、しょっちゅうやっているという。信仰を持たない私からすると、驚異でしかない。でもバリ人にとっては、おらが村の寺がとっても大切な存在だ。

祭りの準備 祭りの準備 祭りの準備

バンジャールという村の組織の一員として生活し、宗教儀礼やさまざまな活動に参加する。バンジャールは、生まれた時から死ぬまで助けあい共同作業を行う。寺は日常の生活とは切り離せないものらしい。

そもそもインドネシアでは「国民のすべては宗教信仰を持つこと」が義務付けられている。身分証明書には宗教を記載する欄がある。認められているのはイスラム教・カトリック・プロテスタント・ヒンズー教・仏教の5つ。

10時からマイクロバスでウブドの観光に出発。まずモンキーフォーレストへ。200匹の猿が放し飼いになっている森。木が茂っているので涼しいが、動物園おなじみの猿を見物しても、さして面白くはない。

次はネカ美術館へ。1976年に、芸術に興味を持っていたステージャ・ネカ氏が開設。ネカは外国人かと思ったが、インドネシア人である。バリ風の展示館が6棟建ち、外国人画家、バリ人画家、インドネシア人画家の絵が展示してあり見ごたえがあった。

バリの絵画は影絵芝居の人形のような絵が多かったが、1920年以降、バリに外国人画家が住みつくようになり、シュミーズは遠近法を、ボネはアナトミーを指導。バリ人の絵は劇的に変化し、ウブドスタイルと呼ばれる力作が誕生した。日常生活や踊子が描かれるようになった。

次は王宮へ。ウブドの中心地だけあり、観光客や地元民が大勢集まっていて活気があるというか騒々しい。バリでは、王宮のそばに市場があるのが一般的だ。民の生活を知るには市場を見れば分かるという発想らしいが、これが真実なら、バリの王は立派なものだ。前に来たときには、目を輝かせて買い求めた織物や木彫りも今回は素通り。

モンキーフォレスト ネカ美術館 王宮
 
200匹の猿が放し飼い
になっている


ネカ美術館は、バリらしい絵も
たくさんあり、見ごたえがある

 
 
ウブドの中心にある王宮
隣に市場があり賑やかな場所にある


昼食後にデンパサールに戻った。今日から3泊するホテルはデンパサールの中心から離れたところにあるヌサドアのビーチにある。ヌサドアは1985年にリゾートとして開発された。寂しい漁村だったが、今は有名ホテルが何十軒も並ぶ。バニアータさんによれば、「どのホテルも満員だ」。バリには他にも30数年前に泊まったクタなど、数か所のビーチがある。どこも混んでいるというからバリ人気がうかがえる。

ホテルの規模は大きく、庭も広いしプライベートビーチもある。でも部屋はウブドのカマンダルとは違い、どこにでもあるホテルと同じ。ホテルライフを楽しむわけではない私たちには十分だ。

ホテルで少し休憩した後に、断崖の上に建つウルワツ寺院へ。10世紀に建立され、最高神サン・ヒャン・ウィディ・ワソを祀る。旅行者は中に入れないので寺院の脇から断崖と海を眺めた。

ここの境内にいる猿はモンキーフォーレストにいた猿と同じ種類だが、観光客のメガネや持ち物をとっては喜んでいる。バギアータさんが「猿に取られるから眼鏡も帽子もはずして」と言うが、近眼の私はメガネをはずしたら安心して歩けないので無視。でも猿が寄ってこないように緊張していた。取られてもチップを払って返してもらえるのだが、人間がこんな風に仕込んでいて嫌な感じがする。

ここに来た目的は、境内で行われるケチャックダンスを見学するためだ。開演の1時間も前に会場に入った。早く行かないと良い席がなくなると脅されたが、ぎりぎり来た人でもちゃんと座っていた。

ケチャックダンスは、モンキーダンスとも言う。かがり火の中で褐色の肌の男性が輪になって座り、猿の鳴き真似「チャッチャッ」という掛け声でリズミカルに歌う。合唱をリードする人もいる。もともとこのコーラスは、踊子をトランス状態に導くための秘儀だった。

でも1930年代にバリに住んでいたドイツ人画家、ウオルター・シュピースが、男性コーラスを抜粋して、ラーマーヤナ劇を組み合わせるスタイルを提案した。最近は、さらにショーアップ、悪く言えば観客に媚びているような気がする。

ケチャックダンス ケチャックダンス

ケチャックダンスは、モンキーダンスと
「ラーマーヤナ」劇を組み合わせている


 
裸の男性が、「チャッチャッ」と言いながら
リズミカルに歌い踊る



私は、くねくねした女性の踊りを好きになれない。男性だけの「チャッチャッ」が好きだが、ラーマーヤナは古代インドで生まれヒンズー文化とともにバリに伝わった伝統劇でくねくね踊りが多い。ラーマ王子とその妃シータ、魔王ラーバナや神猿のハヌマントが活躍する、いわば美女の脱出劇である。

6時に始まったときは、まだ太陽が高かった。ダンスの最中に日が沈んだが、明るい時のダンスは迫力に欠ける。以前は1月で暗くなるのが早かったのか、かがり火だけの真っ暗な中で見学した覚えがある。
        <デンパサールのメリアバリビラ&スパリゾート 泊>   (2014年12月2日  記)

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