ジャワ島とバリ島の旅 2 2013年8月31日(土)-2日目 ジャワ島観光を終え、バリ島に向かっている。 ジャワ島のジョクジャカルタ発(15時35分)→バリ島のデンパサール着(17時55分) ジャワ島とバリ島では1時間の時差があるので、フライトは約1時間20分。デンパサールの空港は、ジョクジャカルタの空港よりはるかに規模が大きい。観光地としてのバリ人気は、この活気をみれば分かる。左は空港で撮った日没写真。「熱帯に来たなあ〜」と茜色の空を見上げた。 出迎えてくれたのは、小錦を小ぶりにしたようなバギアータさん。ジョクジャカルタの名門大学を出て卒業後ガイドになったという。20年もガイドをしている割には日本語もおぼつかないし、ガイドとしての資質に欠けるような人だが、世話になるっきゃない。 9月1日(日)-3日目
朝食後、ホテルの外に出てみた。すぐ側に薄汚い小屋もあり、ホテルの敷地だけが別世界として作られたことが分かる。右に1分も歩くと、田が広がっていた。朝の9時ころでも日差しは強いが、日本のようにべったりした暑さではない。稲穂が実っている田を見るとなつかしい気持になるのは、私が瑞穂の国に生まれ育ったからだろう。ヒンズー神ごとき像が田の端に立っているのを見ると「ここはバリの田なのだ」と思う。バリ名物の棚田を見たかったが、どこまで行っても棚田らしい傾斜地はなかった。 あきらめてホテルに戻り、今度は左に行ってみたら寺院があった。きのうのジャワ島は、大部分がイスラム教徒だが、バリ島はほとんどがヒンズー教徒。インドで生まれたヒンズー教は東南アジアに広まりマレー半島を南下。バリでは土着信仰と混じりあいながら、11世紀ころに独自のヒンズー教として発展した。 寺院のとなりの屋根付き広場では、100人もの村人が集まり祭りの準備をしていた。寺ごとに祭りの日が違うので、ガイドでも日程を把握しきれないそうだ。島全体では2万から3万もの寺があるというが、滞在中には祭りには出会えなかった。 でも、準備をしている場をのぞかせてもらっただけでもラッキーだ。こんな風に供物や神輿を村人がワイワイ言いつつ真剣に用意している。それも年に一度ではなく、しょっちゅうやっているという。信仰を持たない私からすると、驚異でしかない。でもバリ人にとっては、おらが村の寺がとっても大切な存在だ。 バンジャールという村の組織の一員として生活し、宗教儀礼やさまざまな活動に参加する。バンジャールは、生まれた時から死ぬまで助けあい共同作業を行う。寺は日常の生活とは切り離せないものらしい。 バリの絵画は影絵芝居の人形のような絵が多かったが、1920年以降、バリに外国人画家が住みつくようになり、シュミーズは遠近法を、ボネはアナトミーを指導。バリ人の絵は劇的に変化し、ウブドスタイルと呼ばれる力作が誕生した。日常生活や踊子が描かれるようになった。
昼食後にデンパサールに戻った。今日から3泊するホテルはデンパサールの中心から離れたところにあるヌサドアのビーチにある。ヌサドアは1985年にリゾートとして開発された。寂しい漁村だったが、今は有名ホテルが何十軒も並ぶ。バニアータさんによれば、「どのホテルも満員だ」。バリには他にも30数年前に泊まったクタなど、数か所のビーチがある。どこも混んでいるというからバリ人気がうかがえる。 ここの境内にいる猿はモンキーフォーレストにいた猿と同じ種類だが、観光客のメガネや持ち物をとっては喜んでいる。バギアータさんが「猿に取られるから眼鏡も帽子もはずして」と言うが、近眼の私はメガネをはずしたら安心して歩けないので無視。でも猿が寄ってこないように緊張していた。取られてもチップを払って返してもらえるのだが、人間がこんな風に仕込んでいて嫌な感じがする。 ここに来た目的は、境内で行われるケチャックダンスを見学するためだ。開演の1時間も前に会場に入った。早く行かないと良い席がなくなると脅されたが、ぎりぎり来た人でもちゃんと座っていた。 ケチャックダンスは、モンキーダンスとも言う。かがり火の中で褐色の肌の男性が輪になって座り、猿の鳴き真似「チャッチャッ」という掛け声でリズミカルに歌う。合唱をリードする人もいる。もともとこのコーラスは、踊子をトランス状態に導くための秘儀だった。 でも1930年代にバリに住んでいたドイツ人画家、ウオルター・シュピースが、男性コーラスを抜粋して、ラーマーヤナ劇を組み合わせるスタイルを提案した。最近は、さらにショーアップ、悪く言えば観客に媚びているような気がする。
私は、くねくねした女性の踊りを好きになれない。男性だけの「チャッチャッ」が好きだが、ラーマーヤナは古代インドで生まれヒンズー文化とともにバリに伝わった伝統劇でくねくね踊りが多い。ラーマ王子とその妃シータ、魔王ラーバナや神猿のハヌマントが活躍する、いわば美女の脱出劇である。 6時に始まったときは、まだ太陽が高かった。ダンスの最中に日が沈んだが、明るい時のダンスは迫力に欠ける。以前は1月で暗くなるのが早かったのか、かがり火だけの真っ暗な中で見学した覚えがある。 |