ジャワ島とバリ島の旅

 2013年8月30日(金)〜9月5日 (木)

ボロブドールとブランバナン遺跡  
バリ島のウブドとケチャックダンス
キンタマーニ高原と棚田
バリ島のビーチと食事


ジャワ島とバリ島の旅 1

 ボロブドールとブランバナン遺跡


2013年8月30日(金)-1日目

成田発(12時)→ジャカルタ着(17時35分) 2時間の時差 フライト時間は7時間半
ジャカルタ発(20時10分)→ジョクジャカルタ着(21時30分) 1時間20分

JTB主催の7日間という短い旅だが、以前訪れた時の印象が忘れられず、再訪することにした。ジャワ島もバリ島も、インドネシアに属する島。でも私たちの訪問先はジャワ島のジョクジャカルタとバリ島。インドネシアの首都・ジャカルタも空港にいただけだ。

私たち2人以外は、オバサン4人組が同行者。添乗員がつかないので、目的地ジョクジャカルタまでは自分で乗り継がねばならない。でも現地係員が身振りで誘導してくれたので、なんら困ることはなかった。2時間の乗継時間は、食事や飲み物付きのラウンジで過ごした。

乗継時間や30分の遅れも含め、成田から11時間半。アジアだから近そうに思えるが、ヨーロッパと同じぐらいかかった。      <ジョクジャカルタのシェラトン泊>

8月31日(土)-2日目

ホテルからの景色昨夜、ジョクジャカルタの現地ガイド・エレナさんが「明日は6時にホテルを出ます。4時にモーニングコールをかけます」と言う。私たちは準備に時間がかからないので、30分遅らせてもらった。時差の少ない国への旅なので、強硬スケジュールにはならないだろうとの勝手な思い込みは、初日に打ち砕かれた。左は、ホテルの部屋からの景色。ヤシの林がいかにも南国。

ボロブドール遺跡まで約1時間のマイクロバスの中で、エレナさんがインドネシア全体の概要を話してくれた。中年女性のエレナさんは、人柄もよく的確な説明をしてくれた。オランダに350年間、日本に数年間支配されていたが、1945年8月17日に独立。日本の敗戦と時を同じくして独立した。

インドネシアは1700もの島からなり、国内で時差が2時間ある。人口は2億4千万人だが、ほとんどがジャワ島に住んでいる。平均寿命は男性が63歳、女性が68歳と低いが、ジャワ島とバリ島に限ると男性が70歳、女性が75歳と高くなる。

左がガイドのエレナさん。バスの中でのエレナさんを撮ってなかったので、工事中の寺院説明中のヘルメット姿でご勘弁を。

信号待ちのときに、新聞売りが近寄ってきた。新聞売りの稼ぎはたいした額にならないだろうと思うが、この国にはほとんど乞食がいない。インドネシア人が乞食にお金をあげると150,000ルピアの罰金を払わねばならない。日本円にすると約1500円。乞食一掃にはこういう政策が必要なのかもしれない。

ジョクジャカルタは、古都という共通点で28年前に京都と姉妹都市を結んだ。1949年まではジョクジャカルタ(現地ではヨキヤカルタと言う)が首都だった。大学が57、専門学校が33もあり、人口80万人の4分の1が学生という学園都市でもある。

ジョクジャカルタの人たちの宗教は70%がイスラム教、20%がキリスト教、他はヒンズー教、仏教。イスラム教が入ってきたのは14世紀で、盛んになったのは15世紀。ムハンマドが生まれた中東諸国に比べ遅いのは当然かもしれない。イスラム教だから断食もある。今年は7月7日から8月7日までが断食期間だった。私たちが訪れた時は、断食が終わったばかり。熱帯の国の真夏でも、日中は食べ物はもちろん水も飲んではいけない。でも死者が出るわけでもない。どんな身体になっているんだろう。

ちなみにガイドのエレナさんはイスラム教徒だが、ご主人はプロテスタント、2人のお嬢さんはカトリックだという。学校がプロテスタント系、カトリック系ということのようだ。家族で宗教が違ってもいがみ合ったりしないらしい。宗教に関しておおらかな国なんだろう。

イスラム教徒は豚肉が禁止なので、エレナさんは豚肉を使わない。でも子どもたちは外で食べていて「ママ、こんなに美味しいのに食べないのはもったいない」と言うそうだ。宗教がらみの戦いが続いていたアイルランドから帰ったばかりだけに、この大らかさは南国特有のものなのかなとも思う。

世界遺産のボロブドール遺跡に着いた。1814年にイギリス人が発見したが、当時はオランダが支配していたので、オランダが修復した。イギリスに発見されるまで長い事埋もれていたので、いまだに謎が多いそうだ。

ボロブドールは2回目だ。1981年の正月休みにバリ島へ家族4人で遊びに行った。そのときに、日帰りのオプショナルツアーでボロブドールのあるジャワ島まで飛んだ。30数年前は、ヤシのジャングルを抜けたところに遺跡が突然現れて感激した覚えがある。でもその数年後、1983年に史跡公園として整備された。ジャングルらしさは減っているが、遺跡をそこなうような派手な建築物もなくホッとした。

 
ボロブドール遺跡全景は
離れないと入らない。これは一部。

 
ストウーパは72もある
 
釈迦の一生などのレリーフは
2500面もある


 いちばん上に上がると
神秘的な光景が広がっている

30数年前は、日本の仏教遺跡とはまったく異なる威容に驚いたものだが、10年ほど前にアンコールワットを見学した。それに比べると「まあ、かわいそうなボロブドールさん」と言いたくなるほど、規模は小さい。とはいえ、安山岩のブロック100万個を積み重ねて作った高層遺跡は迫力がある。建立したのは8世紀半ばではないかと言われている。エジプトのピラミッドとは比べようもないほど新しいが、接着剤のない時代に、たくさんの石を崩さずに積み上げる技術があった。

もっともこの建造物が、寺院なのか墓なのか曼荼羅なのか、分かっていない。回廊には2500面ものレリーフがある。ブッダの一生などが、細かく彫ってあり、ガイドはかいつまんで説明してくれるが、心に響かない。アンコールワットに行ったときも、レリーフの内容は覚えてない。仏心がない私には、まさに馬の耳に念仏だ。

4段の回廊が終わると、視野が急に開ける。円壇の中央に大きなストウーパがあり、その周りに72の小ぶりのストウーパが並んでいる。ボロブドールを代表する景観だ。

ボロブドールから3キロ離れたムンドクッド寺院も見物した。ボロブドールと同じころの8世紀の建築。内部の如来像は、世界でもっとも美しい仏像(左)とも言われるが、現地の人にとっては信仰の対象にはなっていないのだろう。今のインドネシアに仏教徒はほとんどいないのだから。

境内にガジュマルによく似た根っこがぶらさがっている樹木があった。でも、よく見ると葉がハート型の菩提樹。こんな大きな菩提樹を見たのは初めてだ。 

天下のJTBのツアーとはいえ今回参加した「旅物語」は、通販なのでかなり安い。それを挽回するために現地の土産物屋に連れて行くのがお決まりだ。今回も全行程の中で4つの店に寄ることになっている。

ひとつ目の「銀細工」の店へ寄った。「100グラムの銀に2グラムの銅をまぜて銀板や銀糸にする。銀細工はジョクジャカルタがルーツで、バリ島のは伝統的でない」とさりげなく、こっちで買ってとアピール。

銀のネックレスやストラップはきれいだが、今さら欲しくない。女性4人組には50代の人もいる。彼女たちは買うのかと期待していたが、買わない。でも、中国などのように現地ガイドも店員もしつこくない。おかげで救われたが、人数が少ないツアーは妙なことに気を使わねばならない。

次は王宮に行った。この王宮には今も王が住んでいるので、民族衣装を着たお年寄りが、無給で王宮の保護や管理をしている。腰に短刀を差していて、何かあったら出動するらしいが、緊迫感は感じられない。

他の地域の州知事は選挙で決まるが、ジョクジャカルタでは王が州知事を兼ねている。市民が反対すれば、世襲はなくなるだろうと思うが、王が知事をしていることに反対者は出ないそうだ。王は68歳だが、子ども5人が全員娘。高校生の男の孫が跡継ぎになりそうだ。

 
王宮には知事も兼ねている
王が住んでいる
 
無給で王宮の管理をしている
ちなみに撮影禁止は内部
 
離宮にある水浴び所


続いて1765年に建てられた離宮に行った。王宮に仕える女性たちの水浴び姿を王が楽しんだ場所だという。隣接する地下遺跡は、王たちが瞑想に利用した部屋。

ここで国士舘大学でインドネシア語を学んでいる大学生10数人に会った。ホームステイしているのだという。先進国じゃない国にホームステイして、国の素顔や語学を学ぶのはいいものだなと思った。私が若いころは決して叶わなかった留学をいとも簡単にしている若者をまぶしく眺めた。

昼食後、世界遺産のブランバナン遺跡へ。ボロブドールは仏教遺跡だが、ここはヒンズー教の遺跡だ。9世紀ころの中部ジャワは、北部を仏教のシャレインドラ王朝、南部をヒンズー教のマタラム朝が統治していた。それぞれが、ボロブドールとブランバナンという世界遺産になるような建築群を建てている。

 
ヒンズー教のブランバナン遺跡

 
内部にはヒンズー教の
神像がある


ブランバナンは5q四方の広さに、たくさんの寺院が建っている。中心になるのが、シヴァ神殿のあるロロ・ジョングラン寺院。内部にはいろいろなヒンズー神像があり、数年前に行ったインドを思い出した。ジャワ島の観光はここまで、バリ島へ向かう。         (2014年11月16日 記)


感想・要望をどうぞ
次(バリ島のウブドとケチャックダンス)へ
ホームへ