ジャワ島と バリ島の旅 3 2013年9月2日(月)-4日目 今日も昨日に続き、マイクロバスでの観光だ。泊まっているホテルの付近には見学スポットがほとんどないので、8時半にホテルを出て、又、デンパサールやウブドの方に向かう。 次はティルタ・エンプル寺院。聖なる泉がわくということで人気がある。聖なる河と言われるインドのガンジス河は、水が濁っているばかりか、動物の死骸や汚い物がぷかぷか浮いていたが、ここの聖なる泉は水底がみえるほど澄んでいる。身体を清めている人がいたが、こんな所なら心まで清められそうだ。
次はキンタマーニ高原に向かった。日本人なら一度聞いたら名前を忘れない高原だ。バスはどんどん登って行く。沿道ではみかんを売っていた。日本のみかんとほとんど同じ果物が採れるのは、ここが高冷地だからだろう。バトウール山とその噴火でできたバトウール湖(左)が眼下に広がる絶景地のレストランで昼食。 ヤシの木が田の中にすくっと立っている。草刈や田を耕す農民がいる、三期作なので稲穂が垂れている田もあれば、田植えをしたばかりの田もある。高台からの撮影、傾斜地を上がり降りしながら畦地に入り込んでの撮影と100枚近く撮りまくったが、同じようなものも多く、ほとんどは捨ててしまった。
バリで会議が開かれた時に、野田総理の奥さんも訪れた由緒ある店。写真を見せてもらったが、私たちが通された部屋にアジアの首脳の奥方がおさまっていた。料理を運んでくるウェイトレスが何人もいる大げさな接待は、宮廷料理とうたっているからだろう。踊りの披露やガムラン音楽の演奏もあり、これぞバリの食事というひとときだった。 9月3日(火)-5日目 「なんという人が来るんですか」と聞いたら、バニアータさん(左)といつものマイクロバスのドライバーのふたりが来るという。優秀にはほど遠いガイドなので少しがっかりしたが、慣れているので気が楽でもある。 車は小型車に変わったが、希望どおりの3か所に連れて行ってくれることになった。寺の入場料や食事代は払わねばならないが、ガイド料を含めふたりで1万円は安い。 まずブサキ寺院に行った。この寺はバリヒンズーの総本山。シヴァ・ブラフマ・ヴィヌスのヒンズー三大神をまつる3つの寺院を中心に、他に30余の寺からなる複合寺院だ。海抜1000mにあるので、涼しい。「なぜツアーでは総本山に連れて行かないの」と聞いたら「日本の旅行会社は、ここが少し離れているので、選ばない」ということだった
「寺に供物をもってお参りにくる人を撮りたいのよ。来るかしら」とガイドに聞いたら「そんなの分かりませんよ。今日は祭りでもないし」とつれないことを言う。でもしばらく広い境内をぶらついていると、來るわ來るわ。単独で来る人は珍しく、ほとんどが一族郎党といった団体だ。 きのう、1時間もライステラスにいたのに、また行ってみたい。「どこか他にもあるでしょう」と粘って、ドライバーの案内でMAHAGIRIという他の棚田に行った。バニアータさんは収集能力がないガイドなので、ここを知らなかった。この棚田はレストランで食事をとらないと見物できない。食事を兼ねてのテラスタイムだ。田を耕している人や田植えをしている人がいたが、手作業だ。50年位前の日本の田園風景が広がっている。ここでも何枚も撮って、最終的には半分以上捨てた。
次はバリの先住民バリ・アガの住む村に行った。トウンガナンという村で南北500m、東西200m壁に囲まれている。もともとバリ島には、ヒンズー教とは関係ない精霊を信仰する先住民が住んでいた。ジャワ島から移住してきた人たちが、ヒンズー教を持ち込んでこの島を支配するようになった。それでもヒンズーへの改宗を拒否した人たちが、住む村である。今は200家族が暮らす。職場や学校には普通に通っていて、住む場所がこの壁の中ということらしい。観光客にアタ(蔓であんだバスケット)やイカット(絣織)を売るなどしている。 顔つきを見ただけでは、ふつうのバリ人との違いは分からない。でも壁に囲まれた村で暮らす人たちは、少し愛想がないような気がした。 約束した観光地めぐりはこれで終わり。最後にデンパサールのマーケットに寄ってもらったが、買うものがない。昔ながらの塩田で作った塩を土産にいくつか買った。 (2014年12月16日 記)
|