ベラルーシ・ウクライナ・モルドバの旅5 
 モルドバワイン

2012年10月11日(木)-8日目

まだウクライナの観光は残っているが、今日から2日間はモルドバ(ベラルーシの旅1の地図参照)に入国する。ややこしいが、ルート上この方がいいのだろう。ここの国境もスルーパスとはいかない。ウクライナで出国手続きをした後に、モルドバで入国手続きをする。9時40分にモルドバに入国。 

Sさん夫妻は、このモルドバで訪れた国が100ヵ国目だという。ひとり参加の男性Fさんの旅行歴はとうに100ヵ国を超えているのだが、自己紹介のときに「ヨーロッパで行ってないのは、ベラルーシとウクライナとモルドバだけなので来ました」と話した。だからFさんも、今日でヨーロッパすべての国を訪れたことになる。

ヨーロッパ制覇など簡単だと思うかもしれないが、ヨーロッパだけで43ヵ国もある。アンゴラなど小さな国もありツアーに組み込まれていないことが多いので、実はそんなに簡単なことではないのだ。アイスランドなど極寒の国もヨーロッパである。今回の参加者で100ヵ国に達してないのは、私たち夫婦だけだった。私たちでさえ「行き尽くしたでしょう」と言われる。この人たちは何と言われるんだろう。

モルドバの面積は、青森・岩手・宮城を合計したぐらい。そこにおよそ350万人が住む。

公園でおしゃべり「ヨーロッパの最貧国です」と説明されたが、「どう見てもコソボの方が貧しそうだ」とKさんは話す。私はコソボに行ったことがないから何とも言えないが、少なくともモルドバには物乞いもいなかったし、中古とはいえ車があふれている。もっとも私たちが訪れたモルドバは、ほんの一部でしかない。出稼ぎ率が非常に高いらしい。

首都のキニショフの公園でおしゃべりに夢中の3人連れ(左)。最貧国とは思えない。

キシニョフから、モルドバのガイド・ナタリアさんがバスに乗り込んできた。1歳の男の子を持つ若いママ。オデッサからずっと一緒のガイドもナタリアさん。ナタリアさんはよくある名前のようだ。

モルドバワインの名前は、ワインにまったく興味がない私でも聞いたことがある。紀元前3000年ころに生産され、長いことヨーロッパ王侯貴族に愛されてきた。

従ってモルドバ観光のメインもワイナリーだ。そのひとつクリコバワイナリーに行った。「ヨーロッパ最貧国なんて嘘でしょう!」と誰もが思うような立派なワイナリーだ。見学コースやレストランの豪華さに度肝を抜かれてしまう。テイスティングと食事を兼ねたレストランはいくつもあり、私たちが通されたのは海をイメージした部屋。添乗員さんを入れても10名しかいないこともあり、少人数でしか利用できないようなデラックスルームだった。

こんなとき、ドライバーはもちろん、ふたりのガイドも一緒に食事はしない。ガイドが自費で食べるには高すぎるのだと思う。今回の旅で気づいたのだが、どのガイドも添乗員さんと一緒に食事をしない。私が持て余すほどの昼食の時に、ガイドは別のテーブルでコーヒーとケーキだけを食べていたこともあった。日本がもっともっと貧しい頃に、日本にきた外国人は、今の私たちのような贅沢を味わっていたような気がする。今回の旅で感じた食事どきの贅沢感は、たとえばパリにツアーで行ったら絶対に味わえるものではない。

食事をしながらのワインの試飲は7種もあった。9名のうちまったく飲めないのは私ひとり。夫は好きなのだが強くないので普段は昼間は飲まない。でも他の7名は、私から見ると酒豪だ。試飲というと、プラスチックの小さなカップに3cmほど入ったものを思い浮かべるが、どうしてどうしてここの試飲は立派なグラスに注いでくれるし、お代わりも自由だ。みなさん普段よりずっと饒舌になっていたが、悪酔いする人は誰もいなくて助かった。からまれたりすると嫌なものだ。お酒が強い人は食事もよく食べる。これが元気の源かもしれない。酒も飲めずたっぷりの食事を持て余す私にすれば、ただただ羨ましい。

ワイナリー博物館 食事 ワインセラー
 
ワイナリー併設の博物館
ワイン造りの歴史など
展示してある

 
海をイメージしたレストランの個室
料理も豪華
ワインの試飲は7種もあった
 
100万本のワインが
保管されている
ロシアの旗がある棚は
プーチン大統領のワイン


ゆったりとした食事の後にワイナリーの見学。もとは石灰岩を切り出す採掘場だった。そのトンネルに潜伏したのがオデッサのパルチザンだったが、ここのワイナリーもトンネルを利用している。距離にして120kmもある。

ここには100万本のワインが保管されている。ラベルは出荷時に貼るので、薄汚れたままのボトルが棚に積まれてあった。室温は12度、湿度は97%。こんなに湿度が高いのは不思議な気がするが、理由は聞きそびれた。プーチン大統領やメルケル首相の専用保管棚もあった。「○○年産の××ワインが欲しい」という要望があれば、すぐ送るのだと思う。いやはや贅沢な世界があるものだ。

スパークリングワインの製造過程も見学。スパークリングワインはシャンパンと同じ。シャンパンはフランスの地名にちなんだものなので、モルドバ産でシャンパンの名前は使えない。細かい過程の作業はほとんど人の手によっている。賃金が安いから手作業が出来るのだと思う。

次はプーシキンの家博物館へ。世界に3つもプーシキンの博物館があるということは、今なお人気が高いのだろう。1791年にモスクワで生まれた後、サンクトペテルブルグに移った。小説の中でロシアの帝政を批判したので、辺境の地に追放された。追放の地がここ、キシニョフだ。でも彼はキシニョフにいた間(1820年から1823年)に、200以上の作品を書いた。異文化好きだったこともありジプシーや土地の人との接触が、彼の作品に投影されている。


プーシキンの家 プーシキン胸像 博物館でオルガンを弾いてくれた館長
 
博物館の隣にある
プーシキンが住んだ家

 
プーシキンの胸像

 
プーシキン博物館で
オルガンを弾いてくれた
女性の館長


プーシキンを尊敬してやまないといった感じの館長が、説明に熱を入れピアノも弾いてくれた。「ワインを散々飲んだあとに椅子に座って聞くので、寝込んでしまう人が多い」と添乗員のUさんは心配していたが、誰も居眠りをしなかった。みなさん酒豪だ!

キニショフ大聖堂最後の観光はキシニョフ大聖堂。聖堂前の広場では、大きなチェス盤で勝負をしていた(左)。それを取り巻くひとたち。服装も小奇麗だし、娯楽を楽しむ余裕がある。

聖堂の中では夕方のミサをしている最中だった。ソ連時代は宗教が否定されたので、アートギャラリーとして使われていた。こうしてお祈りしている人を見ると「社会主義が終わってよかったね」と思う。せめて信仰の自由は認められる国に住みたい。

見学したワイナリーが経営しているワインショップに寄った。日本でモルドバワインを買うとすると高いらしい。わが家でも試飲で気に入ったものを2本買った。万一割れることを考えて2本だけにしたが、無事だった今になるともっと買えば良かった。

夕食のレストランでは自家製ワインが出た。モルドバではほとんどの家でワインを作っている。そういえば、沿道のどの民家にもぶどう棚があった。日本では勝手に酒を作ることは許されていないが、この国では自家製ワインが当たり前なのだ。        <キシニョフのジョニーアロン泊>

   (2013年12月16日 記)


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