ベラルーシ・ウクライナ・モルドバの旅6
 モルドバの村

2012年10月12日(金)-9日目

花に囲まれたプーシキン像ホテルのすぐ前は大きな公園だ。朝もやの中で見る色づいた木々の葉は、表現できないほどきれいだ。その公園の中にプーシキンの銅像があると聞き、「すでに2度も見たなあ」と思いながら、銅像ウオッチャーとしては見逃すわけにはいかず団体行動前に写真を撮りにいった。

いつもと同じ胸像(左)だが、台座や周囲が立派だ。「ロシアの作家をこんなに大事にしているけれど、モルドバやウクライナには銅像を作るような作家はいないのかなあ」と思う。

1時間ほどバスを走らせて旧オルヘイ洞窟修道院に向かった。11世紀から修道士が住み始めいくつもの修道院があったが、今は1つだけが残っている。バスを降りてしばらく坂道を登ると洞窟に着く。修道院そのものよりも、そこに行くまでの道筋がなんとものどか。牛馬で農作業していたり、リンゴ売りのオバアチャンもいる。

馬車で耕作 リンゴ売りのおばあさん 洞窟修道院の内部
 
馬を使っての耕作
今の日本では見ない光景

 
リンゴを売っていた
おばあさん

 
洞窟修道院の内部
修道院がひとり住んでいる



去年の夏に訪れたオーストリアには、宮殿のような修道院があった。かたやこうした高台の暗い洞窟内の修道院もある。今はひとりの修道士が住み、村人が交代で世話をしているという。訪れたときも女性が掃除をしていた。「自分で生活できないなら修道士など止めればいいのに。自活したら?」と思うが、村人の心の支えになっているなら、私がとやかく言う事でもない。

少し離れたブツトウチェニ村に向かった。19世紀の古い家が残っている素朴な村で、国の保護エリアになっている。150人しか暮らしてない割には、接したお年寄りや子供は20人以上いた。こういう場所を訪れても村人がいないとがっかりしてしまうが、馬車を馭しているおばさん、入口に佇むおばあさん、白い馬をひくおじいさん、無邪気な子どもたちに出会えたのは幸いだった。雰囲気が数年前に訪れたルーマニアのマラムレシュ地方とよく似ている。地図を見ると、モルドバとルーマニアは国境を接している。

馬車 馬を引く男
 
150人しかいない村
でも村人は人懐こい

 
当たり前のように
馬が歩いている


昼食はペンションで。とうもろこしの粉を蒸したママリガとサルマーレという肉料理が出た。この料理もルーマニアで馴染みなものだ。ペンションがあるということは、素朴な村に滞在する観光客がいるのだろう。

午後はモルドバ出国とウクライナ入国の手続きをして、一路オデッサへ。前々日と同じホテルに戻ったのは7時半を過ぎていた。              <オデッサのチェルノモーレプリヴォズ泊>

10月13日(土)-10日目

今日はオデッサからヤルタまで580kmを移動する。ドライバーが2人いるので長距離でも安心だ。ミコライフという州都で休憩後、昼食をとるヘルソンベラルーシの旅1の地図参照)に着いた。

ポチョムキン像ここもオデッサ同様、エカテリーナ2世の命令でポチョムキンが作った町なので、彼の銅像(左)や友人の名将・スヴォロフの像があった。

水兵をたくさん見かけたのは、海軍学校や海軍アカデミーがあるからだ。聖エカテリーナ聖堂にはポチョムキンの墓碑がある。エカテリーナとポチョムキンはここで極秘結婚式をし子供も1人いたというが、真相は分かっていない。

空港があるシンフェローポリですこし休憩した。シンフェローポリは、ウクライナの中のクリミア自治共和国の首都で270万人の大都市だ。ウクライナが1991年に独立したときに、クリミア議会はウクライナからの独立を宣言したが、すぐに撤回。1995年にクリミア自治共和国が誕生した。だからこれから訪れるヤルタやクリミア半島は、ウクライナという国の中にあって微妙な立場にある。

8時ころにヤルタに到着した。ウクライナの最南端に位置していることもあり、夜の割には暖かい。

   <ヤルタのブリストル泊>   (2014年1月2日 記)

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