2012年10月4日(木)〜10月17日(水) |
ベラルーシの首都ミンスク ベラルーシのブレスト ウクライナのリヴォフからキエフへ キエフからオデッサへ モルドバワイン モルドバの村 ヤルタ クリミア半島 ツアーでの食事 |
ベラルーシ・ウクライナ・モルドバの旅1 2012年10月4日(木)―1日目 12時15分(成田発)→アエロフロートで17時15分(モスクワ着) 19時50分(モスクワ発)→アエロフロートで20時5分(ミンスク着)
<ベラルーシのミンスク オルビーダ 泊> 10月5日(金)―2日目 首都ミンスクの人口は183万人。ミンスク見学の今日、朝から雨が降っているし肌寒い。通勤の服装は、ダウンのジャケットや革ジャンだ。数日前の日本の猛暑が信じられない。
女性ガイドのイリーナさんの案内で、まず訪れたのはスヴィスラチ川にある「涙の島」。ソ連のアフガン侵攻(1979〜1989年)で亡くなった兵士の慰霊碑がある。ソ連に属していなければ、兵に駆り出されることはなかったのになあとチラと思う。涙の島に隣接しているトラエツカヤ旧市街はカラフルなビルが連なり、旧市街独特の風格がない。第2次世界大戦で破壊つくされた後に復元した街並みだと聞き、納得した。 次は聖霊大聖堂へ。日曜でもないのに大勢の人がミサに参加していた。座る椅子がなく立ったままの礼拝なので正教の教会だとわかる。ルーマニアに行ったときに「正教とカトリックの違いは、イコノスタシス(聖なる扉)があるかないか、礼拝のための椅子がないかあるかだ」と散々聞かされた。 高さ38mのモニュメントが立つ勝利広場は、1945年の終戦勝利を記念しての広場。アフガン戦争と同じく、第2次大戦もソ連の一員だから否応なしに戦ったのかもしれない。でもミンスクは、ポーランドのワルシャワとモスクワの線上にある都市。ソ連の英雄都市として称えられているほどだから、ナチスドイツに果敢に抵抗したのだろう。女子も交えた高校生達が衛兵交代をしているところだった。「ミリタリークラブに属する優秀な高校生.ですよ」とイリーナさんは説明した。
次は独立広場にある聖シモンヘレナというカトリック教会へ。祭壇中央に「最後の晩餐」の絵があった。「祭壇に最後の晩餐の絵があるのは珍しい」とツアーのお仲間が言う。たしかにこれまで見たカトリックの祭壇には、最後の晩餐の絵はなかった。ここの目玉は、イエスが処刑された時に遺体を包んだ布のコピーだ。本物がどこにあるか聞きそびれたが、イスラエルのゴルゴダの丘の教会にはなかった。すくなくとも公開はしていなかった。怪しげなコピーのような気がしてならない。 教会の側に、「平和の鐘」があった。原爆被害都市・長崎の浦上天主堂から、原発被害都市・ミンスクに贈られた鐘だという。ウクライナのチェルノブイリ原発事故の時に、放射線の7割が隣国のベラルーシに飛び散った事実を、ここに来るまでは知らなかった。驚いたことに、ウクライナよりベラルーシの方が犠牲者も多かったそうだ。 「ウクライナに行くから○○を欠席する」と出したメールに対し「チェルノブイリに気をつけて」と返信をくれた友人がいた。チェルノブイリ事故は1986年4月。25年以上過ぎた今も人々の記憶から消えない。こんな風に、フクシマもいつまでも世界の人々の脳裏から消えないのだろう。 2011年12月からチェルノブイリ原発の見学ツアーが始まり、世界中から申込みが殺到しているそうだ。 ウクライナのキエフからの日帰りツアーである。原発から30q圏内は、25年以上経った今も、立ち入りが禁止されている。この地域をガイドが放射線量を確認しながら案内する。残念ながら、私たちのツアー行程には入っていなかった。 バスに戻る道すがら、大きなレーニン像が立っていた。ハシゴをかけて掃除をしているところだった。マルクスの理論をもとに社会主義革命を起こしたレーニンが、悪人だったとは思えない。スターリン像はほとんどが破壊されたが、レーニン像は残っている。
郊外のミール城を訪れるころには、時折青空も見せるようになった。2000年に世界遺産に登録された豪華な城。16世紀にユーリー・イリイニチ公が建てたが、継ぐ人がなくラジビル家が引き継いだ。今は博物館やホテルとして使っていて、結婚式も行われていた。花嫁さんはとびきりの美人。ベラルーシには美人が多いと聞いていたが、なるほど。 ミール城が間近に見えるレストランで、サラダ・ボルシチ・ポークソテー・デザートの昼食。旅行前はまったく期待していなかったのだが、これ以後3か国で出たどの食事もとびきり美味しかった。 この城で、またもや結婚式のカップル2組に出会った。今日だけで何組目だろうか。この国の結婚年齢は日本に比べ若い。でもイリーナさんは「離婚率も高い」と話していた。 ネスヴィジ城を後にして、バスは西に走る。夜の8時ころに、ポーランとの国境・ブレスト市に到着した。 <ブレストのヴェスタ泊> (2013年10月16日 記) 次(ベラルーシのブレスト)へ ホームへ |