ベラルーシ・ウクライナ・モルドバの旅7 
 ヤルタ

2012年10月14日(日)-11日目

今回の旅先で事前に聞いたことのある地名は、わずかしかなかった。そのわずかが、ヤルタとクリミア半島だ。近所のカテリーナさんの出身地でもあるし、ヤルタ会談が開かれたところ、クリミア戦争があったところ。今日から2日間、ヤルタや近郊のクリミア半島を観光するので楽しみだ。 

ホテルは街のど真ん中にあり、レーニン広場や港にも近い。ヤルタの女性ガイド・マイヤさんの案内で、レーニン広場を手始めに約1kmのプロムナードを散策した。シュロなどの並木が風に揺れ、陽光を受けた海は光っている。最終日近くなって、やっと良い天気に恵まれた。

レーニン像 犬を連れた奥さん アレキサンドルネフスキー寺院
 
ヤルタの中心地
レーニン広場

 
チェーホフの作品
「犬を連れた奥さん」の像

 
ソ連時代も教会として使われていた
アレキサンドルネフスキー寺院


海に浮かぶギリシャ風の船は、レストランだ。ギリシャ人が嵐で漂っている時に海岸が見えた。「ヤロス(海岸)だ」と叫んだことから、この地がヤルタと呼ばれるようになった。

しばらく歩くと、作家チェーホフと彼の作品「犬を連れた奥さん」の像がある。社会主義革命前のヤルタは、皇族や貴族の別荘地で、チェーホフの小説に登場するような貴婦人が行き交っていた。今は当時のようなリゾート地に蘇りつつある。アレキサンドルネフスキー聖堂は、ソ連時代も教会として許されていた。日曜なので、礼拝をする人でごった返していた。

バスでチェーホフの家博物館に行った。モスクワで医学の勉強のかたわら文章も発表していたチェーホフだが、肺結核を患ってしまう。保養のために母や妹と移り住んだのがヤルタだ。1898年から1904年に亡くなるまで住んでいた家が、公開されている。

チェーホフ像 チェーホフの家 チェーホフの家の庭
 
チェーホフの像

 
チェーホフの家
家族の食堂

 
チェーホフの家の庭
緑のベンチはゴーリキーが
気に入っていたもの


有名な作品「桜の園」「三人姉妹」「犬を連れた奥さん」はここで書かれた。プーシキンの像や博物館を見た時もそう思ったが、チェーホフの博物館を見ても思ってしまう。「ウクライナに文学者はいないのか」と。

ロシア帝国やソ連の支配から抜け出したい気持ちがあった一方で、ロシアの文学者やエカテリーナ2世などロシアの皇帝を尊敬し観光の対象にしている。この違和感は、3ヶ国を巡っているあいだずっと胸の底から消えなかった。

次はヤルタ会談が開かれたリヴァディア宮殿に行った。1860年にアレクサンドル2世が建て、ニコライ2世が再築した宮殿である。

 1階では、ヤルタ会談が行われた部屋や円卓を見て回った。1945年の2月4日から11日にかけて、イギリスのチャーチル、ソ連のスターリン、アメリカのルーズベルトによる話し合いが持たれた。

国際連合の設立ほか、ポーランドやドイツの戦後処理が話し合われ、この線引きが戦後の東西冷戦のきっかけにもなった。ヤルタ体制の言葉が生まれたほど歴史的に名高い会談である。ソ連が対日参加を決めた協定も、この時にルーズベルトとスターリンの間で結ばれた。日本人には屈辱的なヤルタ協定は、こうしてこの場所で結ばれた。

ヤルタ会談の円卓 3首脳 イタリア庭園
 
ヤルタ会談が
行われた円卓


 教科書でお馴染みの
3首脳の写真
チャーチル・ルーズベルト・スターリン

 
左の写真を撮った
イタリア庭園
当たり前だが背景が同じ


「有名な写真はこの庭園で撮影されたんですよ」とガイドが指差す。教科書で見慣れている3首脳が椅子に座っている写真の背景は、たしかにここだ。なにはともあれ、教科書に載っている場所をこの目で見るのは嬉しいものだ。決して忘れないような気がする。

ツバメの巣2階はロシア皇帝最後のニコライ一家の展示。1917年の2月に退位させられた彼は、このリヴァディアだけは手放したくないと主張したが、許されるはずもなく国のものになった。ニコライ一家は後に銃殺されたが、一家の幸せそうな写真を見ると「革命とはいえ酷いことをするものだ」と思う。せめて子供だけでも助けてあげられなかったのだろうか。

ツバメの巣(左)が見えるレストランで昼食。ツバメの巣という断崖に建つ建物は、なぜ有名なのかわからないが、ヤルタの観光パッフレットには必ず載っている。1912年にドイツの富豪が建てた館。私たちは遠望しただけで、ツバメの巣には入ってない。

午後は1848年に完成したアルプカ宮殿へ。クリミアの長官だったミハイル・ヴォロンツオフ伯爵の館。北側はイギリスのチューダ王朝風の建物、南側はアラビア風のドームになっている。南門の下に6頭あるライオン像の1つ「sleeping lion」はチャーチルがとても気に入り、「葉巻をくわえさせたら僕だ」と言わしめたもの。たしかにチャーチルによく似ている。ちなみに、ヤルタ会談時のチャーチルの滞在先は、ここアルプカ宮殿だった。

アルプカ宮殿北側 アルプカ宮殿南側 チャーチルが気に入ったライオン像
 
アルプカ宮殿の北側
イギリスのチューダー王朝風

 
アルプカ宮殿の南側
アラビア風

 
南門の下に6頭のライオン像のひとつ
チャーチルが「葉巻をくわせさせたら
僕だ」と言わしめたライオン



今日の最後の立ち寄りは、マサンドラワインの試飲である。モルドバの試飲に続き、私には楽しくない時間だが、おとなしく聞いていた。10種類のそれぞれを、ガイドのマイヤさんが説明した。「胃腸に良い、風邪に効く、デザートにあう」などのコメントのほか、アルコール度、糖度などをそれぞれ読み上げた。ここでも1本買った。

ホテルに到着後夕食までに時間があったので、ホテルの周りをぶらついた。ヤルタの人口はわずか8万人。そのせいか繁華街といっても、品揃えは豊富とはいえない。リゾート地としてはともかく、生活するには少し寂しい場所かもしれない。

何度目かになるレーニン広場に行ってみると、生の楽団演奏で老若男女が踊っていた。聞いた話では、ほとんどが地元の年寄りの女性。ダンスを習っている人のために、土日は楽団が演奏してくれるそうだ。

夕食は、ヤルタ会談が開かれたリヴァディア宮殿のレストランでとった。食器やウェーターは気取っていたが、今回の旅でいちばん美味しくなかった。これまで旧宮殿ごとき場所での食事が、美味しかったことは一度もない。

                                           <ヤルタのブリストル泊>
                                               (2014年1月16日 記)

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