行きあたりばったり銅像めぐり
 16回

 魯迅 その2

 博物館裏庭で魯迅に会った後に、高校の同級生Yちゃんの家を訪ねることになっている。五色沼の向かい側にある「国際交流センター」まで、ご主人が迎えに来てくださった。待つまでの間、交流センターで、仙台の特産品や歴史年表を眺めていたら、そこにも魯迅がいた。(右写真)

 魯迅が在仙したのは、約100年前。市電が一緒に写っているところを見ると、もう市電が走っていたらしい。その市電も、今は撤去されてしまった。

 初対面のご主人にお願いしてみた。「同じような方向だから、魯迅の旧居跡に寄ってくれませんか」。Yちゃんは、「通り道じゃないけど、仕方ない、寄ってやるか」。

 旧居は、片平小学校の真ん前にある。Yちゃんは、片平小学校に通っていたので、探す間もなく見つかった。この一帯は、以前は東北大学の片平キャンパスがあった。大学の正門にも近い。

 ご覧のように、まさに旧居。偉人の旧居跡をわざわざ訪ねても、石碑が立っていればまだ良い方だ。新宿の夏目漱石誕生の地、終焉の地も、狭い広場と碑しかない。

 それに比べ、魯迅の旧居には、碑も立っている(写真の右下)が、家も残っている。旧居と言っても、もちろん下宿。この家には、今誰が住んでいるのだろう。人の気配はなかった。お待たせするのも悪いので、写真撮影だけで引き上げたが、ぜひ知りたいものである。100年前の家屋だとすると、貴重な建物かもしれない。

 翌9月7日の朝、泊まっているホテルから、一番町を通り抜け片平キャンパスまで歩いてみた。めずらしく夫と一緒の散歩。片平キャンパスと呼んでいるが、東北大は別の地(川内・青葉山)に移転して、もうここに学生はいない。

 片平キャンパスで思いもかけず、また魯迅に会ってしまった(左写真)。魯迅は、仙台では生徒だったのだから、「魯迅先生像」という表現はおかしいような気がする。

 結婚式が始まる前の控え室で、兄と話した。「お兄ちゃん、今朝、片平に行ったら、魯迅像があったよ」「魯迅像は川内だよ。片平なんかにあるもんか」「だって、今見てきたばっかりだもん」。仙台在住の兄も知らなかった像だ。10年ぐらい前に出来たらしい。

 ここには、魯迅以外に2つの像があった。真島先生の像。兄が言うには、有機化学の大家。「この時も寄付したんだよ」と、ぼやいていた。

 もうひとつは、旧制2高の学生のマント姿(右写真)。この写真の右奥に、魯迅像がある。この像のおかげで、旧制2高の校舎も、片平キャンパスにあったことを知った。

 医学部は、元々片平キャンパスではなく、別の地にあり、それは今も変わらない。魯迅の下宿が学校と離れていることが不思議だったが、謎が解けた。当時は、下宿に近い片平に、医学専門学校があったのだ。(左写真)
 
 右写真は元の化学教室の建物。父や兄の職場だった。歴史的に価値があるので、保存運動の対象になっている。ここに来れば父を思い出すことが出来る。前庭が公園に整備され、銅像、碑の格好な設置場所になったわけだ。

 化学教室の裏手に、「魯迅その1」に載せたように、段教室が残っている。魯迅像は、博物館裏庭よりも、ここにあってしかるべきだったのだ。(2003年9月27日 記)

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