行きあたりばったり銅像めぐり
  42回

ゲゲゲの鬼太郎

 10月16日から18日まで隠岐4島へ行ってきた。風光明媚で知られる島だが、後鳥羽上皇や後醍醐天皇が流された島でもある。後醍醐天皇が隠岐を脱出して建武の中興にいたる史実は、ナポレオンのエルバ島脱出にも似ている。そんな島に行ってみたかった。

 でも今回の銅像めぐりは、後醍醐天皇にはなんの関係もない、アニメの主人公・ゲゲゲの鬼太郎である。(右)。「ゲゲゲの鬼太郎」は水木しげるのマンガの主人公だ。独特のメロディーを、耳にしていらっしゃるだろう。

 隠岐へ渡るフェリーの出発地・鳥取県の境港市(左は境港駅と港)は、水木しげるアニメのキャラクターが、あふれていた。ポスト(左)の上にも、鬼太郎がいる。

 単なる港だと思っていたので、予期せぬ収穫があったようなものだ。得をした気分で、水木ロードを歩いた。

 水木しげる(本名は武良茂)は、1922年(大正11)に境港市で生まれた。幼少期から好奇心が旺盛で、近所に住む老婆(のんのんばあ)から不思議な話を聞き、妖怪や精霊に興味をもつようになったという。画家を夢見ていた青年時代に、太平洋戦争に召集されラバウルで片腕を失った。帰還後は、職業を転々としながらも絵筆を持ち続けた。神戸市兵庫区水木通りのアパートを経営し、住人の影響で紙芝居作家としてデビュー。「水木しげる」は、水木通りからつけられた。 

 水木ロードの中心は、2年前に開館した「水木しげる記念館」だが、入館する時間はなかった。パンフレットを見ると、水木作品以外に、世界中の妖怪も蒐集され、一見の価値がありそうだ。

 800bにわたる道の両側には、鬼太郎だけでも数体、ねずみ男、目玉おやじ、妖怪(左)など86体ものブロンズ像が並んでいた。非常に精巧に出来たブロンズなので、芸術作品としても見応えがある。電話ボックスも「鬼太郎の家」。(右)。

 鬼太郎やねずみ男に扮した2人がブラブラ散歩をしていて、気軽にカメラに収まってくれた。(左)。「ねこ娘」を乗せた人力車(右下)も走っている。乗る客がいないとみえ、車台に乗っての撮影を自分から勧めるほど、このおじさんも愛想がいい。町興しの意気込みが、痛いほど伝わってきて、切ないほどだ。

 訪れた16日は、土曜日で青空も見える日だったが、水木ロードを散策している人はまばらだった。一生懸命取り組んでも、観光客が来てくれなければ、どうしようもない。地方の過疎化は、ひとつのモノに頼っていたのでは、どうにもならないのではないか。

 もし、水木ロードがなければ、ここも、多くの地方都市と同じように、商店街のシャッターは降りたままだったかもしれない。おなじみ、鬼太郎まんじゅう、鬼太郎煎餅はもちろん鬼太郎ビールも売っていたが、旅は始まったばかり、この町で1円も使わなかった。悪いような気がしたが、いらないものが増えても仕方ない。

 境港の数時間で撮った写真は、隠岐3日間で撮った写真より多い。すべてお見せできないので、最後に2枚。町興しも、ここまでくると脱帽だ。鳥居が妖怪っぽい「妖怪神社」(左)もあった。神社建築は、どこの許可もいらず、思いつきで安易に作ってもいいらしい。何をご神体にしても罰せられることはないという話だ。

 下の写真は、プラットフォームに停車中の「鬼太郎列車」。境港から米子まで一駅間の一両編成だが、れっきとしたJRだ。外観はご覧のように水木ワールドだが、車内も、鬼太郎クン、妖怪クンらが迎えてくれるらしい。

 6月に礼文・利尻島に行った時に、レールが切れている北の果て「稚内駅」に立ち寄った。10月の隠岐の島行きでも、レールが切れている西の果て「境港駅」を見ることが出来た。両駅とも、単に駅と、切れている線路を見たにすぎない。

 こんなことを考えていたら、がぜん鉄道の旅をしたくなった。速いばかりが能じゃない。ゆっくりのんびり旅に、憧れる年齢になった。(2004年12月7日 記)



















感想を書いてくださると嬉しいな→
像めぐり1へ
次(大石内蔵助)へ
ホームへ