50回 2003年6月に始めた銅像めぐりは、50回目。「節目だから格調高い人物を」と考えぬでもなかったが、よりによって、架空の人物・シャーロックホームズ(右)に、出会ってしまった。 10月26日、私たち3姉妹夫婦は、母孝行と称して、軽井沢の万平ホテル(左)に泊まりに行った。母が元気なうちに、クラシックホテルを泊まり歩くことにした。日光の金谷ホテル、箱根の富士屋ホテルに続き、今回が3回目。 紅葉シーズンを選んで予約したが、ご覧のようにほとんど色づいていなかった。 軽井沢の広域マップに、「シャーロックホームズ像」と、小さく書いてあるのを見つけた。なぜ軽井沢に、ホームズがいるのか。行ってみれば、理由がわかるかもしれない。旧軽井沢から18号線を、追分方面に車を走らせた。 やっと探し当てた庚申塚公園(左)には、建物もなければ人もいない。ロンドンとは似ても似つかぬ寂しい木立の中に、ホームズは立っていた。 以下は、側にあった説明板の全文。原文のまま。 シャーロック・ホームズはおよそ100年前に約40年にわたって英国のロンドンで活躍した不滅の名探偵です。親友ジョン・H・ワトソンと共に住んだべーカー街221Bには、いまなお世界中から事件解決依頼やファンレターが殺到しています。 このようにホームズが愛されているのは、彼の推理能力とか犯人への温かい思いやりだけによるものではありません。当時、繁栄の頂点にあった大英帝国は、1880年代に転換期を迎えます。古い時代の英国紳士道を守りつつも、新しい科学への信頼を採り入れたホームズは、単なる一探偵としてではなく、正義と友愛と公平のシンボルとして今も人々の心に生き続けているのです。 アーサー・コナン・ドイル(1859〜1930)が書いたホームズ物語全60作品を翻訳家・延原謙がここ追分で全訳したのにちなんで、この地を選び、ホームズ登場100周年を記念してホームズ像野外彫刻を建てました。(1988年10月)。 シャーロックホームズを愛する会有志一同 要するに、延原謙という人が、追分宿の「油屋旅館」に滞在して、ホームズ全集を翻訳したということだ。軽井沢の追分は、中山道69宿のひとつ。18号線と平行した中山道に、かつての宿場町の面影を見ることが出来る。「油屋」も残っているらしいが、見過ごしてしまった。 これだけの縁で、銅像を立ててしまう、「愛する会」の情熱には、恐れ入った。さすがのホームズも、自分が、なぜこんな場所に立っているか、推理できないに違いない。 私は、「愛する会」の足下にも及ばないし、シャーロキアンだと言うつもりもないが、ホームズ全集は、ほとんど読んでいる。ルパンとホームズが対決したら、どっちが勝つだろうかと、議論したこともある。 ロンドンに行ったら、まずべーカー街を訪ねようと、前から思っていた。ツアーではなく、個人でロンドンを訪ねた1996年の夏に、この夢が実現した。もう10年になる。 地下鉄「べーカーストリート」(右上地図)から3分も歩けば、左のようなビクトリア朝の建物を見つけることが出来る。博物館のパンフレット表紙だが、実際に、こういうビルが残っている。 今は博物館になっているが、1881年から1904年まで、ホームズはワトソン博士やハドソン夫人と一緒に、ここで暮らしていたのだ。「小説の登場人物の家があるなんて変じゃない」と、野暮なことは言わないで欲しい。 ホームズの書斎に入れてもらい、暖炉の前のソファに座った。鳥打ち帽子も被ってみた。パイプだって吸っても良い。 愛用の拡大鏡・変装道具一式・化学実験装置も見てきた。 ワトソン博士の部屋にも入ってみた。名刺までもらってきた。こうなっかたからには、彼の家を訪れたとしか、言いようがないのだ。(2005年11月6日 記) 感想を書いてくださると嬉しいな→ 銅像めぐり1へ 次(ベルツ博士)へ ホームへ |