行きあたりばったり銅像めぐり
 52回

 恵比寿さま

 新年に相応しい像・恵比寿さま(右)を取り上げることにした。なぜ恵比寿さまが目出度いのか知らないが、新年に七福神めぐりをする人が多い。

 七福神は、七柱の福徳の神で、大黒天・恵比寿・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋を言う。他の神が仏教や中国の高僧に由来しているなかで、恵比寿さまは、唯一日本古来の神様なのだ。日本古来の神ということに異説もあるが、少なくとも他の神は、日本の神ではない。

 さて恵比寿さまの像はどこにあるか。浅草七福神めぐりをした時に、恵比寿さまを祀る浅草神社に行ったが、実際の像は見ていない。

 JRの「恵比寿駅」には、あるような気がした。もちろん、恵比寿さまを探しに恵比寿に行ったのではない。1月6日に、恵比寿ガーデンプレイスで上映している映画・「ガラスの使徒」を見に行ったのだ。

 いつものように、銅像めぐりは、ついでだ。ダメもとで「この辺りに恵比寿像はありますか」と駅員に聞いてみた。「あーそれは、西口にありますよ」と、あっけないほど簡単に教えてくれた。西口は、ガーデンプレイスの出口とは違うので、聞かなければ見過ごすところだった。

 恵比寿さまは、海上・漁業の神から転じて、商売の神でもある。江戸東京博物館に1月13日に行ったときに、ロビーに大きな熊手が飾ってあった。左は、熊手の飾りの1つ・恵比寿さま。銅像と同じく、烏帽子を被り、右手に釣り竿、左手に鯛を持っている。

 ご覧のように、「えびす顔」だ。えびす顔で鯛を釣っていれば、これだけで、目出度いような気分になってくる。

 恵比寿は、1994年に「恵比寿ガーデンプレイス」がオープンして、オシャレな街に変身したが、1889(明治22)年に、日本麦酒醸造会社が工場を建てた頃は、三田村という村にすぎなかった。

 1890年にヱビスビールが生まれ、そのビールを出荷するために1906年に「恵比寿駅」が作られた。恵比寿通りという町名が生まれたのは、1928(昭和3)年である。

 ガーデンプレイスが出来た頃に、「ビールが先か、駅名が先か、町名が先か」が話題になったが、ビールの名が駅名になり、町名にまでなったのだ。

 「ガーデンプレイス」は、サッポロビール(日本麦酒を改称)の恵比寿工場が、千葉に移転するに伴い、開発された。サッポロビールの本社と隣接して、麦酒記念館(右)があり、麦酒の歴史や製造法を見ることが出来る。見学は無料だが、ビールの試飲は有料だ。工場見学というと、無料で提供される場合が多いが、こんな街中で無料にしたら、毎日通う人が出てくるからだろう。

 恵比寿像があるぐらいだから、恵比寿神社もあるかもしれない。インフォメーションで聞いてみたら、やっぱりあった。サッポロビール本社裏の分かりにくい所に建っている小さい神社(地図の左上)なので、聞かなければ気づかなかったろう。祭礼の日(10月20日頃)には、べったら市が出るなど、賑わうらしい。

 神社の立て札には、次のような説明があった。「当神社は明治26年、日本麦酒醸造会社(現サッポロビール株式会社)が兵庫県西宮神社から商売繁盛の神・恵比寿大神を勧請し、工場内にお祀りしたことに始まります。平成6年、恵比寿ガーデンプレイス竣工に伴い、神殿を建立し今日に至っています」

 そうだったのか。なぜヱビスビールという名前にしたのか疑問だったが、ビールの名前も、駅の名前も、町の名前も、すべて、西宮の恵比寿神社にルーツがあったのだ。ちなみに、西宮、京都、大阪の恵比寿神社が三大恵比寿神社だという。

 今回の銅像めぐりは、銅像そのものより、恵比寿駅や恵比寿の街のルーツを知ったことが面白かった。だが、まだまだ謎はある。えびすの字は、恵比寿、恵比須、恵美寿、蛭子、夷、戎とたくさんある。恵比寿と書くと、七福神に相応しいが、戎や夷となると、蝦夷の荒々しい武士を想像する。「あずまえびす」という言葉もあるぐらいだ。蛭子というと、足腰が立たない子を指す。イザナミとイザナギの子供が、蛭子だったという説もある。どの漢字も、無関係ではないらしいから、なおさらややこしい。(2006年1月13日 記)

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