行きあたりばったり銅像めぐり
 58回

  アンデルセン

 6月28日から15日間の北欧ツア−に行ってきた。デンマークのコペンハーゲンに行けば、アンデルセンの像に会えるだろうの期待通り、市庁舎近くに、大きくて立派な銅像が建っていた。

 なかなかの人気者で、旅行者にいつも取り囲まれている(左)ので、像だけの写真(右)は、かなり粘ってやっと撮った。

 私にとって、コペンハーゲンと言えば、アンデルセンなのだ。ダニー・ケイ主演のミュージカル映画「アンデルセン物語」を見たことがある。「♪  ワンダフル ワンダフル コペンハーゲン ♪」と歌いながら、軽やかにステップを踏むダニー・ケイの姿とメロディーは、いまでも目に浮かんでくる。

 検索して、1952年に作られた映画だとわかった。当時はハリウッド映画が、アメリカと同時に公開される事はなかったし、安い映画館の場合は、もっと遅れた。1952年の数年後に見たような気がする。ちなみに、ネットでDVDも500円で買うことが出来、レンタルと値段は変わらない。

 映画は、靴直し屋の彼がコペンハーゲンに夜逃げしてきたところから始まるが、アンデルセンも、1805年に、デンマークのオーデンセで貧しい靴職人の子として生まれた。去年は生誕200年の行事が、デンマークではもちろん、日本でも行われたという。

 オーデンセは、コペンハーゲンから鉄道で1時間半ぐらいの距離にある。ガイドブックを見ると、アンデルセンの名のついた博物館や公園があり、彼の生まれ故郷にふさわしい街作りをしている。

 14歳で役者を志してコペンハーゲンに出たが、役者では大成しなかった。しかし、イタリア旅行を綴った「即興詩人」を著し作家として認められる。それ以上に評判になったのは、1835年に発表した童話集である。以後、1875年に亡くなるまで、およそ150編の童話を書き「童話の王様」と呼ばれるまでになった。

 アンデルセンが住んでいた部屋が、コペンハーゲンを代表する景観地・ニューハウン残っている(左)。ニューハウンは、運河沿いにカラフルな木造の家が並んでいるエリアだ。

 ビルの2階、プレートがついているところが、アンデルセンの部屋。プレートには、1835の字が書いてあった。1835年は、童話を発表した年。初期の童話を書いた部屋が、そのまま残っていることに、あらためて驚いた。東京には、200年前の住居など、1軒もないのではないか。

 アンデルセンの童話で思いつくものはたくさんある。「みにくいアヒルの子」「おやゆび姫」「マッチ売りの少女」「人魚姫」「はだかの王様」「乞食王子」「鉛の兵隊」・・・。

 そのひとつ「人魚姫」の像が、コペンハーゲンの海辺にある。この像もアンデルセン像と同じく、大人気。左は、自由時間に乗った運河めぐりの舟上からの撮影。

 右は陸からの撮影。人がいない写真を撮るのは難しく、いそいでシャッターを押した。

 有名なビール会社・カールスバークの2代目社長が、1913年に彫刻家・エッセンに作らせた。モデルは王立劇場のプリマドンナで、これが縁で、エッセンの奥さんになったそうだ。

 ガイドのエイコさんは「この像は何度も何度も災難にあっているんですよ。首が切り落とされたり、腕がもぎ取られたり。2003年には爆破されて、胴体が海に投げ出されたんです」と、おかしそうに話してくれた。爆破の犯人は、「人魚は海にいる方が幸せだ。海に帰してあげよう」と考えたらしい。物騒といえば物騒だが、言われてみればその通り。

 グリム童話やアンデルセン童話を夢中になって読んでいた少女の頃は、童話を通して王さまや王女さまの世界にあこがれ、美しい挿絵に感動し、ヨーロッパが夢の国のように思えたものだ。

 しかし、子どもが小さい時に再び手に取ってみると、悲しい話が多く、ロマンチックでもなんでもないことに気づいた。「人魚姫」は、王子のためにつくしても、最後は泡になって消えてしまう。王子だけが、ぬくぬくと幸せになる。えらい人のために、身分の低い者は、犠牲になれと言ってるようにも思える。「マッチ売りの少女」も、クリスマスの夜に凍死するなぞ哀れすぎる。これでは貧乏人は救われない。「みにくいアヒルの子」は、白鳥になった元アヒルはハッピーだが、最後まで醜いままのアヒルの身になってみると可愛そうだ。一生、白鳥になれず醜いままの私は、どうしても僻んでしまう。

 そういえば、「ほんとは怖いグリム童話」という本があったが、アンデルセン童話も「ほんとは惨めな童話」かもしれない。少なくともメルヘンチックな世界とはかけ離れているように思う。
(2006年7月26日 記)

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