行きあたりばったり銅像めぐり
  76回

 桃太郎

桃太郎像 今回は、誰でも知っている「桃太郎」。桃太郎伝説の地は、主な所だけで岡山県・香川県・愛知県と3ヵ所もある。

 私にとって桃太郎はおとぎ話の主人公でしかないが、物語の背景には大和政権成立当時の争いがあるらしい。

 2009年4月11日から13日まで、須磨→屋島→壇ノ浦と平家滅亡のルートをたどる旅をしてきた。四国の屋島に渡るには、岡山で高松行きのJRに乗り換えねばならない。乗り換え時間の20分を利用して、岡山駅前にある桃太郎(左)に会ってきた。

 桃太郎の右肩に乗っているのは雉だが、猿の上にも鳥がいる。台座にも鳥がいる。この写真を見て「おや?」と思う方がいるかもしれないが、本物の鳩が銅像を賑わしているのだ。

 むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがありました。まいにち、おじいさんは山へしば刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。
 ある日、おばあさんが、川のそばで、せっせと洗濯をしていますと、川上から、大きな桃が一つ、「ドンブラコッコ、スッコッコ。ドンブラコッコ、スッコッコ。」と流れて来ました。
(「日本の神話と十大昔話」講談社から)

 子どもの時には何とも思わなかったが、読み聞かせをする頃になって「なぜおじいさんは山へ芝刈りに行くんだろう。山に芝なんか植えてないのに」と疑問がわいた。この「しば」は雑木のことで、柴と書くことを知ったのは30歳を越していた。桃太郎というとこんな自分の無知を思い出す。

 桃太郎さん、桃太郎さん、お腰につけた黍團子、一つわたしに下さいな。
 やりませう、やりませう、これから鬼の征伐に、ついて行くならやりませう。
 行きませう、行きませう、あなたについて何處までも、家來になって行きませう。
 そりや進め、そりや進め、一度に攻めて攻めやぶり、つぶしてしまへ、鬼が島。
 おもしろい、おもしろい、のこらず鬼を攻めふせて、分捕物をえんやらや。
 萬萬歳、萬萬歳、お伴の犬や猿雉子は、勇んで車をえんやらや。

 この唱歌もよく知っている。メロディが楽しいので何となく口ずさんでいたが、よく読むと、勇ましい言葉ばかりだ。1911(明治44)年、尋常小学校唱歌として登場したと知って納得した。1911年と言えば、富国強兵がスローガンだった頃。

古戦場展望 岡山駅に桃太郎像があるのは、以前訪ねたときに見て知っていた。当時は銅像など興味がなかったから写真を撮っていなかっただけで、ばったりの出会いではなかった。

 でも屋島で見た「鬼ヶ島」は、まったく予期せぬ出会いだった。高松駅で観光タクシーを頼み、「那須与一の扇の的」や「義経の弓流し」、義経の身代わりになった佐藤継信の菩提寺・洲崎寺、血の池など、源平ゆかりの地を巡ってもらった。

 古戦場の展望台(上)から海や島を眺めていた時に、運転手さんが思わぬ話をしてくれた。

鬼ヶ島 「あそこに見えるのが女木島(左)。隣にあるのが男木島。なぜか女木島の方が大きいんですが、あの島は桃太郎が鬼退治をした鬼ヶ島です」。「今では100人ぐらいしか住んでいませんが、鬼の洞窟も残っています。鬼をテーマにした博物館もあります」。

 家に帰ってからネットで見たら、確かにそれらしき洞窟があって、観光スポットになっている。「鬼が住んでいたと言われても、おとぎ話だからなあ〜」と思うが、せっかく説明してくれる運転手さんの気分を悪くさせてもいけない。世界中、ざらにあることなのだから。

屋島の日没 岡山駅で会った銅像にぴったりの観光スポットに、他の県で出会う不思議。それもわずか3時間後のことだ。こんなハプニングがあるからこそ、少々面倒でも手作りの旅は止められない。桃太郎は、舟で鬼退治に行ったのだから、対岸の県に鬼ヶ島があっても、なんら不思議はないのだけれど。

 屋島の古戦場の展望台に着いたのは、もう暮れかけていた。朝早く首都圏を新幹線で出発して西明石まで。西明石から須磨までJR神戸線。また西明石まで戻って新幹線で岡山へ。岡山から瀬戸大橋線で高松へ。

 学生時代には、時刻表とにらめっこして手作りの旅をしていた。この年齢になると何度も乗り換えるのはつらいが、バスツアーにはない楽しさがある。一度やったら病みつきになる。

 運転手さんに頼んで心ゆくまで屋島の日没(左)を楽しめたのは、こんな旅だからだ。「僕もこんなきれいな夕日を見たのは久しぶりですよ」と言っていた。

 桃太郎の鬼退治も源平合戦も、血で血を洗う争いだった。そんな人間の野望など、とても小さなことに思える大きな真っ赤な太陽がゆっくりと沈んでいった。
(2009年4月18日 記)

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