83回

 ヘミングウェイ

 2010年の8月に、バルセロナからサンチャゴ・デ・コンポステーラまで、スペインの北部をまわってきた。途中のパンプローナで、ヘミングウェイ(左)に会った。「巡礼の道」をめぐる旅だったので、ここでアメリカの作家に出会うとは思ってもみなかった。

 パンプローナは、7月6日から14日にかけての牛追い祭りが有名だ。この祭りが世界に知られるようになったのは、ヘミングウェイがこの地に滞在して書いた小説「日はまた昇る」に、牛追い祭りが出てくるからだという。

 主人公の新聞記者と愛人の心の葛藤が、パンプローナを舞台に描かれている。若い闘牛士も登場する。銅像が、闘牛場の前庭に立っているのもうなずける。

 ヘミングウェイを知らない人がいるかもしれないが、私が若い時によく出版された世界文学全集には必ず入っている著名な作家だった。「日はまた昇る」「誰がために鐘は鳴る」「武器よさらば」「老人と海」を読んだような気がする。「武器よさらば」と「老人と海」は映画も見た。でも、内容となるとよく覚えていない。

 ヘミングウェイは、1899年にアメリカのシカゴで生まれた。亡くなったのは1961年。猟銃による自殺だったのでそのニュースを覚えているが、「作家ってよく自殺するなあ」と思ったに過ぎなかった。

 これを書くにあたって調べたところ、「老人と海」でノーベル賞とピュリッツァー賞を受賞した1954年に、2度の航空機事故に遭い、その後遺症による自殺だという。4度も結婚したので、作家や女優として活躍している孫がたくさんいるそうだ。

 パンプローナを訪れたのは8月後半。牛追い祭りから1ヶ月も後だったが、観光の目玉は牛追いだ。囲い場から闘牛場までの牛の通り道を歩きながらガイドが案内してくれた。祭りは、市庁舎のベランダから、市長が開祭宣言をすることから始まる。牛が駆け抜ける道には杭が立っていて、道からそれないようになっていた。

 ときどき牛に突き飛ばされて死者も出る祭。なぜこんな危険な目にあってまで参加するのだとろうと思う反面、日本でも死者が出る祭はたくさんある。心を騒がせる何かがあるのだろう。

市長が開祭宣言する市庁舎のベランダ。 牛を追いかける人、追いかけられる人の姿がユーモラスに描かれている。 大きい闘牛場だが、スペインでは闘牛が禁止されることになった。建物は何に使うのだろうか。

 闘牛場の近くには、ヘミングウェイが滞在していたホテルがまだ営業している。そう古い話ではないから残っていても不思議はないのだが、すぐ改装したり撤退する日本のホテル業界とつい比べてしまう。

 ホテルと通りをはさんで隣に、ヘミングウェイが毎日通ったというカフェ「IRUNA」も当時の姿を留めている。クラシカルな外観のドアの上には、1888と彫ってあった。120年以上の歴史を持っているカフェだ。

 自由時間にお茶を飲むために、どうせならこのカフェに入ろうと、ドアを開けて驚いた。等身大の彼(左)が、こちらを向いていた。あまりのリアルさにぎょっとしてしまった。

 1人の作家が、観光におよぼす影響の大きさを感じずにはいられない。ヘミングウェイが「日はまた昇る」の舞台に使わなかったら、パンプローナはこれほど有名にならなかったかもしれない。

 バスク民族主義者にとっては首都のようなものだと聞いているが、わずかの滞在時間では、牛追い祭りと、巡礼の道の通過点を確認したにすぎなかった。スペインから独立したがっているバスクの人たちの素顔は見えなかった。

        (2010年10月23日 記)
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