行きあたりばったり銅像めぐり
   90回

 フランシスコ・ザビエル

266代のローマ法王が、フランシスコ1世に決まった。新法王がイエズス会の出身だと知り、「イエズス会と言えばフランシスコ・ザビエルでしょう」と、ザビエル(左)をとりあげることにした。

日本でのカトリック信者は非常に少ないが、フランシスコ・ザビエル(1506年~1552年)は有名だ。「日本に初めてキリスト教を伝えた人」として、教科書に肖像画も載っているからだ。

左の銅像は、鹿児島市内のザビエル公園にある。教科書の絵と印象が違うが、どっちが本人に近いのかなあ。

ザビエルは、スペイン北部のバスク地方で、地方貴族の子として育った。スペイン北部をめぐるツアーに参加したことがある。牛追いで有名なパンプローナに向かう道すがら、「左の方向に、ザビエルが生まれたザビエル城があります」とガイドが説明した。司馬遼太郎の「街道を往く-南蛮路-」にも登場するザビエル城。行ってみたかったが、ツアー旅の悲しさ。日程表にない場所に立ち寄ることはできない。遠くから眺めるだけで終わった。

パリ大学に留学中に聖職者になることを決め、イグナティウス・ロヨラらの仲間とイエズス会を作った。ポルトガル王・ジョアン3世に頼まれて、ポルトガルの植民地だったインドのゴアに赴任。

日本に来たのは、彼がゴアに滞在中のことだ。1549年4月にゴアを出発した一行は、マラッカを経由して1549年8月に鹿児島の錦江湾に着いた。今の鹿児島市祇園之洲町。

2011年12月に、鹿児島を気ままに歩き回った。祇園之洲公園の東郷平八郎像や薩英戦争の砲台跡を見学。そのあと錦江湾に向かうとザビエル上陸記念碑や像(左)が立っていた。

埋め立てなどで、多少は位置が違っているようだが、上陸したのがここらであることは確かだという。約460年前にザビエル一行が降り立った地に、自分もいる。ただそれだけで感慨深い。

薩摩の守護大名・島津貴久に謁見して、宣教の許可も得た。でも貴久が次第にキリスト教に疑問を持ち始めたので、鹿児島を去り京都を目指した。

平戸、博多、山口、岩国、堺を経て京都に入ったが、当時の京都は幕府が機能していない混乱状態。京都にはわずかしか滞在しなかった。

山口の大内義隆は、廃寺の大道寺を教会として与えるなどキリスト教の布教を許可した。2か月で500人もが入信したそうだ。

その後、豊後(大分)の大友宗麟の保護を受け布教活動を行い、信者を増やした。

こうしてみると、上陸地鹿児島では、めぼしい活躍がない。でも鹿児島には、上陸地とは別に、ザビエル公園も整備されている。繁華街の天文館通りや、西郷隆盛銅像が立つ中央公園から歩ける距離にあり、ザビエルが大事にされていることが分かる。

新婚時代にザビエル公園のそばに住んでいた友人に、その場で公園の胸像を写メを送ったら「なつかしい!」のメールが返ってきた。

     

公園内にある胸像
鹿児島にある像のどれもが
顔が違って面白い
 
ザビエル来航450年を記念して
1990年に作られた
ザビエル、ヤジロウ、ベルナルドの像
公園の向かい鹿児島カテドラル
ザビエル教会にある立像


意外にも、ザビエルが日本にいた年月は短い。中国での布教の必要性を感じ、1522年に中国の広東・上川島に到着。しかし中国での布教がかなわぬまま、その地で亡くなった。46歳の若さ。日本にキリスト教を伝えてから、わずか3年後のことだ。

遺骸をインドのゴアに送るときに、いっときマラッカに安置された。マレーシアのマラッカで、ザビエルの遺体が安置された教会を訪れたことがある。

その教会・セントポール寺院は朽ち果てて、今は教会の役目をしていない。ザビエルの像も立っているが、なんとなく安っぽい。ザビエルが亡くなった頃のマラッカは、カトリックの国ポルトガルに支配されていた。その後、プロテスタントの国オランダやイギリスが支配したので、カトリック寺院は放置されてしまった。いずれにしても、今のマレーシアはイスラム国家だ。

遺体安置場所は、金網で覆われている。金網があるとコインを投げたくなるらしい。たくさんのコインが散らばっていた。見学に来ていたスカーフを被った小学生が、かわいらしい。

 
荒れ放題のセントポール寺院
地下にザビエルの遺体安置所がある


遺体が置かれた所を金網越しに
見る小学生 

 
セントポール寺院の側に立つ
ザビエル


ザビエルが生まれたスペインのザビエル城を遠望し、日本に初上陸した鹿児島の地を歩き、遺体をいっとき安置したマラッカを訪れた。新法王がイエズス会だと聞いて、古い写真を取りだしてこの頁を作ったが、旅の細部を思い出して楽しかった。
                                                (2013年4月9日 記)

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