行きあたりばったり銅像めぐり
   94回

  吉田松陰

松陰像大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公が吉田松陰の妹ということもあり、今年はちょっとした松陰ブームだ。吉田松陰ゆかりの地は、生地の萩にもあるが、実は東京にもたくさんある。

東京の松陰ゆかりの地といえば、小伝馬町の刑場跡や直後に葬られた小塚原の回向院がある。刑場跡の中央区の十思公園には、碑が建っている。荒川区の回向院には、遺骨が入ってない墓がある。遺骨は、今ある若林の地に伊藤博文らによって移された。

東京でいちばん松陰を感じることができるのは、世田谷区の松陰神社だ。世田谷線の「松陰神社前」から3分も歩くと、鳥居が見える。家から割と近い事もあって何度も来ているが、ぶらっと境内を歩くだけだった。

ドラマで松陰が処刑された次の週に行った時は、宮司が説明してくれたおかげで、いろいろなことが分かった。ガイドはありがたい。

左は平成25年4月に完成したブロンズ像。2年しか経ってないが、明治23年に大熊氏廣が制作した石膏像が原型である。鎮座130年の記念に、東京芸術大学に依頼して、石膏からブロンズを鋳造したと説明がついている。ちなみに、大熊氏廣は近代彫刻の先駆者で、靖国神社の大村益次郎像も制作している。

松陰の墓吉田松陰は、1859年の「安政の大獄」で、29歳という若さで処刑された。4年後の1863年、松下村塾門下生の伊藤博文や高杉晋作らによって、遺骨は回向院から若林に移された。若林が長州藩の地だったからだ。それ以来、松陰の墓(左)は若林の松陰神社の境内にある。

松下村塾の塾生たちの師に対する敬愛は、墓の移転ばかりではない。松陰を神様にしてしまった。1882(明治15)年、この地に小さな神社を作った。明治15年といえば、幕末明治の動乱が一段落。長州藩の志士たちが、明治政府で幅をきかせていた頃である。当時の世相から言って、神社を作ることに反対は出ない。

この神社のご神体は、脇差である。ちなみに、萩のご神体は赤間硯。松陰神社ご神体というと、三種の神器、巨大な樹木や石、霊験あらたかな山などを思い浮かべる。なにやら神秘的だ。でも、松陰神社のご神体は松陰が愛用していた品物で、どう考えても神秘的ではないが、「鰯の頭も信心から」。なんでもいいのかもしれない。

今ある神社(左)は1927(昭和2)年造営の立派なもので、創建当時の小さな神社は、本殿の中に納まっている。年に数回は、拝謁できるらしい。


松陰は、偉大な教育家・思想家として教科書にも載っている。でも松下村塾の塾生がそろって出世していなければ、教科書に載ることも、神社に祭られることもなかったかもしれない。歴史のあやは面白い。

現在は「松陰は英雄でもなんでもない、単なるテロリストだ」と、主張している歴史家も数多くいる。ここは銅像めぐりの場だから、どちらが正しいかなど検証するつもりはないが、銅像や神社は時代が反映されていて興味深い。

石灯籠奉納者   徳川家奉納
 
石灯籠の奉納者

 
徳川家の奉納灯篭

境内にはたくさんの石灯籠がある。奉納者(上の左)の名前を見ると、長州藩出身の有名人ばかり。旧藩主の毛利家、総理大臣経験者は奉納者だけでも、伊藤博文、山縣有朋、桂太郎、寺内正毅と4名もいる。

長州藩出身者の奉納は頷けるが、徳川家も奉納(上の右)していることに驚いた。ガイドしてくれた宮司に「なぜ徳川家が奉納しているんですか。徳川幕府の大老・井伊直弼によって、松陰は処刑されたわけですね。お詫びの意味があったのでしょうか」と聞いてみた。「いきさつは聞いていません」とはっきりした答えは得られなかった。

松下村塾講義室明治になってからの徳川家は敗者である。徳川家は、長州藩の御威光にひれふすしかなかったような気もする。

ところで、萩の松下村塾を原寸大に模作した松下村塾が境内に建っている。神社に隣接する国士舘大学の構内にあったものを移設したという。「本物と違うところは、トイレがないところだけで、あとはまったく同じです」と説明してくれた。

萩の松下村塾は世界遺産候補だが、萩に行けない人でも、雰囲気だけは味わえる。左写真は、講義室。

松陰像松下村塾の隣に、もう一体、松陰の銅像が建っている。見比べると刀を差していなかったり、本を持つ手が左と右など多少の違いがある。

この銅像の由来は、説明を聞きそびれたが、創建130年の一昨年に、別に新しく作ったところをみると、こちらは、重要視されてないのかもしれない。

ところで松陰神社のすぐ近くに、豪徳寺(世田谷線の「宮の坂」駅徒歩5分)がある。1633年に彦根藩主の井伊直孝が菩提寺として創建した。井伊直弼など彦根藩士の墓が並んでいる。

彦根藩の井伊直弼は、銅像めぐりの第1回でとりあげた。言うまでもなく安政の大獄で吉田松陰らをを処刑した大老だ。大老も、翌年には桜田門外の変で暗殺される。

数奇な運命をもった二人の墓が至近距離にあるのは、偶然とはいえ面白い。        (2015年6月9日 記)


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