イギリスの旅3
ネッシーとグラスゴー

8月10日(日)-5日目

 出発までに時間があったので、ネス川沿いを散歩した。橋の上で会った若い女の子に「どこから来たの?」と聞いたら、「スイス」と英語で答えてから「去年は日本の矢板に行きました」と日本語で話し出した。矢板(栃木県)で農業ボランティアをしたそうだ。「来年は京都大学で学びたい」と言っていた。日本で学びたいスイス人もいるんだなあ。

ネッシー像そもそもインバネスという最果ての町が有名なのは、近くにあるネス湖のネッシー伝説のおかげだ。今日はそのネス湖に行く。ホテルから20分ほどの所にネッシーのセンターがあったが、開いていない。センター隣にある小さな沼にネッシー像(左)が浮かんでいた。笑っちゃうほどオモチャのようなネッシーがいた。

ネッシー最初の記録は565年。聖コロンバは村人を苦しめる怪物を追い払ったという。「ネッシーを見た」というニュースが何度か、世界を駆け巡った。日本でも石原慎太郎が探検隊を出したりしたが、いまだにネッシーは現れていない。

ネス湖とアーカート城ネス湖は南北に38qと細長い湖で最大水深は290m。このネス湖を見下ろす地に建っているのがアーカート城(左)だ。先住民のピクト人の砦だったと言われるが、1230年にスコットランド王がダワード一族に城を建てさせた。

その後1296年にイングランド王エドワードに支配されたが、再び1509年にはダワード一族のものに。1688年の名誉革命後、逆用されることを恐れたダワード一族は、自ら城を爆破させた。

その後再建されることもなく今にいたっているが、ネッシー伝説がある湖のほとりに建つ城は廃墟だからこそ、ふさわしいような気もする。天気も悪く、ときおり風混じりの雨が降ってきた。天気の悪さが廃墟の雰囲気に拍車をかけた。

カレドニア運河次の目的地、フォート・オーガスタのカレドニアン運河(左)に着いたときは、本降りになった。インバネスとフォート・ウイリアムスの約96qを結んでいる運河。1822年に完成した人工の水路で29もの水門がある。

ちょうど船が通り、水門を開けて水位を調整する場面を見ることができた。スエーデンから自分の船で来ている老夫婦に会った。ゆったりした旅。羨ましい反面、自分で操縦するなんて面倒くさいなとも思う。

昼食後も雨は続いている。スリーシスターズという山がみえるはずのグレン・コーの谷に寄った。「氷河が削られてできたU字谷と山並みがきれいなんです」と添乗員は言うが、ほとんど見えない。

マクドナルド一族が、オレンジ公ウィリアム(名誉革命でオランダから英国に迎えられたウィリアム3世)に忠誠を誓う文書の提出が遅れたために、虐殺された谷だという。一族というからには、大量虐殺だったのだろう。スコットランドをめぐっていることもあって、イングランドの横暴を何度も聞いた。独立を望む声が分からないでもない。

ローモンド湖とラス村まだ雨は続いているが、イギリスでいちばん大きいローモンド湖のほとりにあるラス村(左)を散策した。壁一面に花が飾ってある可愛らしい村。村人でもいればいいけれど、観光客ばかりだから写真を撮っても絵にならない。

6時頃グラスゴーのホテルに着いた。スコットランドでは人口が一番多い。それでも70万人。グラスゴーは、産業革命の頃に重工業の中心地として栄えた。残念ながら、当時を思い起こさせる場所は見学に入っていない。車窓からの印象にすぎないが、華やかさに欠ける街だ。独立をめぐる住民投票で、グラスゴーでは独立賛成派が過半数を超えた。失業者や低所得者が多いのかもしれない。現状を打破したい気持ちは分かる。

                                  <グラスゴーのジェリーズイン泊>

8月11日(月)-6日目

駅ホテルが鉄道駅のすぐ側にあることは知っていたが、窓を開けて驚いた。目の前にプラットフォームがあり、列車が止まっていた。「Glasgow Central」の文字もはっきり見えた(左)。

出発前に駅に行ってみたが。インバネスと同じように改札口があり、プラットフォームには入れなかった。「クライド川では、蒸気船クルーズをしている」とガイドブックにあった。乗る時間もないし蒸気船は見なかったが、物資を運ぶために蒸気船が行きかう賑やかな川の光景を想像してみた。

キャンベルさんという男性ガイドの案内でグラスゴーイギリスの旅1の地図参照)をめぐる。まずハウス・フォー・アン・アートラバーに行った。旅行会社のパンフレットにあるカタカナを見ても、意味が分からない。House for an Artlover「芸術愛好家のための家」と分かったのは、帰国後に調べたからだ。

チャールズマッキントッシュという建築家の設計。インテリアは奥さんのマクドナルドが手掛けた。設計されたのは1901年だが、当時は人気がなくて実際に建てられたのは1996年。

マッキントッシュ設計の家 マッキントッシュ設計の家 マッキントッシュ設計の家

芸術愛好家のための家
 
 
シャンデリアもすっきりしている
 
100年前の設計とインテリアとは思えない

100年以上前の設計にしては実に垢抜けしている。芸術愛好家なら好きになるような家だと思うが、どうして受け入れられなかったのだろう。

グラスゴー大学グラスゴー大学(左)で写真ストップ。スコットランドで2番目に古い大学だ。「自分の出た大学の写真も撮ってないのに、こんなのどうでもいい」と言いながらシャッターを押している人がいた。確かに外観だけ撮ってもさほど意味がないが、私もカメラにおさめた。

次のグラスゴー大聖堂も外側だけの見学。スコットランドの聖堂は宗教改革のときに破壊されたものが多いが、ここのは15世紀当時の姿を残している。

次に向かったジョージ広場は、グラスゴーの中心広場。12もの彫像があり、銅像ウオッチャーとしては楽しみにしていたが、傘をさしていられないほどの突風まじりの雨が降ってきた。見学どころじゃなくバスに駆け込んだ。帰国後に地図を見たらホテルからも近い。知っていれば朝の散歩で行ったのに。

1ポンドショップ中華の昼食をとった時に近くの1ポンドショップ(左)で、足の悪い人がスリッパを忘れて困っていたので、買ってあげた。日本の100円を真似たのかどうか、アメリカにも1ドルショップがあったし、スコットランドも数軒見つけた。でも1ポンドは180円だから、日本とたとえ品質が同じでも高いものにつく。

昼食後、スコットランド最南の街であるグレトナ・グリーンで休憩。イングランドでは18世紀に婚姻法が制定され、21歳以上で両親の同意が必要という制約ができた。スコットランドでは16歳以上であれば親の同意なしでも結婚できた。

そこでイングランドのカップルは、スコットランドのグレトナ・グリーンに逃げこんだ。村の入口にある鍛冶屋が、結婚式の司祭を引き受けるようになったという。こうして鍛冶屋は、駆け落ち婚の救済所になった。今は観光の名所になっていて、落ちでないカップルの結婚式も多い。私達の滞在は30分ほどだったので、カップルを見かけることはなかったが、いかにも国境の街らしいエピソード。

ハドリアヌス城壁グレトナ・グリーンを出発してすぐwelcome to England という看板があった。ここからはイングランドの観光になる。境界から20分ほど走っただけで、ハドリアヌスの城壁(左)。全長117qの城壁があったという。ローマ帝国最北がここだったと思うと、感慨深い。

ローマ帝国の滅亡から1600年も経っているから、もちろん原型をとどめていないが、多少の遺跡が残っているハウスステッズで見学した。羊が食んでいる牧草地の緑と、石の城壁のコントラストが絵になる。

「アイルランドやスコットランドにはローマ人が侵入しなかった。だから文明が遅れたと」いう本を読んだことがある。ヨーロッパには、ローマ人に支配されていたことを誇りに思う気持ちがあるようだ。

7時少し前に、湖水地方の中心の町・ウィンダミアに到着。夕食までの30分ほどホテル付近を歩いたら、今まで会わなかった日本人をたくさん見かけた。ホテルの部屋が狭くてスーツケースを開けにくいが、湖が眼下に見えるので良しとしよう。                           <ウィンダミアのハイドロホテル泊>
                      (2015年12月16日 記)

感想・要望をどうぞ→
次(湖水地方とヨーク)へ
イギリスの旅1へ
ホームへ