イギリスの旅4
  湖水地方とヨーク

2014年8月12日(火)-7日目

ウィンダミアを少し北上して、グラスミアにあるダブコテージとワーズワース博物館に行った。湖水地方(イギリスの旅1の地図参照)とワーズワースは切っても切れない関係にある。ワーズワース(1770年〜1850年)は生涯のほとんどを湖水地方で過ごし、美しい自然を詩に表した。正直言って、詩は苦手だ。のめりこんで読んだ詩がひとつもない。ヴィクトリア女王から桂冠詩人を授かったほどだから、偉大な詩人として名前だけは知っている。

ワーズワースが8年間暮らしたダブコテージが公開されている。妹や妻のメアリーや3人の子どもと暮らした居間や寝室や台所などを見た。生涯のほとんどを湖水地方で暮らしたとはいえ、パスポートが展示されているところをみると、他の国にもたびたび行ってるようだ。パスポートに顔写真がない。考えてみると、ワーズワースの頃にはまだ写真が発明されてなかった。

ワーズワースの家 芭蕉展 ワーズワースの墓
 
ワーズワースが8年間
暮らしたダブコテージ


ワーズワース博物館では
歩く詩人芭蕉展を開催していた
 
 
オズワルド教会にある
ワーズワース一家の墓

隣接するワーズワーズ博物館では、たまたま「歩く詩人 芭蕉展」を開催していた。芭蕉の奥の細道の文章も展示してあったが、ワーズワースと芭蕉を無理やり結びつけたような気がしないでもない。いずれにしても、ゆっくり読みこむ時間はなかった。少し離れたオズワルド教会には、ワーズワースや妻や妹の墓があった。

ピーターラビットグラスミアを少し南下。ソーリ村のヒルトップ農場に行った。「ピーターラビットのお話」の作者ビアトリクス・ポター(1866年〜1943年)が晩年に住んでいた家が公開されている。ロンドンに住んでいたビアトリクスは、16歳のときにバカンスで湖水地方を訪れた。この時に環境汚染の話を聞き、環境保護に興味を持つようになった。

1905年にヒルトップ農場を購入。その後も、ピーターラビットなどの絵本やグリーティングカードの印税や両親の遺産で次々と土地を購入し、ナショナルトラストに託した。ナショナルトラストのおかげで、当時の自然がそのままに残っている。

ヒルトップを訪れていちばん印象に残ったのは、絵本とそっくりのラビット(左)を見たことだ。絵本と同じ毛が茶色で目がクリクリしていた。お仲間に教えてあげようとしたが、ちょっとの隙にどこかへ行ってしまった。ラビットだもの、当たり前だけど。


ウィンダミア湖ウィンダミア湖(左)は東西1.5qと狭いが、南北は17qある。湖水地方では最大の湖だ。昼食後、レイクサイドから船に乗って40分ほど湖水クルーズを楽しんだ。

ドナウ川やライン川クルーズは城やブドウ畑が次々見えて変化に富む。日本の芦ノ湖や山中湖も富士山が圧巻だ。これらに比べると少し退屈なクルーズだったが、有名な湖水地方で船に乗っただけで満足せねばバチがあたる。

5時前にはホテルに着いた。町をブラブラ歩いたが、土産屋さんばかりだ。20年以上前にロンドンのウェッジウッドでピーターラビットのカップを買った。娘がそれを気に入っていて、少し欠けても使っているので新しく買おうとしたが、ピーターラビット専門店は5時で閉店。後でわかったのだが、ウェッジウッドが倒産したので、同じ柄のカップはもう売ってないそうだ。どうりでヒルトップ農場で売っていたカップも、プラスチック製ばかりで買う気がしなかった。   
                                        <ウィンダミアのハイドロホテル泊>

8月13日(水)-8日目

9時にホテルを出たのに、ブロンテ博物館に着いたのは12時頃。ドライバーが道を間違えたために、ハワースの滞在時間が短くなってしまった。ハワースはブロンテ姉妹の父親が牧師として1820年に移り住んだ地だ。姉妹は人生のほとんどをハワースで過ごした。

ブロンテ三姉妹若いころ、シャーロットブロンテの「ジェーンエア」とエミリーブロンテの「嵐が丘」を夢中になって読んだ。そのとき以来、ヒースが咲く荒野を思い描いていた。旅に出る前に小説を読み返すほど訪問を楽しみにしていた。

私は姉のシャーロットと妹のエミリーしか知らないが、「ブロンテ3姉妹」と呼ばれることが多い。「ワイルドフェル屋敷の人々」を書いた末っ子のアンがいる。左は博物館庭にある3姉妹像。

3姉妹以外に2人の姉と長男がいた。姉ふたりは結核で死、長男も酒とアヘンにおぼれて死んだ。長男がいつも通っていたパブ「Black Bull」が残っていて、この不名誉な説明を聞いた。いずれにしてもみんな早死にで、一番長生きしたシャーロットさえ38歳で亡くなっている。

ブロンテ一家が住んでいた家が博物館になっている。これまでの旅で、ワーズワース、ビアトリクス、ブロンテ姉妹の家の内部を見学したが、ほぼ時代が同じということもあり、居間や書斎やキッチンのたたずまいが似ている。宮殿のように派手さはないが、いずれも住み心地が良さそうだ。

博物館のすぐそばに父親が牧師をしていたパリッシュ教会があった。シャーロッテもエミリーもここで眠っている。

ガイドブックによれば、ハワースから4qほどに「嵐が丘」の舞台になった地がある。ヒースで埋め尽くされた荒涼とした丘が広がっているらしい。でも似たような地が博物館の裏にもあった。旅の目的のひとつだった「ヒースの茂った荒野」をもっと歩きたかったが、ドライバーが道を間違えたために時間がなかった。

ヒース ハワース ハワース

博物館の裏手にある
ヒースの丘

 
ハワースの建物は趣がある
自転車を飾っている家が多い
 
ハワースはツールドフランスの
コースになったばかり

自転車を壁に飾っている家が多い。ハワースは今年7月のツールドフランスのコースになったそうだ。息子が自転車野郎なのでツールドフランスは知っているが、通過してくれる町は、すごく嬉しいことらしく歓迎ムードの名残があった。

昼食後1時間半ほどでヨークイギリスの旅1の地図参照)に着いた。ヨークは人口が19万人余にすぎないが、「ヨークの歴史はイングランドの歴史である」の言葉があるほど、ローマ、サクソン、デーン、ノルマンとの争いや交流があった。

「アメリカのニューヨークは、ここと関係あるの?」と現地ガイドに聞いたら「こっちが古いヨークだよ」と当たり前の説明しかなかった。誰がどういう経緯で、ニューヨークと命名したのか。彼は知らないのだろう。

ヨークミンスター 白バラ シャッフルズ
 
ヨークミンスターは
イギリス最大のゴシック建築


 バラ戦争の象徴
ヨークは白バラ
 
以前は肉屋が連なっていた
太陽が入りこまない工夫

まず行ったのはヨーク・ミンスター。要するに大聖堂だ。1472年に完成したイギリス最大のゴシック建築。バラ戦争の終結を記念したステンドグラスもあった。バラ戦争(1455〜85年)はランカススター家とヨーク家の内乱。ランカススター家が赤バラをヨーク家が白バラを徽章にしたことからバラ戦争という。ランカスター家が勝ち王位についた。この内戦で封建貴族の力が衰え、絶対王政の時代になった。ここヨークは白バラだったので、あちこちで白バラの徽章を見た。

城壁聖堂の次に案内されたのはシャンブルズ。なぜここをシャンブルズというか分からないので帰国後に調べたら、肉屋という意味がある。1階より2階が、2階より3階がせり出しているビルが軒を連ねている。上がせり出しているから不安定でちょっと怖いが、肉の新鮮さを保つために太陽光が入らないためだという。今は肉屋はなくふつうの商店街。たくさんの人が歩いているし、店をのぞく時間もなかった。

ローマ時代に周囲2qの城壁が築かれた。今残っているのは中世に作られたもので、周囲は4.5q。ガイドに「この城壁を作ったときの敵はどこだったの」と聞いたら「スコットランド」と即座に答えた。

1周できると聞いたが時間がない。300mほど歩いてみたが、やっと2人が並んで歩けるほどの幅だった。城壁からはヨーク・ミンスターなど旧市街がよく見えた。夕食にはヨーク名物の「ヨークシャープディング」が出た。      
           <ヨークのノボテルホテル泊>

              (2016年1月2日 記)


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