イギリスの旅5
 チェスターとシェークスピア夫妻の生家

2014年8月14日(木)-9日目

ヨークからチェスターイギリスの旅1の地図参照)に移動した。AD60年頃にローマ人が最初に渡ってきた港町。その後リバプールという立派な港町が出来たので衰退していった。女性の現地ガイド・ジャネットさんが案内してくれた。

時計台 ローマの円形劇場 チェスターの商店街
 
城壁の東門にある時計台
ビッグベンに次ぐ古さ

ローマ帝国時代の円形劇場
北の果てでも劇を楽しんだ
 

市街地のロウズには
木組みの商店街が並んでいる

 
見学の出発地は市庁舎。チェスターでいちばん古い建物だそうだ。ここもヨークと同じように城壁で囲まれている。やはりローマ人が築いたもので、ほぼ完ぺきな形で残っている。城壁で囲まれた旧市街は、ヨーロッパ以外でも中国などではよく見かける。でも日本では見たことがない。濠は作っても城壁をつくる文化がなかったのかもしれない。

城壁の東門にある時計台は、この町のシンボルだ。ヴィクトリア女王60年を記念して1897年に作られた。ビッグベンに次ぐ古さだという。城壁の外側にある円形劇場に行った。旧ローマ帝国で飽きるほど円形劇場の遺跡を見ている。それに比べここのは観客席などは残っていないので貧弱だ。でもローマ人の赴任先として嬉しくないだろう北の果てでも劇を楽しんでいたことに、ある種の感慨を覚える。

城壁次は市街地のロウズへ。ロウズってバラのこと?またもロウズの意味が分からない。スペルはrowで、街路、通りという意味があった。木組みの可愛らしい商店街が並んでいる通りだ。ザ・クロスを中心に東西南北に木組みの家が連なっている。ロウズの家のほとんどは1階が倉庫、2階がアーケード、3階が住居になっている。

昼食までに1時間以上の自由時間があったので、城壁を半分ほど歩いてみた。地図がしっかり入っていれば、1周する時間はあったが、ツアーの場合は集合時刻に遅れるのが怖いので、半周にとどめた。城壁の上はこれまでにも何度か歩いたが、いつ歩いてもワクワクする。左写真が城壁に貼ってあった。2013年に斉藤由貴さんがNHKのレポーターとして来たと嬉しそうな記述があった。

3時間以上移動して、ストラドフォード・アポン・エイボンに着いた。 
                 <ストラドフォード・アポン・エイボンのホリディイン泊>

8月15日(金)-10日目

ストラドフォード・アポン・エイボンイギリスの旅1の地図参照)のホテルは、エイボン川のすぐ近くにある。出発前に白鳥が泳ぐ川のほとりを散策した。

今日から帰国までの訪問地は、20年以上前に訪れたところがほとんだ。忘れていることが多いと思うが、変化も楽しみだ。

ショテリー村のアン・ハサウェイの生家に行った。シェークスピアの奥さんアンが生まれた家。ハサウェイ家は裕福な農家で、茅葺屋根とチューダー朝の外観が人目をひく。アンは、1582年に8歳年下のシェークスピアと結婚した。シェークスピアはこの時18歳。アンの生家は、多少の改築はしたものの、1911年まではハサウェイ家の人が住んでいた。今はシェークスピア財団が管理している。15世紀半ばに建てられたので、500年以上前の家だ。

次は13世紀建立のトリニティ教会へ。トリニティは三位一体のこと。シェークスピアや妻が内陣に埋葬されている。この旅ではワーズワースの墓、ブロンテ姉妹の墓、シェークスピアの墓を見たというかお詣りした。名前だけは知っている文学者だから、墓にすら親しみを覚えるが、聞いたこともない一度も作品を読んだことがない文学者の場合は、墓ほど退屈なものはない。

アンの   シェークスピアの生家

シェークスピアの奥さんアンの生家
庭からの撮影


シェークスピアの生家
道路から撮影

 
アン・ハザウェイの家も混んでいたが、ストラトフォードのシェークスピアの生家は混雑を極めた。考えてみると今日は8月のど真ん中。日本はお盆でどこもここも混み合う時。こんな時期の旅が悪いのだが、いくら老人でもそれなりに都合がある。この時しか空いてなかった。

20年前は、簡単な手続きで家の内部を見学できたが、今はセンターで映像などを見てから生家に入るようになっている。ここ数年、イギリス全体の観光客増加はすごいらしい。センターでも作らないとさばけないのだろう。

羊革商人の父が購入したこの家でシェークスピアは生まれた。部屋をみると相当裕福だったことが分かる。彼はずっとここで暮らしていたわけではない。ロンドンで活躍していたが、亡くなる3年前に戻ってきた。シェークスピアが生まれたのは1564年なので、今年は生誕450年。亡くなったのは1616年だから、2016年には没後400年の催しをするのだろうか。400年経っても世界中のほとんどの人が知っているシェークスピア。ストラドフォード・アポン・エイボンは彼が生まれた地でなかったら、単なる田舎町。

旧荘園1時間ほど走り、昼食のためにマナーハウスに寄った。manorは荘園という意味。マナーが良い悪いのマナーはmannerだ。難しいなあ。英語は。もっとも他の言語なら疑問にすら思わないのだが。

学生時代に「エンクロージャー(囲い込み)運動」の講義を聞いたことがある。中世のイギリスで、荘園(マナー)領主が牧羊や農業を営むために共同牧場などを囲い込んで、私有地だ誇示したのがエンクロージャーだ。想像通りのマナーハウスの光景が残っていて感激した。産業革命後、牧羊業そのものは衰退したが、どっこい、昔のマナーハウスはホテルやレストランになり、周辺の緑とともに雰囲気は残っていた。

次はコッツウオルズ地方(イギリスの旅1の地図参照)に行った。コッツウオルズはひとつの村を指すのかと思ったが、いくつもの村が点在する地方を指している。20年前にはどの村に来たのか覚えていない。

コッツウオルズの村まずボードン・オン・ザ・ウオーターへ。テムズ川の支流であるウィンドラッシュ川のほとりにある。「コッツウオルズのヴェネチア」とも呼ばれるそうだが、こういう呼び方は止めて欲しい。本家が泣くような場所がほとんどだ。

コッツウオルズ地方でとれる石灰石は、はちみつ色をしている。石灰石の壁と茅葺屋根の醸し出す雰囲気はすばらしいが、なんせ歩いているのは観光客ばかりだから、少々うんざりする。静かな村の雰囲気が味わえない。

次はバイブリー(左)へ。ウィリアム・モリスが「イギリスでもっとも美しい町」と言ったそうだ。ここもテムズ川支流のコイン川沿いの町。結婚式をあげたばかりの東洋人カップルがいたので、”congratulation”と言ったら、日本人だった。同じような石灰石の家が並ぶが、中には人が住んでいる気配がない。人口630人というから住んでいるのだろうが、わずらわしいから日中は出歩かないのかもしれない。村人には会えなかった。

1時間半ほど走り、ブリストルに着いた。便利な場所にあるホテルだが、ブリストルそのものの観光はしない。単なる宿泊するためにだけに、ブリストルに2泊もする。

           <ブリストルのシスルホテル泊>
(2016年1月16日 記)

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