フランスの旅3 
 ロワール川流域の古城とシャルトルの聖堂

2013年7月14日(土)-4日目

今日は、ロワール川流域(フランスの旅1の地図参照)の古城めぐりをする。ロワール川流域には、11〜15世紀に作られた軍事防衛の城や、ルネッサンス期に築城した優美な城が点在している。内部を見学したのは1城にすぎないが、ツアーだからわがままは言えない。

まずアンボワーズ城(左)を眺めた。単なる写真ストップ。この城はレオナルド・ダ・ヴィンチを招いたフランソワ1世が住んでいた。レオナルドは、まだ完成していない「モナリザ」の絵を持って、ここに来たという。住んでいた家もこの城の近くにあるらしい。行ってみたかった。

バスでしばらく走り、シュノンソー城に着いた。シュノンソー城は16世紀に6人の女性が城主として君臨していた。「6人の奥方たちの城」とも呼ばれている。もらった日本語のパンフレットにも、6人の女性の写真と名前が出ていた。

駐車場から城の内部まではかなりの距離があった。それだけ広いということだ。16世紀の農場や花畑や幾何学的に作られた庭園を見ながら入城。

1時間ほど自由に見て回った。6人の女性たちの居室、緑の書斎、ルイ14世のサロン、フランソワ1世のサロン、図書館、護衛兵の間などそれぞれ豪華。でもヴェルサイユ宮殿のようにきらびやかではないので、目が疲れない。どの部屋にも花が飾ってあり、それぞれ色合いが部屋にマッチしていて、フランス人のセンスの良さを改めて感じた。

 
駐車場から城の入口
までの間に
幾何学的な庭園が広がっていた


 
6人の女性が君臨していた
シュノンソー城全景

 
どの部屋にも
花が飾ってある
フランスの国旗をイメージした花

城から歩いてすぐのワインの店に寄った。ここで注文すれば日本にある支店から宅配してくれるそうだ。持ち帰るのは面倒だけど、土産は買いたいという人にはもってこいのシステムだ。私たちは高いから買わない。

3つ目の城はシャンボール城(左)。中に入る時間はなく城の周囲を30分ぐらい散策しただけだ。パリ市とほぼ同じ面積の森が城を囲んでいる。日本にも優美な城がいくつもあるが、これほどの森に囲まれているところはない。圧倒されてしまった。周囲も広いけれど、城そのものもロワールで一番大きい。400以上の部屋、70の階段、365の煙突があるそうだ。入ってみたいけれど疲れるだろうなあ。

シャンボール城の近くでランチ後、バスでシャルトルまで移動。今日もお昼寝タイムが待っている。

シャルトルのみどころは、ノートルダム大聖堂。ヨーロッパに数ある大聖堂の中で最高建築と言われる。内部は工事中だったので、聖堂に入った時の張り詰めたような厳かさには欠ける。でもシャルトルブルーのステンドグラスを背景にした聖母子像(左)など、青い光が幻想的な雰囲気を醸し出していた。

パリに戻るためにバスに乗ったとたん、雨が降ってきた。12日に観光が始まってから今日まで、よく雨が降った。でもラッキーなことにいつもバスの中だった。傘を差しながら歩いたのは、夜のモンサンミッシェルだけだ。

パリに戻ってきた。初日に泊まったホテルとは別のホテルに3泊する。中心地から少し離れているが、地下鉄の駅から徒歩1分と、立地だけはいい。

今日7月14日はパリ祭。昼間はパレードなどがあったらしい。夜は花火。日本でも見られる花火をわざわざ行くこともないだろうと、おとなしくホテルにいた。明日からの自由行動にそなえて体力を温存しなければならない。

        < パリのメルキュール パリ ラビレット泊>

 

7月15日(日)-5日目 

午前中は日本人ガイドの案内で、パリ市内を巡ることになっている。ホテルは市内を囲むように作られた環状道路のすぐ近くにある。環状道路のバスの中から見るパリもいい。「あ!エッフェル塔だ」「モンパルナスの塔が見える!」とみんなが、はしゃいでいる。パリは気持ちが高揚してくる都市だ。

まず1937年のパリ万博の時に建てたシャイヨー宮に行った。セーヌ川をはさんでエッフェル塔の全景が見えるスポット。シャイヨー宮を建てた時には、1898年の万博時に作られたエッフェル塔がすでにあった。塔にマッチするような宮殿を作ったと聞き、街全体を美しくしようとする美意識の高さに感心してしまった。

エッフェル塔の高さは300mで、当時は世界一だった。スカイツリーの634m、東京タワーの330mより低いが、時代が違う。建築家のギュスターブ・エッフェルは、100年以上前に今でもきちんと立っている塔を鉄で作った。石の建造物が多かった当時、鉄製は珍しい。まじまじとエッフェル塔を見たのは初めてだったが、赤い色彩の東京タワーよりはるかにセンスがある。薄い茶色が、天気や時刻によって微妙に変化するそうだ。

車窓からノートルダム大聖堂や凱旋門を見学。車窓からの見学とは言え、パリの概略を知っているとフリータイムに歩きやすい。

次はルーブル美術館に入館した。ルーブルを見たのは25年も前だが、ガイドブックと首っ引きで自由に歩いたのでよく覚えている。当時はガラスのピラミッドはなかった。コレクションが増えたので拡張せざるを得なくなり、地下回廊とピラミッドを作った。

ルーブルは、もともとは歴代の王によって増改築されてきた宮殿だった。絵ばかりに目が行きがちだが、天井には王のイニシャルがついているし、華やかな絵が描かれている。こんな歴史を秘めた建物に、ガラスのピラミッドなど似つかわしくないような気がしていたが、内部に入ると斬新さに驚く。ガラスを通して入ってくる青空と夏の光がキラキラ反射していた。

想像以上に館内は混んでいたが、ガイドが有名な作品だけをピックアップして説明してくれたので、疲れずにすんだ。絵は「モナリザ」「ナポレオンの戴冠」「群衆を導く自由の女神」「メデューサの筏」「カナの婚礼」など。彫刻では「サモトラケのニケ」「ミロのビーナス」、ミケランジェロの「奴隷」など。

驚いたことに「モナリザ」は、近づけないようにロープが張られている。おまけにガラスが入っている。以前はロープもガラスもなかった。人は群がってはいたが、ゆっくり鑑賞した覚えがある。

今は鑑賞というより、証拠写真を撮っているようなものだ。「モナリザの絵は、アメリカと日本とモスクワに貸しただけなんです。これからは貸すことはないでしょう」とガイドが言っていた。日本に貸してくれたのは1974年。

 
ガラスのピラミッドと
ルーブル宮は
想像していたよりマッチしている

 
ガラスのピラミッドから
見た空
夏の太陽が光っていた

 
ルーブル美術館の天井
歴代の王が贅をつくした
だけに天井画も
見逃せない



同じく日本でフィーバーになった「ミロのビーナス」(左)は、ほどほどの混みよう。四方を囲んで鑑賞できるので、人数が分散されるからかもしれない。

ちなみに、ギリシャのミロ島からルーブルに落ち着いた「ミロのビーナス」の初の渡航先が日本である。このあと、一度も海外に出ていないそうだ。仙台からわざわざ上京した時の、上野の熱気を思い出す。1964年、ほぼ50年前のことだ。

それにしても、モナリザといい、ミロのビーナスといい、なぜ遠い日本に貸し出してくれたのか。ジャパンマネーなのかな?それとも芸術がわかる民族だと思ってくれたのかな?いずれにしても今思えば、ありがたいことだった。

     (2013年8月16日 記)

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