フランスの旅4
 パリのぶらり旅 1

2012年7月15日(日)−5日目

パリの車窓観光とルーブル美術館鑑賞の続きを書いている。正味1時間ほどのあわただしいルーブル見学を終え、オペラ座に近い中華料理屋でランチ。私たちはランチ後にツアーから離れる。だからランチの場所が辺鄙な場所だと困るが、オペラ座に近いとはラッキーだ。

ほかの25名は、ヴェルサイユ宮殿見学に行った。いちばん安いコースを選んだ人はヴェルサイユと夕食がオプショナルツアーになる。何度も行きたいような宮殿ではないし、ヴェルサイユを真似た宮殿はあちこちで見ている。

最近はろくにガイドブックも読まずに旅立つことが多いが、今回はパリのフリータイムを有効に使うために、事前にかなり調べた。パリの地図はしっかり頭に入っているつもりだが、それはセーヌ川の右岸か左岸か北か西かという程度だ。定休日や閉館時間も調べなければならない。行ってみたら休みではがっかりする。

定休日などを考慮して、あらかじめ15日16日17日の行動を決めておいた。地下鉄の切符は15日と17日はカルネ(回数券)を使い、丸一日自由の16日はワンデイチケットを買うことにした。

今日の午後は、印象派以降の絵や彫刻を展示しているオルセー美術館へ。左写真はセーヌ川船上から見た美術館。

明日月曜は定休だし、ガイドブックには「入場までにかなり時間がかかる」と書いてあるから、最終日は避けたほうがいい。ミュージアムパスを事前に購入しておけば、待たずに入れるが、ミュージアムパスの値段に見合うほど、美術館めぐりをするつもりはない。

結果的には20分ぐらい待っただけで入場できた。オルセーは団体客が少ないし入場制限をしていることもあり、ゆったりと鑑賞できた。ルーブルは撮影自由なので、ほとんどの人がパチパチやっていたが、オルセーは撮影禁止。撮影が許可されていると、あれもこれも写したくなる。これも良し悪しだ。

「オルセーの5階にあるテラスからのパリの景色が抜群」と本にあったので行ってみたら、ドアが閉まっていた。ドアのガラス越しからでもサクレクール寺院やパリの主な建物が視界に入り絶景だった。オルセー入館前に突然の雨が降ってきたが、その時に閉めたのだと警備員が話していた。「もう雨は止んでいるんだから開けてよ」と頼んでみたが「ノン」。

オルセー入館に時間がかかるかもしれないので、オルセー後の予定は考えていなかった。「セーヌの河畔でもぶらつこうか」と川に向かったところ、まさに船が出発しようとしているところだった。値段は15ユーロ。「せいぜい1時間ぐらいだろうに高いな」と一瞬思ったが、実は何度でも乗り降りできるBATOBUSという一日乗船券(左)だった。エッフェル塔とシテ島やサンルイ島の間の主な名所8ヶ所に停る。




 セーヌ川からの
ブルボン宮

 
セーヌ川からの
ノートルダム寺院

 
セーヌ川からの
コンコルド広場の
オベリスク

 
セーヌ川からの
シテ島全景

 
セーヌ川からの橋
それぞれの特徴が
わかり面白い

 
セーヌ川からのエッフェル塔
細かい金属の組み合わせに
驚く



一日乗船券にしてはもったいない使い方だったが、1往復半、2時間ほど乗っていたので、存分にセーヌ河畔の建物や橋を楽しむことができた。エッフェル塔・シャイヨー宮・ノートルダム寺院・ルーブル美術館・オルセー美術館など、今日の観光で訪れた建物が、眺める方角によってがらりと変わる。橋桁の装飾は、橋を渡っていると分からないが、船からだとよく見える。どの橋も個性的で、見ていて飽きない。前に来たときは、夜のクルーズで夜景を眺めたが、昼間のほうが建物の細部が分かりずっといい。

日曜とあって、河畔には恋人がたくさんいた。セーヌの岸壁は、お世辞にもきれいではない。でも、コンクリートむき出しの岸壁を背景に座っている地味な服装(左)のカップルが、いい雰囲気だ。パリの恋人はこんな場所でも絵になる。

シテ島に近い「パリ市庁舎前」で船を降りた。地下鉄の駅までのセーヌ川沿いに、古本屋が一軒だけ店を開けていた。セーヌ川沿い名物の古本屋だが、7時半を過ぎていたからか、本が売れないご時世になったからか、営業していたのは1軒だけだった。

ホテルに戻ったのは夜の8時半ころ。夕食を終えたツアーのみなさんが戻ってきたばかりだった。   
                             < パリのメルキュール パリ ラビレット泊>
7月16日(月)−6日目

ホテルから徒歩1分の地下鉄駅「ポルテドパンタン」で1日乗車券を買った。これを持っていれば、いちいち切符を買う必要もないし、たとえ1駅乗っても勿体無いと思わないですむ。

まず「バスチーユ広場」に行った。評判になった映画「レミゼラブル」にも、ここの広場が登場する。地下鉄「バスチーユ」には革命の絵がタイルになっていた。1789年7月14日、政治犯が入っていたバスチーユ牢獄を襲撃したことからフランス革命は始まった。

 
地下鉄の
バスチーユ駅には
フランス革命のタイル

 
同じく革命の様子を描いた
タイル画

 
バスチーユ牢獄があった
場所に、今は
平和の塔が建っている



ファッションや都市づくりなどを見ていると、フランス人の繊細さセンスの良さを思うが、世界で初めて王政を倒したような激しさも持っている。バスチーユにはもちろん牢獄は残っていない。「7月の塔」という高さ50mの記念塔が立っているだけだ。塔のてっぺんには金色の女神像がある。鎖をちぎっているそうだが遠くてよくわからなかった。でも歴史的な場所に建てたことで満足。駅のタイル画も思わぬ収穫だった。

広場に面しているところに「新オペラ座」がある。外観は9区にある「オペラ座」の重厚さとは対局のモダンな建物である。革命200年の1989年にオープン。“音響もいいしどの席からも舞台がよく見える世界最大のオペラハウス”とガイドブックに書いてあった。中を見せてくれたら儲けものと入口に行ってみたら「工事中だからダメ、9月にオープンする」と言われた。「9月まで待てないよ」とつぶやいて退散した。

次はシテ島へ。橋が架かっている今、島の感覚はない。以前来た時はノートルダム寺院を見ただけだったが、シテ島にはほかにも見所はたくさんある。島全体を歩き回ってもたいした距離ではない。ゆっくり巡ってみたいと思っていた。

今回の旅ではルーアンとシャルトルの2ヶ所で、ゴシック様式のノートルダム聖堂を見学している。でもシテ島のノートルダムは、ジャンヌ・ダルクの名誉回復裁判、ナポレオンの戴冠式が行われた聖堂。映画「ノートルダムのせむし男」の舞台にもなった。パスするのは惜しい。

 
シテ島の
ノートルダム寺院西門

 
ノートルダム寺院の
ステンドグラスが開いていた

 
聖堂前の広場に
キロメートルゼロの
表示板が埋め込んである


まったく予想していなかったのだが、ステンドグラスの窓が開いていた。ステンドグラスが開くとは思ってもみなかったので新発見だった。開いた窓から真夏の日差しが入り込み、暗い聖堂がその部分だけ明るくなっていた。

聖堂前の広場に、「キロメートルゼロの標示板」がはめ込んである。地方への距離はここから測定することになっている。「シテ島はパリの中心なんだなあ」とあらためて思う。

現在のパリの場所には、紀元前250年ころにケルト系民族のパリシイ族が住み始めた。パリの名は、パリシイ族にちなんでいる。紀元前52年にカエサルが率いるローマに鎮圧され、ローマ帝国の支配下に入った。

南フランスにはローマの円形劇場や水道橋が残っているが、パリに大規模なローマ遺跡があるとは聞いていない。でも調べるとパリにもローマ時代の闘技場や公共浴場跡が、5区の植物園に近いところに残っていることがわかった。

ささやかな遺跡は、ノートルダム聖堂のすぐそばにもあるらしい。何人かに道を聞いて、やっと小さな教会の近くにあるローマ時代の円柱(左)を見つけた。闘技場跡は次のチャンスを待とう。       (2013年9月2日 記)


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