フランスの旅5 
 パリのぶらり旅 2

2013年7月16日(月)-6日目

パリぶらり旅のシテ島の続きを書いている。ノートルダム聖堂前の広場にあるいくつかの銅像を写真におさめた後、是が非でも行きたかったサント・シャペルとコンシェルジュリーを目指した。地図を見ると簡単にいけそうだが、入口がわからず、シテ島の突端にかかるポンヌフ橋の近くまで行ってしまった。

サント・シャペルは、ルイ9世が聖遺物をおさめるために1248年に建設。最高裁判所の中庭にある小さな教会だ。

元教会なのに入場料が必要だが、その価値はあった。2階の王家専用の礼拝堂のステンドグラス(左)が素晴らしい。部屋全体がステンドグラスで覆われ、見学者の目の前にある。これまで飽きるほど教会のステンドグラスを見てきたが、こんなに色彩豊かで緻密なステンドグラスを見たのは初めてだった。

サント・シャペルの近く、裁判所の一画にコンシェルジュリーがある。ここは、14世紀から裁判所付属の牢獄だった。マリー・アントワネットやロベズピエールなどフランス革命の主役たちが入っていた牢獄である。

今は博物館になっていて、アントワネットの独房などリアルに再現してある。ギロチンにかけられた人の名前や資料や革命の映像など、ゆっくり見れば面白いだろうが、フランス語がわからないので素通り。


コンシェルジュリー(牢獄)
がある裁判所

 
 
マリーアントワネットが入っていた
牢獄

 
アントワネットの独房が
再現されている


アントワネットの無駄遣いが国の財政を破綻させたとか、「パンがなければお菓子を食べればいい」と言ったなど、彼女には醜聞がつきまとう。でも、ひとりの女王の存在で革命が起こるはずはない。歴史は面白おかしく書き換えられるのが普通だ。アントワネットが独房に捕らえられ、ギロチンにかけられたことだけは真実だ。

シテ島を離れ、アンヴァリッドに向かった。アンヴァリッドの金色の屋根はセーヌ川の船上からも目立つが、地下鉄の地上に出るとその屋根は見えない。この時も人に聞いてたどり着いた。フランス人は分かっていても英語を話してくれないと聞いていたが、何人ものフランス人が英語で答えてくれた。

 
アンヴァリッドの建物
大きなフランス国旗が
かかっている

 
正面入り口の上には
ナポレオンの
銅像がある

 
屋根についている
明かり窓は
鎧になっている



アンヴァリッドは退役傷痍軍人という意味で、彼らを診療する目的でルイ14世が作った。今は軍事博物館で、レジスタンス解放記念館やド・ゴール記念館などがある。ナポレオンの遺体が安置されている所としても有名だ。

前庭にある植え込みは、大砲の形に刈り込んであった。2階の明かり取りの窓は、甲冑の形。ドーム教会の祭壇には、十字架や花以外に、フランス国旗が何本も立っていた。こんな風にどこを見ても「フランス国家万歳!」を誇示しているような所だった。

ここからもエッフェル塔がきれいにみえた(左)。東京のスカイツリーが思わぬところに現れてびっくりすることがあるが、エッフェル塔も予期しないところに現れて嬉しい。

アンヴァリッドの庭のベンチに座って、屋台で買ったサンドイッチだけで昼食終了。フリータイムぐらいはこんな食事でいい。

次はオランジュリー美術館へ。火曜が休みなので、今日しか行けない。地下鉄「コンコルド」で降り、コンコルド広場やチュイルリー庭園に寄りながら美術館に向かった。

コンコルド広場は「ルイ15世広場」として1775年に完成した。フランス革命の時にギロチン台が置かれ、ルイ16世やアントワネットなど1343人が処刑された。コンコルド(調和)と名前を変えた今の広場は、こんなおぞましい出来事があったなど微塵も感じさせない。

それどころか、エジプトのオベリスクがそびえ(左)、パリ観光の目玉にもなっている。オベリスクは、エジプトのカルナック神殿に2本あったうちの1本だ。1833年にエジプトから贈られた。当時のエジプトとフランスの力関係では贈らざるを得なかったのだろう。フランスが略奪したようなものだ。

カルナック神殿のオベリスクは、2本あってこそ門の役割を果たしているのに、1本しかなかった。エジプトに行ったのはずいぶん前だが、アンバランスだったことを思い出す。

オランジュリー美術館は、アンリ4世が作ったオレンジ(オランジュリー)園の跡に建てられた。ジヴェルニーでモネの睡蓮の池を見てきただけに、そこで描かれた睡蓮の大作を見逃すわけにはいかない。長辺がとてつもなく長い長方形の「睡蓮の池」の絵が、円形の壁に飾ってある。こんな部屋が2部屋ある。美術館は絵を守るためか薄暗いところが多いが、ここは天井から自然光が入り明るい。

オランジュリーには「モネの睡蓮」しかないのだと勝手に思い込んでいたが、地階は近代絵画の宝庫だった。オルセーには及ばないが、お馴染みの印象派やピカソの作品がたくさん展示してあった。「睡蓮」以外は、撮影自由だったので、ほぼ全部をカメラに収めた。これって絵を鑑賞する態度ではないなあと思いながら。

次は早めの夕食のためにビストロに行くことにした。料理好きな人が書いたエッセイに「パリを知るならビストロに足を運んだ方がいい」とあり、具体的に2つのビストロを紹介してあった。そのうちの1店「シェアンドレ」がシャンゼリゼ通りにも近いので、そこがよかろうと目指した。フランクリン通りやモンテーニュ通りに近いことは分かっても、観光名所とちがって標識がないので探すのに時間がかかった。

パリの街角を歩き回ったといえばカッコいいが、そうでなくても朝から歩き回っているので、テーブルに座ったときはホッとした。驚いたことに、日本語のメニュー(左)が置いてあった。フランス語の料理の名前を少し調べてきたが、それが無駄になった。それだけ日本人が溢れているってことだ。

前菜はアボガドと蟹のムース、メインは骨付き鴨肉を頼んだ。ツアーで出る食事に比べ量が多いので、この2種だけでお腹がいっぱいになった。「デザートは?」と聞きにきたが、ケーキもアイスクリームも入らない。泣く泣くコーヒーだけにした。

1時間半ほどで食事を終えたので、ホテルに帰るにはまだ早い。最近「オペラ座の怪人」の映画も見たことだし、オペラ座に行ってみることにした。前に来た時に中を見学して、シャガールの天井画に感激した。再度入ることもないので、その辺りをぶらぶらしようという魂胆だ。オペラ座正面に人だかりがある。近寄ってみたら、黒いおそろいの衣装を着た少女たちが歌っていた。指揮者を見つめながら真剣に歌っている顔が可愛かった(左)。

オペラ座のそばには有名なデパートもある。ちょうどバーゲンセールをしている時期だ。10年前の私だったら間違いなく寄っていたと思うが、最近は外国製品を欲しいと思わなくなった。


それよりも、オペラ座の裏手という超1等地に進出したユニクロ(左)を見てみたい。重厚なビルの一画にかなりの面積を占めていた。下品な色使いの看板は禁止されている国なのに、ユニクロのロゴマークは色も形もそのままだった。パリっ子の審美眼に合格したということなのだろうか。

店内の様子や店員のキビキビした態度は日本と同じだったが、7月の半ばというのにダウンジャケットがたくさん置いてあった。フランス到着後数日間は、夏とは思えない寒さだった。ようやく昨日頃から夏っぽい気候になったが、汗だくになるほどではない。ダウンジャケットが積んであってもなんら不思議はないのだ。8時の閉店間際だったが、レジには10人ほどが並んでいた。

< パリのメルキュール パリ ラビレット泊> (2013年9月16日 記)

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