ギリシャの旅2
 メテオラとデルフィ

2013年12月22日(日)-3日目

岩山部屋のベランダから、朝日が当たった岩山(左)が見えた。ギリシャ2度目の旅に出る気になったのは、メテオラの修道院が目的だった。海外旅行に数度しか行ってない場合でも、ギリシャのメテオラを訪ねている人は多い。それほどポピュラーなのだ。写真では見ているので想像はできるが、やっぱり本物を見たい。

幸い今日は晴れている。車窓の両側に奇岩が続く道を少し走ると、大メテオロンに着いた。6つ残っている修道院の中でいちばん大きい。階段をかなり下ると次はかなりの登りになる。

修道士が住みはじめた頃は階段などないから、どうやってこの岩山を登ったのだろう?どうやって岩をくりぬいたのだろう?というよりも、なぜこんな所に住もうと思ったのだろう?など様々は疑問がわいてくるが、ひとことで言ってしまえば、静かな環境で祈りと瞑想にふけりたい修道士たちにとっては、メテオラの厳しい地形が絶好だったのだろう。9世紀には、修道士が個々に住みついていたと言われる。

修道院共同体が成立したのは14世紀。大メテオロンの建立も14世紀だ。岩をくりぬいた内部は広く、当然ながら教会もある。入場したのと入れ違いにギリシャ人がぞろぞろ出てきた。日曜の朝のミサを終えたらしい。

大メテオロン 大メテロオン 大メテオロン
 
大メテオロンを下から
眺める
 
大メテオロンの内部
宗教画が描かれている

 
歴代の修道士たちの
しゃれこうべ


台所も広く、かつてはたくさんの修道士が生活していたことがうかがえる。今も17名が生活している。歴代の修道士のしゃれこうべが並べてあった。日本ではしゃれこうべを他人にしかも観光客に見せるようなことはしないが、西洋キリスト教社会では、何も気にしていないようだ。これまでにもたくさん見たことがある。

岩と雪山大メテオラから周囲を見渡すと、岩山の連続(左)。遠くに雪山も見えて絶景だ。特にアギア・トリアダ修道院の岩山が印象に残っている。

2つ目の聖ステファノ修道院は、少し離れているのでバスで向かった。ここは女子修道院として1367年に建立。今も女子の修道士32名が生活している。

聖ステファノ修道院ここの教会は撮影が許されているので、写真(左)で思い出すことができる。イコンがあり扉が閉まった祭壇がある典型的な正教の教会だ。壁も天井もフレスコ画が埋め尽くされていた。

ところで、今のメテオラ修道院は、世俗を避ける修道士たちには適さない地になっている。私たちが訪れたのはオフシーズンの暮れが押し詰まった時期だった。にもかかわらず観光客がかなりいたのだから、ハイシーズンの混雑は想像できる。こんな所で瞑想など出来やしない。今はアトス山に移住する修道士が多いと聞いた。


タベルナで昼食後、デルフィ―に向かった。210qの移動に休憩を含め4時間もかかった。

                                       <デルフィ―のアマリアホテル泊>

12月23日(月)−4日目

デルフィ−(ギリシャの旅1の地図参照)は、パルナッソス山の麓にある。出発前にホテルの付近をぶらぶらしたら、野菜や果物やナッツや蜂蜜を売っている露店を見つけた。朝食のビュッフェにおいてある蜂蜜が美味しいので、トイレ休憩で寄る売店で2瓶買ったが、ここでも2缶買い足した。地元民向けの店なので少し安い。

デルフィ−は、古代ギリシャのポリス、都市国家だった。アテネやスパルタなど強力な都市国家があったにもかかわらず、ここは「世界のへそ(中心)」と信じられていた。ゼウスが世界の中心を知ろうと東西に鷹を放したら、2羽の鷹がデルフィで出会ったことからきている。

BC6世紀ころになると、アポロンの神託の名声が高まって来た。神がかりだった巫女に謎めいた詩の形で告げられると、人々は神の言葉だと尊重したという。ポリスの政策決定にも影響を与えたと言うから、おそるべし神託だった。でもデルフィ−に賄賂を使って自分に有利な神託を引き出そうとする輩もいたらしい。デルフィ−に献納するために各ポリスは、財産庫を置いてあったという。神様も賄賂には勝てなかった。

その後392年にローマのテオドシウス帝が異教禁止令を出すと、デルフィ―の神殿は破壊された。再び脚光をあびたのは1892年。フランスの考古学者が発掘した。

他の日本人ツアーを案内していたギリシャ人ガイドが、遺跡の入口で私たちのツアーの説明にまわる。日本語が話せるガイドは引っ張りだこのようだ。

まずレプリカの「へその石」を見た。世界のへそを売り物にしている遺跡には、レプリカといえど「へそ」を置いた方がいいと考えたのだろう。

次に見たアテネ人の宝庫は、BC5世紀建造だが、フランスにより19世紀に復元されたものだ。神託が行われたアポロンの神殿はBC6世紀に建てられたが地震で壊れてBC4世紀に再建された。再建とはいえ、紀元前のもの。ドーリア式の柱6本や礎石が残っていて重々しい感じがする。実際は15本の柱があった。

アポロン神殿に隣接する野外劇場は、BC4世紀に建てられBC2世紀にローマ人が修復。5000名収容の観客席もほぼ完全な形で残っている。

30年前に初めてギリシャやローマの劇場跡を見た時の感激に比べればずいぶん薄れたが、先人の技術の高さ、芸術への思いはそのたびに感じる。その規模にいつも驚かされる。

劇場跡から坂道を15分ほど歩くと競技場跡に出る。そこで繰り広げられた陸上競技はどんなものだったのか。ガイドは「オリンピックのはしりです」と説明した。

アポロン神殿 野外劇場
 
神託が行われたアポロン神殿
6本の柱と礎石が残っている

 
アポロン神殿跡と野外劇場のパノラマ
紀元前の遺跡は何度見ても感激する


遺跡から出土したものを展示してある博物館に行った。この博物館はさほど広くもないし、写真撮影も自由なのがいい。建物を飾っていた「スフィンクス像」や本物の「へそ」やアルカイックの代表作BC6世紀の「2体の青年像」やクラシックの代表作、BC478年削の「青銅の馭者の像」。大理石の「アンティノオス像」など、見ごたえがあった。

修道院昼食後、アラホヴァに立ち寄った。パルナッソス山地の南斜面にある小さな町。パルナッソス山にゲレンデがあるので、スキー用品を売る店が並んでいた。「ギリシャでスキーができるの」と意外に思うかもしれないが、デルフィ−からアラホヴァ一帯はスキーリゾートの地でもある。

11世紀建立のオシオス・ルカス修道院でもバスを下りた。ビザンチン様式の修道院にある絵はフレスコ画が多いがここは、モザイク画。一般的に教会は入場料をとらないが、ここは必要だと聞いていたが、実際はフリーだった。ということもあって、修道士が作っているゴマ菓子を数袋買い求めた。

アテネに戻ってきた。今日から2泊するホテルはシンタグマ広場に面している立派なホテル。オフシーズンなので割安で泊まれるのだと思う。

イルミネーション夕食後、添乗員さんら有志と街の散策にでかけた。日本の繁華街は12月23日の夜ともなれば、不夜城となる。でもここアテネの繁華街は寂しい。左はシンタグマ広場のイルミだが、華々しさに欠ける。

本来のものなのか財政破綻するとこうなるのか。添乗員さんは「クリスマスは家で静かに過ごすからですよ」と言うが、クリスマス当日でもないのだから、プレゼントを買う人たちでにぎわっていてもよさそうなのに。
フォリフォリというギリシャブランドの時計屋をのぞいたり、ナッツ屋でナッツを買った。   
                       <アテネのアテネプラザ泊>


                                                 (2015年 2月2日 記)

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