建国記念の日 (「北山田だより191号」−2004年2月−から抜粋)

 成人の日・海の日・敬老の日・体育の日は、数年前から、月曜日に設定されています。連休を増やして消費を拡大するねらいだとか。その中で、2月11日の「建国記念の日」・4月29日の「みどりの日」・11月3日の「文化の日」・11月23日の「勤労感謝の日」・12月23日の「天皇誕生日」は不変です。

 こうしてみると、日付を変更しないのは、春分・秋分の日と、天皇に関係する祝日ばかりですね。もともと第二次大戦前までは、建国記念の日は「紀元節」、文化の日は「明治節」(明治天皇の誕生日)、勤労感謝の日は「新嘗祭」(天皇が新しい穀物を天紙地祇にすすめ、親しく食する祭儀)と呼ばれていました。戦後になっても、父母が「今日は新嘗祭・・」など話していたので、私にも刷り込まれています。

 古くから続いてきた行事だと思いがちですが、制定は明治の半ば。天皇制強化の時期と一致します。戦後になって、明治節や新嘗祭は、マッカーサー命令で消えましたが、別の形で残りました。

 でも、紀元節が建国記念の日に変わったのは、それより遅く、昭和42年。当時は「紀元節復活反対!」のデモがあり、世論が盛り上がった記憶があります。「紀元節の復活ではない」と押し切られましたが、私も含め、祝日が増えるのは嬉しいこと。その後は、もめ事もなく今にいたっています。

 扶桑社発行の「新しい歴史教科書」(著作者−西尾幹二ほか13名)のコラム欄には、神武東征の神話と共に、「2月11日の建国記念の日は、日本書紀に出てくる神武天皇が即位したと言われる日を西暦になおしたものである」の注釈がついています。

 現在は、誰が何をどのように考えようと自由な世の中。この教科書のように解釈する人がいても構わないわけですが、大多数の人は、神話にすぎないと考えています。私が生まれた頃に「皇紀2600年」の祝典があったことは、写真やフィルム映像で知っています。戦時色濃い時代ということもあってか、国民こぞっての熱気が、映像から感じられます。

 それに反し、今の建国記念の日に祝いムードがあるでしょうか。実在しない天皇の即位日が建国記念の日というのは、寂しすぎますね。マスコミも天皇制に触れるのはタブーだから、特集を組むこともせず、国旗掲揚や国歌斉唱もなく、紀元節の時は歌ったという「雲にそびゆる高千穂の〜」の類が歌われることもなく、単なる休日で終わりました。

 1月26日は、友達8人との旅で、オーストラリアのシドニーにいました。たまたま、オーストラリアの建国記念日。ホテルから徒歩15分のダーリングハーバーまで、建国セレモニーの花火見物に出かけました。「日本の花火の方がきれい!」など言いながらも、その日に居合わせて参加できる喜びは大きく、はしゃぎながら夜空を見上げていました。そのうち国旗の映像が表れました。すると誰も音頭取りがいないのに、自然と国歌の斉唱が始まったのです。他国の国歌でありながら、これにはグッときました。

 日本では、日の丸も、君が代も建国記念日もいわくつきだから、素直に歌えない事情があるにせよ、オーストラリア建国の日の直後に、日本の建国記念の日を迎えただけに、考え込んでしまいました。もっとも、日本国民の大多数が祝える建国の日を制定するとなると、これまた難しそう。曖昧なままで、今後も推移していくのでしょうね。

 もっともオーストラリアとて、国民こぞっての祝いには、ならないようです。イギリスの初代総督がシドニーに錨を降ろしたのが1788年の1月26日。船には囚人770人と海兵隊と家族が乗っていました。この日から先住民のアボリジニーは王室不法占拠のレッテルを貼られ、白人支配が開始。

 アボリジニーとっては、屈辱の日であり、建国記念の祝いなどもっての他の気分でしょう。あらゆる人種で賑わっているオーストラリアですが、白豪主義を廃止したのはわずか30年前。1973年のことです。

 同じようなことは、アメリカの独立記念日にも言えることです。建国記念日は、どこの国でも、多かれ少なかれ、問題を抱えているのかもしれません。(2004年2月20日 記)
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