続・建国記念の日

 建国記念の日の「ひとりごと」は、イデオロギーにからむ問題なので、反応なしを覚悟していましたが、多くの方から感想が寄せられました。当然ながら、いろいろな考え方があります。ぜひお読みください。★は男性、☆は女性。勝手ながら、少し短くさせていただきました。

☆国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)を、調べてみました。建国記念の日は「政令で定める日 建国をしのび 国を愛する心を養う」と記されています。紀元節を建国記念日にしようと国会で審議したら、社会党の猛烈な反対にあい、法律ではきめられなくて、政令で定める日となったそうです。

さらに、建国記念の日と定める政令(昭和41年政令第376号)には、 国民の祝日に関する法律第2条に規定する建国記念の日は、2月11日とすると書いてありました。

このように建国記念の日は、二段構えになっていることがわかりました。でも2月11日の朝に「今日は建国をしのぶ日だあ!」と思う人は何割いるでしょうか。

建国記念の日だけが、他の祝日と違う扱いになっている。そんなことが、あり得るのだろうか。お寄せくださった方を疑うわけではありませんが、詳細を知りたくて、検索してみました。他の祝日は、具体的な月日や、第3月曜日など記してありますが、建国記念の日だけは「政令で定める日」となっていて、具体的な日が書いてないのです。興味のある方はクリックしてください。お寄せいただいた中で、もっとも私がびっくりした事でした。ちなみに、広辞苑では、法律は国会で制定された規範、政令は内閣が制定する命令となっています。(HARUKO)

★日本の記念日は、史実的な裏付けがなく曖昧模糊としているところが、いかにもニッポン的ですね。中国は、共産主義国家発足の日の国慶節ですっきりしていますね。

日本は敗戦時にするべき「清算」があいまいなまま推移したために、現在に至ってしまったのではないでしょうか。天皇制のコアがいじれないところに、要因があるでしょう。オーストラリアの建国うんぬんは、アボリジニにすれば、言語道断ですね。流刑囚上陸を記念日にするのは、被虐的な面のあるアングロサクソンらしい。

イギリス人は、勝手に上陸して、王室の土地だと決めてしまったのですね。先日も、オーストラリアで、アボリジニのデモがありましたが、彼らの心情は、わかりますね。(HARUKO)

★宗教も思想も自由ですが、我が国はなにごとも中途半端です。建国記念日も紀元節から名前を変えただけのもので、中身は変わっていません。神道に深く関わっている神武建国の神話も定かではありません。一部右翼関係者に利用されています。

今、紀元節復活の運動が少しずつ強くなりつつあります。強権国家が復活しそうになっています。日の丸については、オリンピックであがる感動とは別の、周辺国家に日の丸を強要した残酷な支配が、陰にあるわけです。

国歌についても賛否が分かれていますが、ここでいう「君」とは天皇のことであり、天皇家の永遠の発展を祈る意味であることはあきらかです。2月11日は、神武東征を記念して決められたもので、征伐された側にすれば、必ずしも祝うような事ではないでしょう。日本という国は、アジアにありながら、アジアに真の友好国がないという不自然な国なのです。

ネット上では、言いにくい話題ですが、お寄せいただいて感謝しています。イラクへの自衛隊派遣などを見ていると、強権国家復活の動きもウソではないような気がしてきます。(HARUKO)

★建国記念日が日本書紀に基づいた紀元節など、最初から馬鹿げているような気がします。日本書紀も、言い伝えを記している部分が多いし。若い人には、そんな話はどうでもよくなっても仕方ないと思います。それよりも誰にも気兼ねなく国歌を堂々と歌える世の中が先だよね。

日本最古の勅撰の正史である「日本書紀」が完成したのは720年。それ以前の歴史は、朝廷に伝わっていた神話や伝説。神武天皇即位の日など、わかりっこないと思います。(HARUKO)

★建国記念の日は祝日の一つとしか捉えていなかったので、この日をきちんと考えたことはありませんでした。「そうなんや」と感心するだけでした。でも俺は、日の丸や、君が代にはなんとなく抵抗を感じてしまう世代です。学生運動が真っ盛りの時に、高校・大学時代を過ごしたからですかね。だからといって、国旗や国歌を変えるのがいいと思っているわけでもないんやけどね。

私も、例年は、単なる祝日ですよ。たまたまオーストラリアと、日本の建国記念日に遭遇して、考えるきっかけになりました。(HARUKO)

☆国歌ですが、卒業式やオリンピックには、まあいいいかな。私は日本人としての自覚を持って歌ったことはないかもしれません。ついこの間、娘の成人式でしたが、やっぱり成人式は15日がいい。祝日が日曜に重なると損したようで、連休になると得をしたようで、飛び飛びだとカッタルイ。そんな時代がよかったな。記念日がいったいいつなんだか、わからなくなりますね。

祝日で損したり、得した気分を味わっていたころが確かに、なつかしいわね。今の私のように毎日が祝日だと、こう休日が多いのはむしろ不便。まったく勝手な言いぐさですが。(HARUKO)

☆私たちの年代は、洗脳されて、強制されて、しかもそれを信じて、君が代を歌っていました。だから今問題になっている「北の国の人々」をあげつらうことは出来ない気がします。つい50年前のこと。教育次第で、人間はどういう鋳型にもはまるものかしらね。

私も小中高と卒業式では君が代を歌った記憶があります。ろくに歌詞など見ないから、内容など考えもせずに歌っていました。(HARUKO)

★スポーツでは、日の丸と君が代が感動的なのですがねえ。変な教育を受けてきた性もあるのでしょうが、国旗掲揚・国歌斉唱を学校に異議を申し立てる人たちが理解できません。

もうすぐアテネオリンピックですが、少しでも多く、日の丸と君が代を!と望んでいる人が、大多数でしょうね。それだけに、みんなに愛される国歌、国旗はないものかと思います。(HARUKO)
 
☆建国記念日の話題を興味深く読みました。君が代の代わりに「さくらさくら」が良いという意見を聞いたことがあります。

★私も建国記念日や国歌には賛成できないです。祝日なので、誰も文句は言いませんが…。誰が言ったのか覚えていませんが、「坂本 九の“上を向いて歩こう”を国歌にすればいいんじゃないか…」と聞いた時は『なるほど!』と思いました。

★国歌はやはり「君が代」がいい。「君」を天皇だと仰いだ戦前を思い出すからいけないのであって、貴方や私達と置き換えればいいのではないでしょうか。国旗にしても、白地に赤丸は世界の中でもひときわ目立つ端正な旗です。あれを見ると、心強く感じます。

「上を向いて歩こう」が世界に知られているからって、国歌にしていたら、しゅっちゅう国歌を変更せねばならなくなります。「韓国や中国のように、いつあまでも日本の戦争の誤りを愚痴ったり、非難しても先へは進まない」と、イギリスの植民地だった国の若者がテレビ討論で語っていました。

 「さくらさくら」も「上を向いて歩こう」も、国歌となると、私にはピンと来ないなあ。いずれにしろ、私が生きている間に、国歌や国旗が代わることはないでしょう。変更するとなったら、国を二分するような意見が出ることは必至。そういう事柄に、エネルギーを使う時代ではなくなったような気がします。曖昧模糊のままでいくのでしょうね。誇りを持てて、しかも誰にも抵抗がないような国旗や国歌は、無理なのでしょうか。(HARUKO)

☆私も「君が代」と「日の丸」は良いなあと思っています。でも君が代の歌詞は今の世にふさわしくないから変えたらどうでしょう。メロディーはとても良いと思います。もう世界中に知られているのだし、変更は如何なものでしょう?問題は建国記念日を制定したことですよね。明治維新とかポツダム宣言後の、終戦日とかにしたら?

君が代のメロディーは、カビくさくてイヤだなと思っていましたが、良いメロディーなのですか。言われてみれば日本的でいいのかも。いずれにしろ、ワールドカップやオリンピックで、世界中に流されているメロディー。日本に革命でもない限り、代わることはないでしょうね。8月15日を建国記念の日にする案は、「敗戦の日を記念にするとは何ごとだ!」と、否定されたと聞いています。(HARUKO)

★イタリアの建国記念日は6月2日。一昨年、ローマ郊外に借りた部屋で、建国記念日の模様をテレビで1時間以上見ました。盛大な式典で、大統領が戦士の墓に献花をしてから、コロッセオの見える大通りを陸海空各軍、NATO軍、米軍などが行進していました。沿道には観客がつめかけていて、時には敬礼する子供の姿を大映し、たくさんの国旗が振られるというにぎやかな画面でした。

政府、マスコミの訴えていることは、言葉はわからなくても明白。都市国家が母体なので、国としてのまとまりが弱いと言われているイタリアでも、あるいは、だからこそ、努力しているのが印象的でした。

イタリアは、イラク派遣でもいち早くアメリカに協力しました。イタリアが国歌として統一されてからまだ130年ぐらい。まとまるために、こういう行事が必要なのは、分かりやすい構図ですね。(HARUKO)

★スペインでは、10月12日が「イスパニアデー」という祝日になっています。この日はコロンブスがアメリカ大陸を発見した日。建国記念という主旨ではありませんが、スペインが世界的な国家として比類亡き発展を遂げるきっかけになったという意味では「建国的」なのでしょう。国王が、軍服で軍事パレードを閲兵する様子をテレビで見ました。

イタリア情報に続き、スペイン情報。お二人ともロングステイ中のことです。スペインは、コロンブス上陸をいまだに祝っているのでね。新大陸発見(新大陸の人は、発見されたわけじゃない)後のスペインは、日が沈まない国と言われていましたが、富を蓄積しなかったつけが出て、当時の勢いは、まったくありませんね。過去の栄光に、いつまでもすがりたい気持ちもわかりますが。(HARUKO)

★スイスのグリンデルバルトへの登山電車が発着するインターラーケンの郊外に「ウイリアムテル野外劇場」があります。テルは、スイス建国のきっかけを作った伝説上の英雄とのこと。1912年以来、毎年夏になると、上演されています。オーストリーの圧政と戦うテルと、スイス民衆を描いています。リンゴを射落とす場面もあり楽しいですよ。

でも、スイスの建国記念日は8月1日で、ウイリアムテルに関係した日ではありません。カントン3州の同盟に関連しているようです。

今度はスイス情報。この方もロングステイのベテランです。各国の様子を知らせていただける幸せを身にしみています。いずれにしろ、建国記念の日が、すっきりしている国は、少なそうですね。(HARUKO)

☆建国記念文庫について、友達が調べてくれました。参考までに、転載してみます。

「昭和41年12月9日、建国日制定審議会は2月11日を建国記念の日として答申、即日法律によって発布された。こ間、数十万通に及ぶ記念日制定の希望、意見書が進達されたので、ここに建国記念文庫を建設し、保管することとした。建設費はすべて国民の浄財である。これは国民が等しく建国を思う情熱の結果であり、千年、万年の子々孫々に伝え、以て後日の語り草にしたいのが、記念文庫設立の目的である。

建物は、我が国が建国当時、米穀を以て立国したことを想い、奄美大島の高倉用式を移築し、その屋上にテンパガラスを施行し、ここに書類を保管した。書は出雲大社の神門の布施杉の材に、佐藤大寛が墨書した。礎石は、坂上田村麻呂将軍の東征により、平和国家が確立された故事に鑑み、奥州厳作山の石垣白川石を以て施行した。
昭和40年2月11日 元建国記念制定審議会長 菅原通済記

建国記念文庫は、東京渋谷の神宮外苑の林の中に建っているそうです。上の文を読むと「あらら」と思う箇所もたくさんありますが、こういった考えの人が大勢いるからこそ、建国記念の日が、国会では成立しなかったのに、政令という形で、祝日になっているのですね。(HARUKO)
(2004年2月26日 記)
反論・同感どちらも歓迎。声を聞かせてください→

ブツブツひとりごとのトップへ
次(お役所のカタカナ言葉)へ
ホームへ