ブツブツひとりごと

万世一系??? (北山田だより214号-2006年1月号-より抜粋)

 「北山田だより」は私信なので、何を書いてもかまわないと思うものの、天皇制云々を語るのは、少々少々憚られます。誤解されても困るという思いが、片隅にあるからです。でも「皇室典範に関する有識者会議」の答申案が、今年3月に国会に提出されると聞いて、日頃思っていることを書く気になりました。

 「有識者会議」が出した案は、女性天皇を認める。女系天皇も認める。継承順位は第1子優先というものです。何が何でも、天皇制を継続させるのだ・・の思いが、もろに表れていますね。

 私は、天皇制を廃止すべきだと声高に主張する気もありませんし、今の天皇家の、どちらかといえば質素にお暮らしの様子に、微笑ましさすら感じています。

 そういう思いがある一方で、女帝天皇云々の議論に「天皇制はなにか」がまったく抜けていることに、歯がゆさを感じています。マスコミのアンケートに「女性天皇を容認するか」の項目はあっても「天皇制に賛成か」についての項目はありません。有識者会議は「天皇制は何か」の議論は、避けたそうです。これまでと同じく、タブーにしておいた方が、無難だからでしょう。

 私にとって、皇太子妃と言えば、美智子妃殿下と雅子妃殿下です。もし民間に嫁いでいたならば、素晴らしい人生をご自分で切り開いたに違いない才能豊かな2人が、皇室に嫁いだばかりに、心の病にかかってしまいました。

 こうした経過を見てきただけに、「女性をこうまで不幸にする天皇制って何だ」と思わないではいられません。周囲を見回すと、結婚しない男女はたくさんいます。子供を持ちたくない夫婦もいます。欲しくても授からない人もいます。世の中全体がこうした風潮なのに、皇室に嫁いだお嫁さんだけが、子供しかも男子を産むことを強要されています。

「AERA」(1月2・9日号・朝日新聞の週刊誌)は、現代の肖像で、「雅子妃殿下」を取り上げていますが、その中に「妃殿下は皇室に入ってからも自分に何ができるのか常に前向きだった。・・しかし答えは決まって「世継ぎ以外のことは考えなくてもいいのです」というものだった。・・」の記述があります。封建時代のような考えを当然のように語る宮内庁がある限り、雅子妃殿下の心の病は治らないような気がします。

 そして、1月16日号の「AERA」には、雅子妃「離婚説」の策謀-別れさせたがっているのは誰か-の記事が載っています。年末年始に、こうした説がおおっぴらに浮上したというのです。おふたりに何があったのか知りませんが、夫婦の問題が、第三者の憶測や思惑で語られること自体、なんともお気の毒。

 何代も続いた旧家の跡継ぎがいなくて絶えてしまった例は、よく聞きます。天皇家もこうした旧家のひとつと考えるなら、自然にまかせて、もし途絶えてしまったら、そのままでも良いと思いませんか。「豊臣家があったなあ」と同じに、「天皇家もあったなあ」ぐらいに、気楽に考えられないものでしょうか。こうでも考えないと、次の次の天皇に即位なさるかもしれない愛子さまが、お気の毒。4歳の身でありながら、跡継ぎを生むことを宿命づけられているのですよ。天皇家に生まれたばかりに、人権が重んじられないのは、おかわいそうでなりません。

「万世一系説」は、14世紀の南北朝の争乱の時に、北畠親房が「神皇正統記」の中で触れました。この説をよみがえらせたのは、本居宣長。江戸末期に異国船が頻繁に来航して国の存亡が危ぶまれた時に、心をひとつにするために万世一系説を強調しました。「日本は神国である」「アジアでもっとも優れた国である」という考え方の元になったと言われています。万世一系が明治維新の「国家イデオロギー」になり、いまだに日本人の深層にあります。

 そもそも、「15代の応神天皇までの実在は疑わしい」というのが、古代史の常識。26代の継体天皇のときに、王朝交代があったというのも定説です。なのに、この常識が、公の場では無視され、何かというと「万世一系」が首をもたげます。これまでの人生で、不思議な事例は、数多く見聞きしていますが、いちばん腑に落ちないのは、この事です。 (2006年1月25日 記)


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