ブツブツひとりごと

  続・今の天皇家は閑院宮家

「今の天皇家は閑院宮家」に対し、掲示板とメールに感想をいただきました。「いつになく面白かった」と直接言ってくれた人も数人いました。「何が面白かったのか書いてね」と頼みましたが書いてくれないので、その方達の感想はありません。いつものように★は男性。☆は女性。ピンク字はHARUKOのコメント。

★天皇制の時代に育ちながら、天皇家の家系については無知同然だったのが恥ずかしいくらいてす。あの時代、そういう教育もされず、天皇家の家系にふれることは畏れ多いとされ、ベールに包まれたまま誰も知ろうともしなかったのを思い出しました。

天皇が統帥権を持っていた時代の雰囲気は理屈では分かるのですが、実感できません。今は、恐れ多いと思っている人は少ないような気がします。(HARUKO)

☆昭和ひとけた生まれの夫は、天皇家が閑院宮家だと知っていたそうです。「そんなの常識だったよ」と言ってますよ。三宅坂に、閑院宮家の銅像があったんですって。私は初耳でしたけど。

あら!そうなんですか。天皇制の時代に教育を受けたのに、ご存知だったのですね。皇居周辺の三宅坂に銅像があったということは、東京に住んでいる人にとっては、タブーでもなんでもなかったのですね。(HARUKO)

☆閑院宮家の話題。 突っ込んでくださってとても興味深く読みましたわ。友人(男性)が、天皇制は廃止して、天皇家は、日本一の旧家として残せばいい、と言った人がいましたが、それとてなかなか、実現には問題が多すぎますね。

日本一の旧家という考えは、いいですよね。不自然なこと、作為的なことはしないで、なるがままになれば良いと私も思います。(HARUKO)

★私は、今の天皇家が閑院宮家の流れということは知りませんでした。というより、このことについてはあまり関心がないので、コメントもできないのです。

男性の方は、女性より関心が低いようですよ。私たちは、美智子さまや雅子さまがお気の毒だと、女性の立場から思っているのです。「跡継ぎを生むことだけが仕事だ」と言われたら、雅子さまならずとも、病気になってしまいます。(HARUKO)

★小学校2年の時が太平洋戦争の始まりです。「天佑を保有し、万世一系の皇祖皇祖を践める大日本帝国天皇は、今明、12月8日、敵鬼畜米英に戦いを宣す」。多少違っているかもしれません。小2だった生徒の、60数年前の記憶で書くのですから・・・・。終戦の時、小6。

上級生(高等科1.2.年)は、127代天皇の名を諳んじるのが必修でした。途中で詰まると、猛烈な横びんた。全部言い終わるまで下校不可。

折角あるのだから、天皇家があってもいいと思います。長男より次男の方が人当たりのいいのは、一般的です。不遜を覚悟で言えば、雅子さんにチッソの被害者の怨念による祟りがあるでしょう。そして、我が儘娘に育てた両親の不徳があるでしょう。人のふり見て・・・。自戒します。子供は、周りから親の顔が見たいと言われているかも。多弁、駄弁済みません。


天皇の名を言えないと叱られたという話はよく聞きますが、猛烈なビンタをする先生方は、そらんじていたのでしょうか?ところで、今も暗記できますか?私は、雅子さまが我が儘娘とは思いませんけど・・。(HARUKO)

☆幼稚園の初めての運動会で大玉ころがしをしている愛子さまのニュースに、「ほんとに、おかわいそう」と思いました。こんないたいけな子どもを、分別ある大人たちが、誰のためを思って、女帝にするとかしないとか決めるのでしょうね。

まだ小学生にもならない愛子さまが、万人に監視されているのはおかわいそう。生まれたばかりの悠仁さまだとて、ある意味ではおかわいそう。(HARUKO)

☆私は、閑院宮家が今の天皇家の祖だとは知りませんでした。そんなこと考えてみたこともなかったわ。

そうそう、私も今の天皇家の祖など考えたこともなかったですよ。ご近所の学者から聞いて、はじめて知ったのよ。(HARUKO)

☆宮家には、スキャンダルも離縁もあった。天皇家にそれがないのは、考えられませんね。隠しているのか、がんじがらめで離縁も出来なかったのか。今のイギリスの王家も、モナコの王家も、スキャンダルばかりじゃないですか。天皇家だから、王家だからと、特別に有り難がる時代ではないと思いますね。

そうですねえ。イギリス王家は、チャールズ皇太子もその弟たちも、波瀾万丈ね。デンマーク女王の次男も、2人の息子がいるのに離婚したと聞きましたよ。ありていに言えば、天皇家も王家の人間も、そういう意味では普通の方なんですよね。(HARUKO)

★「こんな面白い話はみんなにお裾分けしなきゃ」。さすがHARUKOさん,らしいですね(^o^)。皇統の断絶を危惧して皇室の御3家を提唱した。新井白石は流石ですね〜。江戸時代にも2人の女帝が居た!絶するなら,女帝で結構じゃないですかネ!

女帝にしたからとて、次の時代が安泰とは思えないのですが。女帝のお婿さんになる方がいるかしら。私達は、次の次の天皇の時代には生きていないから、どうなっても良いと思ったり、見届けたいと思ったり。(HARUKO)

★大変興味深いお話でした。僕は歴史に最近になって(そう今頃)興味を持つようになりました。切っ掛けは、「逆説の日本史」です。井沢元彦さんは僕には、大変ユニークな人に見えます。(週刊ポストで69話新井白石の分析)歴史学者を素人が扱き下ろすので、「敵;反対派」も多いようですが、なるほども結構多いからです。

話がそれましたが、天皇家を勝手に「タブー視」してきた一人としていろいろ見直す現代は面白いです。3000年、4000年の西洋・アラブ・中国などから見ると我が民族の何と暢気なことかと思います。

「逆説日本史」は読んでみたいです。歴史は、その時代背景によって、異なって語られますね。「古事記」「日本書紀」も、書かれた時代の権力者の意向が強く反映されています。前は英雄だった人物が、けなされる時代になったり、その逆だったり。(HARUKO)

☆信じ込まされている天皇家の事は、必ずしも事実ではないのですね。でも、考えれば、当たり前の事かもしれません。そんな続くなんて、あり得ない。

さて、昔の感覚だったら、秋篠宮家の男の子を天皇家を守るために、皇太子の家に渡して育てるなんて、ありえたかもしれません。そこで、帝王学を学ばせながら育てれば、天皇になるという点では、すんなり行くかもしれない。

一般でも、昔はそのような事は当たり前でしたよね。現に、母の下の兄は、その母(私の祖母)の実家が、滋賀のあたりでは大地主で、そこに跡取りができなかったから、幼い内に養子に渡しているのです。それが、三高、京大の法学部。在学中に高文にパスして検事になったが、嫌で、銀行マンに転身したという人です。後になって養子だと知った彼はショックだったらしい。個人の人格を考えれば、簡単な事ではないのかもしれないけれど、家を守るためなら当たり前の感覚でしたね。

今の時代、例えば、女帝を良しとしたとしても、そこに養子に来る 男の人が簡単に見つかるかしら?昔と違って、絶対断れないなんて感覚はないから。結局、女帝にはお婿さんも来なくて、現実には繋がっていかない、なんてことになって、何をやっても同じではないか、という気もしてしまう。女帝になる人が、うまく恋愛をして、誰かを掴んで来れば、どうにかなるかもしれないけれど。それだって、どんな人でも良いという訳にはいかないでしょ。

オランダのベアトリクス女王の夫は、ドイツの外交官で、オランダ王室に入った後、鬱病に苦しんだそうですよね。

天皇の儀式など、男でなければできないこともある、との主張をしている人の文を読んだ事があるけれど、女で出来ない儀式はやめれば良いじゃない?と私は思ってしまう。単純に言えば、女帝がいけないとは私は思わないけれど、長い歴史の深い事は知識がないし、わからないので、簡単に意見を言うべきでは
ないという気もします。

長々と感想をありがとう。あなたの親戚だけでなく、殿様に跡継ぎがなければ、他家から赤ちゃんをもらい受けて育てた例はざらですよね。一昔前なら、秋篠宮家の男児を、皇太子夫妻が育てたかもしれません。安倍晋三の弟も、赤ちゃんのときに、子どもがいなかった岸家(岸信介の長男の家)にもらわれていったそうです。今は岸信夫という参議院議員ですが。(HARUKO)

☆天皇家の祖が閑院宮家だったとは初耳でした。このお便りが無ければ私も万世一系説に何の疑問もなくいたかもしれません。正確に歴史を知っていることは大切ですし、知らないのに堂々と力説している人は何だか恥ずかしいですね。

今、上坂冬子著の「戦争を知らない人のための靖国問題」という本を読んでいます。筆者の考え方はともかくとして、東京裁判の事実や靖国神社、戦犯のことなど知らなかったことが多くてためになっています。人生半分以上経ったのに知らないことが多くて、これではあかんという気分の毎日です。  

私も、この歳になって初めて知ったことたくさんありますよ。たくさん出回っている本をすべて読むことはできないし、ちょっとあせってしまいます。(HARUKO)

☆現天皇家が閑院宮家出身というのは面白かったです。日本の古代史を面白がっていたころ、継体天皇が名前のとおり、騎馬民族に取って変わられたのだという話にいたく感動したことがあります、そもそも万世一系というのはあり得ない。現天皇家に親しみを感じ、「けしからん」などとは露ほども思いませんが、やはり「万世一系」をありたがる人々には、ちょっと不審の念をいだきます。

たとえ天皇制に反対を唱えている人でも、今の天皇家に憎しみを持ってはいないような気がします。ほとんどの人が親しみを感じているからこそ、なんとか存続して欲しいのでしょうね。(HARUKO)

★光格天皇の閑院宮家からの即位はこれまでよく知りませんでしたが、系図を見るとなるほどそうですね。光格天皇の娘が即位しなかったのは不思議ですね。もっとも内親王は、今の愛子さまより小さかったわけですか。当時誰が天皇になるかを決めていたのは幕府でしたか。

江戸時代の天皇は誰が決めていたのでしょう。皇室典範もなかったでしょうから、きちんとした順番は無かったかもしれませんね。当時の情勢から言えば、幕府の意向は強く働いたような気はしますが。(HARUKO)
(2006年11月9日 記)
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