ブツブツひとりごと

  言葉たち・名曲たち (北山田だより235号-2007年10月号-より抜粋)


 今更とやかく言わなくても、「日本語の乱れ」や「若者ことば」を嘆く声は世に満ちているし、私が文句を言っても「老いの繰り言」とバカにされるだけです。「お名前と住所を頂戴してよろしいでしょうか」にも、「あなたに名前や住所などあげられないわ・・」と内心つぶやくも、口に出して抗議する勇気はありません。

 「ご注文は、ハンバーグでよろしかったでしょうか」「これはチャーハンになります」にも、「はい!ありがとう」と素直に答えています。

 「私てきには、安倍さんが辞めてよかったです」「僕てきには、福田さんもどうかと思いますよ」という会話を聞いても、「こんな場合に、てきを使うなんて変よねえ」と、傍らにいる人にブツブツ言うだけです。

 声を大にして批判しないのは、言葉は変化しているものだし、消えていった言葉は数限りなくあります。夫に言わせると、私はすぐ流行語に染まりやすいんだそうです。テレビやラジオのコメンテイターやアナウンサーまでも妙な日本語を話しているので、つい感染してしまいます。

 こんな私が「日本語の乱れ」を語る資格がないなと思うも、最近やたら目にする「○○たち」は、気になって仕方ありません。識者や言葉にうるさいお歴々が、異議を唱えないかなと気をつけていますが、今のところそうしたコメントは見ていません。

 最初に気づいたのは、「カワイイ小物たち」「咲き乱れている花たち」でした。私も関係している都筑区のHP「交流ステーション」で、若い人達が書いたコメントです。交流ステーションのHPは、仲間内で文章をチェックすることになっています。でも、「小物たちの表現が正しくない」と言い切る自信がなかったので、黙っていました。

 英語ならFLOWERにSをつけるだけで、花の複数を表現できますが、日本語には複数形がないから不便ですね。英語のSの代わりに、「たち」を使っているのでしょうが、それもなんだかオカシイ。

 素人が書いたものならともかく、プロの文章にもオカシイと思う「○○たち」が目に付くようになりました。ここ数ヶ月で気づいただけでも、たくさんあります。

○小澤征良さんのエッセイ
図書館で借りた「思い出のむこうへ」というエッセイに「父のことを考えて、パッと思い浮かぶ言葉たち」として、たくさんの言葉が書き連ねてありました。ここで言う父は、指揮者の小澤征爾さん。お嬢さんの征良さんは、エッセイストという肩書きです。

○JR東日本のCM 
吉永小百合さんが巨木を愛でているCMは数ヶ月前まで流れていましたが、CMの説明に「東北の森で何百年も生きている巨木たちの話し声にそっと耳を傾ける吉永さん」。

○8月3日のNHKプレミアム10
阿久悠さんが亡くなった直後の、NHKのプレミアム10のタイトルは、「日本一のヒットメーカーが生んだ名曲たち」でした。名曲の数々という言葉なら、私には違和感がないのですが。

○週刊ポストの新聞見出し
「強姦魔 監禁部屋のおぞましき道具たち」。週刊誌の見出しはおぞましいのが通例ですが、どんな道具なんでしょうね。

○ 料理番組
どこの局か忘れましたが、ごく最近のテレビの料理番組で「すがすがしい小皿の料理たち」のテロップが流れました。

何気なく私が使っている「たち」は、子どもたち、私たち、あなたたちなど、人間が対象です。無生物に「たち」をつけても文法的に間違いはないのでしょうか。どなたか教えてくれませんか。私の感覚がおかしいのかしら。

ちなみに「達」を広辞苑を引いてみました。
<接尾>
@名詞・代名詞に接続して複数形を作り、または多くをまとめていうのに用いる。古くは、主として神または貴人だけに用いられた。万葉集17「玉ほこの道の神―まひはせむ吾あが思ふ君をなつかしみせよ」。伊勢物語「せうと―の守らせ給ひけるとぞ」。源氏物語(夕顔)「親―はやううせさせ給ひき」。土佐日記「をとこ―の心なぐさめに」。「私―」「子供―」

A複数の意が薄れ、ただ複数の形で、軽い敬意を表す。源氏物語(花宴)「をかしかりつる人のさまかな。女御の御おとうと―にこそはあらめ」

例に挙げているのは、「神たち」「親たち」「をとこたち」「私たち」「子供たち」「御おとうとたち」と、神様以外はみな人間ですが、人間の複数に用いるとは明記してありません。昔は神や貴人にだけ使われたんですねえ。言葉は変化している良い例かもしれません。そのうち、以前は人間だけに使われたと辞書に載るかもしれませんね。  (2007年10月20日 記)

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