ブツブツひとりごと

  イスラエルとパレスチナ紛争の元凶は?     -アラビアのロレンス−(「北山田だより」2009年2月号から抜粋)

「アラビアのロレンス」の映画が大好きで、見るたびに新しいことを発見し、同じシーンに涙し同じシーンに感動しています。日本では1963年に初公開されましたが、ごく最近も新宿のテアトルタイムズスクエアで、完全版が放映(12月20日〜2月13日)されたほどの人気映画。娯楽映画でありながら、第一次世界大戦の列強のおもわくが見え隠れしているので興味をそそられます。イギリスの将校ロレンスは、オスマントルコに支配されていたアラブの独立闘争に手を貸してアラブを独立に導きます。映画冒頭のロレンスの葬式場面で、彼を英雄に持ち上げる人と非難する人の両者が出てきますが、大国同士の戦争に翻弄された彼に両面があり、多少のぶれがあったとしても不思議はないように思います

 時は第一次世界大戦。イギリス・フランス・ロシアなど連合国とドイツ・オーストリーハンガリー帝国・オスマントルコなど同盟国の戦いでした。そういう構図の中で、イギリスはオスマン帝国を内部崩壊させるためにアラブ人の独立を扇動します。もともとロレンスは、イギリス政府の密命を受けたアラブの反乱を操る工作員。しかし独立を求めるアラブ人の純粋さに触れてアラブに味方するようになり、イギリス政府との間でジレンマに陥ります。アラブの独立を約束したイギリス・フランス・ロシアの列強は、戦争終了後に一転してアラブを分割します。この分割こそが、中東をいまだに世界の火薬庫にしています。

 去年の暮に始まったイスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの爆撃は、世界中の人が心を痛めました。今は停戦中ですが、これで解決したとは誰も思わないでしょう。その両者の憎しみと怨念の元凶のひとつは、第一次世界大戦の後始末にありました。当時のイギリスの二枚舌外交が、今に至るイスラエルとパレスチナの憎しみの素地を作ったと言われています。

1915年のフセイン−マクマホン協定。エジプト駐在のイギリス高等弁務官のマクマホンが、メッカのフセインに、アラブ人居住のオスマン帝国領に独立国家を建設すると約束した協定。

 1916年のサイクス−ピコ協定。イギリス・フランス・ロシア間でオスマントルコ領の分割を決めた秘密協定。協定を作成したイギリスの外交官サイクスとフランスの外交官ピコからの命名。この中で、エルサレムを含むパレスチナは国際管理化におくことになっています。

 1917年のバルフォア宣言。イギリスの外相バルフォアがユダヤ人の支援を得るために、戦後パレスチナにユダヤ人国家を建設することに同意した宣言。

 この3つの宣言ないし協定は、小学生でも矛盾に気づきます。アラブ人にはアラブ国家の建設を約束し、ユダヤ人にはユダヤ人国家を約束しています。3つともイギリスが主導しています。大戦後に、アラブは独立どころか英仏露によって分割されてしまいます。この事実を知ったロレンスは「自分はなんのために戦ったのか。砂漠での苦労はなんだったのか」の思いを持ったことでしょう。ましてや、自分が独立の手助けをしたアラブ人の一部が、いまなおイスラエルの攻撃にさらされているのを知ったら、どんなにか歯がゆいことでしょう。

 ナチスドイツが、ユダヤ人という理由だけでユダヤ人を迫害した事実が一方にあります。しかし、もう一方には、パレスチナ人を力ずくで追い出してイスラエル国家を建設したユダヤ人がいます。パレスチナは、4000年前のアブラハムの頃から約束の地だったと唱えるユダヤ人。長いこと住み着いていたのはわれわれだと唱えるパレスチナ人。両者のことを考えると「話し合いで和平を」など当たり障りのないことは、とても口に出せません。

 そんな折も折、映画「アラビアのロレンス」の原作であるロレンス著「知恵の七柱」の完全版3巻(平凡社東洋文庫)(左)が出版され、私がヨルダンで撮影した写真が2枚使われました。ヨルダンのワディラムという砂漠地帯で岩山を見たときに「これが七柱だ!」と感激して撮影。若い頃に簡略版を読んでいなかったら、単なる岩山だと思ってシャッターを押さなかったでしょう。

七柱の写真を探していた平凡社のスタッフが私のHPで七柱を見つけ、ぴったりの写真だったので喜んだそうです。数回のやりとりがあって、デジカメ原画数枚を提供しました。

(2009年2月13日 記)
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