ブツブツひとりごと 22回

 私信「北山田だより」を知人に送っていますが、その一部を抜粋して「ブツブツひとりごと」として載せていましたが、長いこと更新していなかったことに気づきました。久しぶりにブツブツ言います。

    フクシマ原発について  (北山田だより282号-2011年9月号-より抜粋)

軽蔑語になった「フクシマ」

インスブルックを歩いている時に、通りすがりの若者に「フクシマ!」の言葉を投げかけられた事を前号で書きました。好意的な響きでないことは、すぐわかります。世界を覆っている空気は、そんなものだと思い知らされた記事が、8月20日のyahooのニュース欄に載っていました。

サッカーのベルギー1部リーグ、リールセの日本代表GK川島永嗣は19日、ホームでのゲルミナル戦で4試合連続フル出場し、1―1で引き分けた。相手チームのサポーターが「フクシマ」と連呼して川島を挑発。東日本大震災による原発事故に心を痛めていただけに「他のことは許せるが『フクシマ』と言うのは、冗談にできることではない」と憤慨した

サッカーでは、サポーターが痛烈なヤジを飛ばすことで有名です。野球のヤジよりグサリときます。とはいえ、フクシマの連呼には、怒りと悲しみとやるせなさが込み上げてきます。蔑称語が「ゲンパツ!」なら、まだいい。たしかにこれだけの原発事故を起こし、事後処理もまずかった。日本はそんな国なのだという軽蔑なら、理解できます。

でも蔑称語「フクシマ」は、精神的にも経済的にも傷ついている人たちを、さらに傷つけるでしょう。大多数の善良な県民は、原発に関係ない職業についています。そんな県民すべてを追いつめているのが原発事故です。

でも「フクシマ」のヤジを飛ばすからとて、ヨーロッパ人だけを責められませんね。京都五山の送り火で、陸前高田の松を拒否した例もあります。家の近くの公園で、原発被災地の木々を燃すとなったら、私もノー!と言うかもしれません。他人様を非難できません。「じゃあどうしたらいいんだ」と自問自答しているだけの私が、情けないです。

                 太平洋戦争と原発事故

8月6日と9日と15日。3・11直後だけに、太平洋戦争と津波・原発事故の類似点に気づいた方も多かったのではないでしょうか。「日本史ウオーキング」で各時代の代表的な遺跡や史跡をめぐっていますが、過去を偲んでいるだけでもないんですよ。日本人の本質や日本社会のありかたを、検証できればなあと思っています。「検証できたとしてどうするの?」と言われれば、それまでですが。

 そういうこともあって、「なぜ日本は、あんな無謀な戦争を起こしたのだろう」「中国との戦いですら引くに引けない状況だったのに、さらにアメリカに戦いを挑んだのはなぜだろう」「なぜ自滅の道に突き進んだのだろう」と、なぜなぜバアサンは「なぜ」をつぶやいています。

 「日独伊三国同盟と言いながら、イタリアは3月にドイツは5月に見切りをつけている。なぜ日本だけは最後まで世界中を敵にして戦ったのだろう。せめてドイツと同じころに見切りをつけていれば、沖縄戦もなかった、私の家が空襲で全焼することもなかった、広島や長崎に原爆が投下されることもなかった、若い特攻隊員の犠牲者もずっと少なかった」と、愚痴っぽくなってきます。

いろいろな本を拾い読みしているので出展は思い出せませんが、旧日本軍は「桶狭間の戦い」を参考にした・・の文に接し、あきれました。桶狭間の戦いは、まだ弱小だった織田信長が東海一の大名・今川義元を奇襲して勝利した戦い。でもアメリカや世界を相手にする戦いに、500年も前の国内の小さな短期戦を参考にするなんて、グローバルな思考がまったく欠けているじゃありませんか。時代も環境も違いすぎます。

旧日本軍は、まずいことが起きた時の想定を、まったくしていなかったという話もよく耳にします。「負け戦になりそうな場合はどうするか」を発言する参謀がいたとしても、「そんな不吉なことは考えるな」「根性があればどうにかなる」と、一蹴されたそうです。日本軍は「こういう状況になったら撤退する」ノウハウをまったく持ち合わせていなかったのです。撤退や捕虜になるのは、卑怯者がすることだという発想でした。

こんなことを考えているときに、原発事故が起きました。原発関係者、政府も学者も企業も地元民も誰もが「万一事故が起きたらどうするか」のノウハウを持っていなかったことが分かりました。「絶対に安全なんだから、万一の事故のことなど議論すべきではない」「事故が起きた場合の対処法を文章化したら、安全神話が疑われてしまう」の意見が大勢を占めました。万一の場合を話題にしようものなら、組織の中で浮いてしまう状況だったようです。

70年前の太平洋戦争と原子力発電所の設置は、「最悪の事態を想定していない」「最悪の事態後の対処法を持っていない」「突っ走ってしまえばどうにかなると、上層部が考えていた」「反対意見を言う人を弾圧・無視することで、事実上抹殺する」「国民は、日中日米との開戦も原発の開始も、自分のこととして真剣に考えていなかった」「大本営も原子力村も、都合良い情報は流し、都合悪い情報は隠す」など、驚くほど共通点がたくさんあります。

 人間は歴史から学ぶと言いますが、何も学んでいないことになります。アメリカから押し付けられた民主主義がきちんと育っていれば、こんなにも閉鎖的な社会にならなかったでしょう。精神面では70年間進歩していない、変わってないのです。日本人が愚かなのか、能天気なのか、日本人のDNAのなせる技なのか。

もちろん、私もそうです。毎年のように原爆慰霊の日のNHKの中継を見ているのに、広島や長崎の原爆施設を見学しているのに、第五福竜丸の死の灰をリアルタイムで知っているのに、真剣に原子力のことを考えようともしませんでした。なぜこんなに無関心で、無防備でいられたのだろうと、自分の能天気ぶりをあきれています。 

私に限らず大多数の日本人は、世界で唯一の被爆国だという意識が欠如しているんでしょうね。原子力反対運動が、イデオロギーのリトマス試験紙になってしまったことも一因かもしれません。「核兵器を持たず・作らず・持ち込ませず」の非核三原則のスローガンも、いつの間にか語られることもなくなりました。見かけの豊かさを謳歌して、本質を見極めようとしなかった私たちは、重い課題をつきつけられました。

   (2011年9月23日 記)


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