ブツブツひとりごと  23回
  
  続・フクシマ原発について

前回のフクシマ原発について、反論や同感の感想をいただきました。

★湘南の暇人さんより

『ブツブツひとりごと 22回』を拝見しました。この文章のなかには、たくさんの問題が提起されています。「湘南の暇人」としては昭和史を専門?とするので触発されました。同様の文章をブログに掲載することにもしました。要約すると、

@せめて「ドイツの無条件降伏」と同じ頃、「太平洋戦争の敗戦」を決断すべき。

A太平洋戦争を「桶狭間の戦い」を参考にした。

B太平洋戦争と津波・原発事故の類似点。

太平洋戦争と原子力発電所の設置は、「最悪の事態を想定していない」

大本営も原子力村も「都合の良い情報は流し、都合の悪い情報は隠す」

C人間は歴史から何も学ばず、民主主義は70年間進歩していない。日本人のDNAかも。

D「核兵器を持たず・作らず・持ち込ませず」を忘れたのか?

世界の軽蔑語になった「フクシマ」は割愛させて頂き、以下@〜Dについて私見を披露します。但し多分に独断と偏見ですので、御承知おき下さい。

@≪「日独伊三国同盟と言いながら、イタリアは3月にドイツは5月に見切りをつけている。なぜ日本だけは最後まで世界中を敵にして戦ったのだろう。せめてドイツと同じころに見切りをつけていれば、沖縄戦もなかった、私の家が空襲で全焼することもなかった、広島や長崎に原爆が投下されることもなかった、若い特攻隊員の犠牲者もずっと少なかった」と、愚痴っぽくなってきます

は、まさにその通りです。小生の父親など昭和20年11月10日の戦病死です。戦後三カ月経過していて、マラリアで動けない二等兵は置き去りにされたのです。まだ戦って死んだ方がマシと云うものです。20年04月30日、アドルフ・ヒトラーが自殺、5月07日、ドイツは連合国に無条件降伏しました。「日独伊三国同盟」に準ずるなら、どうして同時に降伏しなかったのか。

この検証は一冊の本になる題材ですので、これも小生のHPで『敗戦の決断は何故遅れたのか』で推敲しています。ひとつ云えるのは、愚かな大日本帝国陸軍の更に愚かな「本土決戦」の準備で「司馬遼太郎」は実戦経験もなく20年05月、満州から栃木県佐野の部隊へ帰還できました。そこでの想定演習でアメリカ軍を迎え打つとき、東京方面から大八車に荷物を載せて逃げて来る多くの人々の交通整理はどうするのか、司馬遼太郎は尋ねました。

大本営陸軍参謀は暫く考えた後「轢き殺してゆけ」と言いました。(『司馬遼太郎対話選集6・戦争と国土』P45)むろん戦車隊の話です。この話も長くなるのでここで割愛です。

 昭和20年04月成立した鈴木貫太郎内閣での明確な敗戦決断派は、鈴木貫太郎首相、東郷茂徳外務大臣、米内(よない)光政海軍大臣。戦争続行派は、阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣、梅津美治郎(よしじろう)参謀本部総長、豊田副武(そえむ)軍令部長でした。統帥部(参謀本部は陸軍、軍令部は海軍)は、戦争続行しか考えが及ばない集団です。

8月10日、14日の「昭和天皇の聖断」が下されます。これを遅らせたのは簡単に言えば“陸軍中枢部”です。佐官クラスの血気盛んな将校は、終始神がかりでした。多くの昭和史で指摘されていますが「本土決戦」の可能性が高かったのが事実のようです。ドイツの無条件降伏と同時に「敗戦」を受け入れたならと誰しも思うのは当然です。

7月26日の「ポツダム宣言」を受諾することも出来ました。然しノラリクラリと日本の決断を鈍らせたのはアメリカ・トルーマン大統領側近です。何故なら7月23日に日本への「原子爆弾投下」を決断していたからです。ホンネでは早い敗戦決断を願いながら朝日・毎日新聞、徳富蘇峰など言論人はタテマエのみで現実から目を逸らし、戦争を鼓舞しました。

「鈴木内閣の苦悩の四か月」もこれも推敲中です。原爆投下は当初は“京都”が目標でした。「ここだけは絶対ダメ」という知日派のアメリカ軍人も居たのを知るべきです。当時のヘンリー・スティムソン陸軍長官です。駐日大使だったジョセフ・グルーの助言もありました。

A≪旧日本軍は「桶狭間の戦い」を参考にした≫

という部分は、参考にしたことは確かです。しかし内容は全く違います。これは山本五十六海軍大将が残した言葉です。山本五十六は最後まで「日独伊三国同盟」も「日米開戦」も反対でした。日本の海軍は、アメリカと戦争して勝てる組織ではない、が持論です。しかし悲しいかな山本も海軍軍人です。どうしてもやるなら『結局、桶狭間とひよどり越えと川中島とを併せ行うの已むを得ざる羽目に、追い込まるる次第に御座候』(半藤一利著『昭和史』P368 平凡社新書)の決意を披露しました。

真珠湾を想定して鹿児島湾で猛訓練したことも確かです。真珠湾攻撃が許可されないなら連合艦隊司令長官を辞任する、と軍令部へ直訴しました。ですがあまりに博打のような作戦で、大本営から反対されてボツ、と思ったのも事実のようです。許可したのは統帥部海軍・永野修身(おさみ)で「真珠湾攻撃」が現実になってしまいました。

昭和15年当時の米内光政海軍大臣、山本五十六海軍次官、井上茂美(しげよし)軍務局長は「アメリカとの戦争などもってのほか」という良識派の軍人でした。16年には主流派から外され、暗殺の対象でもあり“海の上”へ更迭されました。山本五十六は最後まで外交交渉に期待し、宣戦布告も厳命しました。ひそかに大元帥・昭和天皇の開戦反対も期待していたようです。ここも多くの論考があります。

B太平洋戦争と津波・原発事故の類似点

C人間は歴史から何も学ばない。

D「核兵器を持たず・作らず・持ち込ませず」を忘れたのか。

は、長くなるので割愛させて頂き、自分のブログで叙述します。ですが「核兵器を持たず・作らず・持ち込ませず」は、些か問題です。「核兵器を持たず・作らず」は理想論として正しいと思います。が「持ち込ませず」は、小生は最もナンセンスだと考えます。公海は12海里、22q先です。それ以降の公海は核兵器を搭載した原子力空母、原子力潜水艦の航行は自由です。今の核兵器はヒロシマ型の核兵器の数百発の威力があるそうです。そこで誤爆でもあれば、三浦半島や房総半島もひとたまりもありません。「福島原発事故」で真っ先に駆けつけたのはアメリカの原子力空母「ロナルド・レーガン」です。核兵器は置いてきたなどと言ってはいません。

 戦争と平和、原爆と原発も、小生は“リアリズム”だと思います。日本の戦争と平和は、感情論・精神論・運命論です。これは間違いです。平和も戦争も原爆も原発もなべて数字・物理・科学の世界です。理想論で平和は維持できません。精神論で「使用済み核燃料棒」は消滅しません。

日本国憲法9条2項で軍隊を否定する日本が、防衛予算は毎年4兆円、1兆円はアメリカから武器を買い、殺傷能力の低い武器は堂々と輸出しているのが現実です。沖縄の普天間基地問題も最もタテマエとホンネが交錯する問題です。

地政学的に見るなら沖縄は、ロシア・北朝鮮・中国・台湾・ベトナムと放射線状の中心に位置します。駐留するのは即戦力の特殊部隊・アメリカ海兵隊です。ここに核兵器が存在するか、しないかは個人の判断です。あっても無くても潜航する原子力潜水艦を考えれば全く意味のないことです。多くの政治家もマスコミも“見て見ぬふり” “触らぬ神に祟りなし”です。あって欲しくはないと無邪気に信じるのは、社民党の福島瑞穂ぐらいではないでしょうか。

 以上、独断と偏見を披歴させて頂きました。

長文の感想をありがとうございました。お父様の戦病死は20年11月。もう戦争は終わっていたのに・・。
いろいろ考えると、悔しいやら怒りがわいてくるやら。それが動機になって、昭和史をきちんと研究されていることに、日頃から尊敬しています。次はこの思いをどうした次の世代に伝えていくかですね。(HARUKO)


★Tさんより

それにしても,重い課題を取り上げましたね〜(^o^)読み下るにつけ,いちいち納得,肯けます!
わたしも最近は「時事川柳」にも取り上げる気力を失っています。(>_<)
こんな日本にしたのは,日本民族のDNAのなせる業でしょうか?
それとも日本国民の知能と気力の低下がそうなさ占めたのでしょうか?

数あるテレビ局をはじめマスコミ全体が報道の何たるかも考えないで,どこも自局の特徴や意見を主張せず上から流されるニュースそのまま横並びでしかも一過性的に報道するだけですし,朝から晩まで「一億総白ち」を目指しているとしか思えないようなバカ番組を流しているし…最近やっとお笑い番組に混じって「池上彰のそうだったのか!」番組が人気を集めていてホッとしています(^o^)が…

昔から「お役人さま」「お上」と言って敬い疑う事を知らない国民はフランスをはじめ西欧諸国の国民のように自己の権利意識が薄く,「和をもて尊し」の精神が争うことを戒めている。
そんな国民の性格を知り尽くしたハイエナ商法的な政治家や大企業の経営者達が利用し,胡坐をかいている!

今度の「東電」商法も独占企業の殿様商法に胡坐をかいた国民見下し的事故処理に他ならない!
独占商法であぶく銭をを稼ぎ,金の力で政治家やマスコミを黙らせているのだから国民のためにの方策が採られる訳が無いのです!

最近の世相にお怒りの様子が伝わってきます。どうしてこんな日本になってしまったのだろう?とはわれわれ世代は思ってしまいますね(HARUKO)

★Eさんより

数日、旅行をしていました。毎日のネット検索で、原発情報を得ていたのが、その間、持参したノートパソコンの環境が整わず、新聞、テレビでは、あと2年で川内村住民が帰村できるとか、東電社員のボーナスはあと2年(だったかな?)で100パーセント支給するとか。

ああ、も〜〜!といらいらが募っていました。

「太平洋戦争と原発事故」、「軽蔑語になった『フクシマ』」をいま夫に聞こえるように読んだところです。

そうしたら、5月にドイツに行って、ドイツ人はみんな優しいよなんて言っていた夫が、「そうだよ、ドイツで言われたよ。子どもに野次られたよ」って初めての発言。

彼も良いことばかりで都合良くいつの間にか「編集」していたようです。全く、今もすでに、原発関係の話題は声をひそめることなんだなあと感じることがよくあります。

あまりにみんなの認識がなさ過ぎると焦ってしまいます。

いやなことは、自分に関係ないことは、考えないことにしようという意識が強いんですね。他人の痛みは他人のもの。自分には関係ない。

9月に仙台に行ってちょっとショックだったのは、半年が過ぎているとはいえ、市内はまったく平常。もちろん心の中までのぞいたわけではありませんが、出会った人たちの話を総合すると、近くで大災害にあったのに、他人事のように感じている人が多いような気がしました。「いてもたってもいられない」という感情は、離れているからこそかもしれませんね。(HARUKO)

★Hさんより
「大本営と原子力村が同じ」というのは、まことに同感。くさいものは蓋は、まったく改善されませんな。黒く塗りつぶした東電の書類があったなど、馬鹿にするのもいい加減にせい!と言いたくなります。

東電の黒塗りされた文書を見て思い出したのは、黒く塗りつぶされた教科書です。私はこの教科書では習っていませんが、現物は何度も見たことがあります。(HARUKO)


反論・同感どちらも歓迎。声を聞かせてください→
次(カリフォルニア大学の図書館1)へ
ブツブツひとりごとトップへ
ホームへ