25回 (北山田だより「303号」−2013年6月号より抜粋-) 祖父母が頻繁に登場する本が、カリフォルニア大学図書館にあることを301号に書きました。デジタル化されているので、自宅のパソコンで読むことができます。著書の開原榮さんは、明治末にカリフォルニアのサクラメントに渡り、大正5年に13年ぶりに一時帰国。帰国中に出会った人や東京や地方の様子を「故国に帰ってから」という本に著しました。 飛行機もなく、インターネットもない頃、いったん海を渡れば簡単には戻れず日本の情報に疎い人が大多数でした。そんな在米日本人に故国の様子を知ってもらいたくて、書いたと思われます。読み物として抜群の面白さ。それだけじゃなく、100年前の日本を知るうえで1級の史料にもなっています。 「まずは検索」が若者の行動とはいえ、すぐにヒットして開原さんも驚いたのではないでしょうか。有名人でもない明治生まれのジイサマがネットに載っているのは、「母が語る20世紀」に書いたからであって、もし私がこのサイトを作らなければ、あり得なかったことです。もっとも今は有名人でなくても、ヒットしますが。 左は4頁の一部。横濱港に到着した日は、祖父母宅に泊まったことが分かります。最初の夜ばかりか、一時帰国中の住まいを見つけるまで、加藤家に滞在しています。 開原さんが「最初の夢を結んだ」芝の家は、後に関東大震災で全焼。短期間の避難生活後に同じ地に家を建てました。母が結婚するまで住んでいたのもこの家です。アメリカから引き揚げ後しばらくは横濱にいたと聞いていましたが、すでにこの時は東京住まい。従兄弟も「え!そんなに早くから芝にいたの」と驚いていました。 この本の存在を少なくとも10年前に知っていればなあと、残念でなりません。10年前の母は「母が語る20世紀」を語っていた頃ですから、クリアでした。開原さんを覚えてないのは当然としても(なんせ3歳)、大好きな父親の若いころの様子を知っただけでも、大喜びしたと思います。今でも母がいちばん口にするのが“加藤英重”なんです。 母の姉の「明子」の名付け親が開原さんだったことも、本に書いてあります。これを知った従兄弟は「ジイサンはお袋が生まれた時に、女の子なのでガッカリして、名前をつけなかったと聞いているよ。代わりに開原さんが付けてくれたんだね。お袋に読ませたかったなあ」。その3に続きます。 反論・同感どちらも歓迎。声を聞かせてください→。 次(カリフォルニア大学の図書館3)へ ブツブツひとりごとトップへ ホームへ |