北欧の旅 11
ストックホルム


2006年7月8日(土)−11日目

スエーデンのストックホルムの市内観光の続きを書いている。まずヴァーサ号博物館へ行った。1628年の処女航海で、わずか数百b進んだ時に沈没した船を展示してある。

 グスタフ・アドルフ2世が4隻作らせたうちのひとつだが、ヴァーサ号だけは設計ミスだったらしい。これ以外の船は戦いで破損したので、現存はこの船だけ。沈没のおかげで、こうして1600年代の船を見物できる。何が幸いするかわからないものだ。発見されたのは1960年代。沈没した場所ぐらいわかりそうなものだが、とにかく300年も海底にいた。海温が低いのと塩分が少ないので、虫食いもなくきれいな形で発掘された。発掘したときは1bの泥が覆っていたという。

 次は1923年建築の市庁舎へ。言わずと知れたノーベル賞授賞式後の晩餐会が開かれるところ。前回、前々回の受賞者も招待されるそうだ。30b×50bの広い部屋・青の間が晩餐会の会場だ。メダルの部屋、市議会室、100のアーチの部屋、ゴブラン織りの部屋、メーラレン湖の絵の部屋、黄金の部屋などいずれも見事。市庁舎というより宮殿みたいな建物である。

1628年の処女航海で沈んだヴァーサ号 ノーベル賞授与式晩餐会が行われる市庁舎 ノーベル賞晩餐会の部屋・青の間

 

 次は旧市街にある王宮へ。1523年から王宮として利用しているが、608室もある。国王一家は郊外に住み、国王はここに出勤する。ちょうど鼓笛隊がどこからともなく現れ、王宮の前で儀式をやっていた。

 昼食後のフリータイムで旧市街をぶらぶら。旧市街は1600年代からの街並みで、土産物屋、レストラン、オープンカフェが軒を連ねる。

3時ころからドロットニングホルム宮殿へ。1991年に世界遺産。国王一家の住まいでもあるが、私達も庭や建物に入ることができる。開かれた王室なのだろう。北のベルサイユと言われるが、内部は大理石に似せて色づけされた石やだまし絵があり、さほど豪華とは思えなかった。ガイドの案内で、宮殿内の部屋を見て歩くのは、なぜか疲れる。ほとんどの人が飽き飽きした表情を見せているが、ガイドは手を抜くわけにはいかないので、一生懸命説明している。

 庭はたしかにベルサイユ宮殿に似ているような気がする。宮殿の前庭だけでなく、奥まで広がっている庭園がきれいだった。

 この国の王室には、ドイツやフランスの血も混じっている。ヨーロッパではこんなことは当たり前のことのようだ。そういえば、イギリスのエリザベス女王の夫もギリシャ人だ。

国王が執務する王宮・鼓笛隊の行列 ストックホルムの旧市街 国王一家の宮殿・庭はベルサイユ宮殿に似ている

 宮殿からの帰り道、ガイドの中村さんが福祉国家スエーデンの実情を話してくれた。ノルウェー、フィンランドを聞いたので、スエーデンも知りたいと思い、私が頼んだ。

○   品物には25%の税金が含まれている。給料の35%ぐらいが地方税。地方によって税率は多少異なる。

○   義務教育(7歳から16歳)は無料。高校大学も授業料は無料だが、教材費は自分で払う。7歳から16歳までの子どもに対し、1ヶ月に約1万円の育児手当が出る。

○   勤め人が病気になっても、日給の75%が支給される。

○   住宅手当は子どもの人数によって異なる。

○   高速道路は無料

○   7年生から成績表が渡されるが、それまでは成績表はない。高校入試も大学入試もない。徴兵制があるので、大学に入る前に入隊する人もいれば働く人もいる。勉強する気になったときに大学に入れるので、ストックホルム大学の平均年齢は30歳ぐらい。成績表こそが諸悪の根元だと思っている私には、こういう国があることに勇気を得た。成績表を上げるための仕事をしていた私だからこその実感である。

夕方5時ころホテルに着いたが、郊外なので街の散歩はできなかった。食事もホテル内。中村さんの話では「日本のツアーでストックホルムに泊まるのは、ごく少数です。ほとんどが素通りですよ」と言っていたが、私達が見学したのも博物館と宮殿だけだから素通りのようなものだ。せめて市街地のホテルだったら、何かを感じることが出来るのに残念だ。<ストックホルムのクラリオンホテル泊>(2007年8月16日 記)

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