北欧4カ国の旅
<2006年6月28日〜7月12日>
★ 世界一住みやすい国ノルウェー
★ オスロ市内
★ ハダゲンフィヨルドとソグネフィヨルド
★ ベルゲンへ
★ アルタの岩絵
★ ノールカップでの白夜
★ フィンランド入国
★ サンタクロース村
★ ヘルシンキ
★ シリアラインでストックホルムへ
★ ストックホルム
★ コペンハーゲン その1
★ コペンハーゲン その2


北欧4カ国の旅 1
世界一住みやすい国ノルウェー

2006年6月28日(水)-1日目

 久しぶりに、きれいで安全といわれる国を旅することになった。ロシアに行く計画を立てていたが、1ヶ月前にツアーキャンセルになり、急遽選んだのが北欧である。夫は出張で何度か行っているが、私は初めてだ。

 参加者は、夫婦9組、友人同士2組の22名。1人参加がいないツアーも珍しいけれど、夫婦がこんなに多いのも珍しい。世界遺産をすでに200ヶ所以上見たがすべて制覇したい、2週間前にクロアチアから帰ってきた、次はドナウ川に鯉を釣りに行くなど、旅にかける情熱がすごい方ばかり。言わずと知れたことであるが、60歳代がほとんどである。

 成田発(10時40分)→オーストリア航空で ウイーン着(16時) オスロ行きの飛行機が遅れて ウイーン発(20時50分)→オスロ着(23時15分)   いつものごとく、家を出てからオスロのホテルまで丸1日かかっている。

北欧4ヶ国の地図 左地図のように、ノルウェー→フィンランド→スウェーデン→デンマークの順に4ヶ国を15日間でめぐる。北欧を旅する人は多いが、北極圏まで行く人は少ないらしい。それだけに、北極圏が楽しみだ。

 オスロの緯度は北緯60度。東京の35度強と比べると、60度がいかに高緯度か。夜の11時過ぎでも、ほのかに明るい。1日目にして「白夜の国に来た!」ことを実感した。空港で待っていたガイドのタミさん(ノルウェー人と結婚している日本人)は、「この時期は、完全に暗くなることはありません」と話していた。           
<オスロのTHON HOTEL 泊>

  

6月29日(木)-2日目

 長時間のフライトにもかかわらず、朝9時にはオスロ市内の観光に出発。ガイドは、やはりノルウェー人を夫に持つジュンコさん。今回のガイドは、みな現地に住む日本人だった。
 モノリッテン
 ジュンコさんは、観光の合間に何度もノルウェーの住みやすさを語った。国家予算の何倍もの石油が、北海油田からとれることもその背景にある。国連で調べた「世界1住みやすい国」に連続5年選ばれたそうだ。

 清潔で安全で災害が少ない。オスロ市の75%が森、5%が湖で、自然が豊かである。緯度が高い割には、暖流が流れているので暖かい。収入の45%から50%を税金として収めるが、ヨットや別荘を持っている人が多く、税金貧乏になることはない。

 学費は小学校から大学まで無料、医療費は無料。夏休みの費用は、おさめた税金の10%が振り込まれる。納めた額によって、年金も決まる。給料の低い人は、年金までもが低くなる。なんだか救いがないようにも思えるが、皆は満足しているのだろうか。もっといろいろな人の意見を聞いてみたいものだ。

 まず郊外のフログネル公園へ。24時間オープンの32平方キロもある広い公園。夏の日差しが強い日だったが、菩提樹が木陰を作っていて気持ちがいい。
お この公園のみどころは、彫刻家ヴィーゲラン(1943年没)が20年以上かけて作った200以上の彫刻。ひとつの彫刻に何人もが絡み合っているので、650体以上の人間が刻まれているそうだ。

 650体すべてを見たわけではないが、楽しそうな顔は少ない。苦悩する顔、怒っている姿ばかりだ。高さ17bあるモノリッテン(左上写真の塔)にも、121体の人間が重なり合っているが、一番下は人間の重みで死んでいる。いずれにせよ、ヴィーゲランは、作品の解説を拒否したので、真意はわからない。

 いちばんの人気者は、人造湖の橋欄干に立っている「怒りんぼう」(左)。1992年に、持ち去られてしまったことがある。今は元に戻っているが、コペンハーゲンの人魚姫と同じく、人気者はいつなんどき何をされるかわからない。



スキージャンプ台 次は、公園から近いホルメンコーレンのスキージャンプ台へ。ジャンプ台の森とオスロフィヨルドが一体になっている絶景地(左)だ。ここのジャンプ台は、1952年のオスロオリンピックで使われた。ジャンプ台の頂上に立つのは初めてだが、雪がなくても身震いした。高見から見ると傾斜がきつくて長い。

 ノルウェーのオリンピックと言えば、1994年のリレハンメルを思い出す。ノルウェーが2度も冬季オリンピックを開催していることに驚いたが、日本とて札幌と長野で開いている。ノルディックスキー本場での2度の開催は、驚くにあたらない。

オーセルベルグ船 次に訪れたのは、ヴァイキング船博物館。ヴァイキングは、800年から1000年頃に、ヨーロッパから北米まで遠征して侵略を繰り返していた集団である。野蛮な行為が語られることが多いが、高度な造船技術を持つ優秀な航海士でもあった。様々な文化を自国に持ち帰る役目も果たしている。デンマーク、ノルウェー、スエーデンを拠点にしていた。

 オーセルベルグ船(左)、テーネ船、ゴークスタ船の3艘のヴァイキング船が展示してあった。

船の発掘 オーセルベルク船は、1904年に発掘された(左)。800年代に50年間使用した女王の船で、女王が亡くなった後に棺として使い、土の中に埋められたものだ。 

 樫の木で作られた船は、ほとんど破損せず、腐りもせず、美しいシルエットや彫刻を見せている。この船を見ると、ヴァイキングの文化は高かったとしか思えない。 

 ちなみに、テーブルに並べられた数々の食事を、好みで自由に食べる形式をヴァイキングと言うが、このヴァイキングとはなんの関係もない。帝国ホテルの村上氏が、北欧でのこの食事形式を気に入り、日本でも広めようとした。何かインパクトがある呼び名にしたいと、「北欧と言えばヴァイキング」ということで命名したらしい。最近は、ビュッフェスタイルと言われることが多くなった。(2007年4月2日 記)

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