北欧の旅 5
アルタの岩絵

2006年7月3日(月)-6日目

 昨日は、北緯60度のオスロから北緯70度のトロムソまで一気に飛んできた。飛行場があるぐらいだから、もう少し大きい町を想像していたが、トロムソの人口は58,000人。これでも北極圏最大の町だ。

 アムンゼンの銅像をきのう車窓から見ていたので、朝食前に写真を撮りに行った。北極探検で有名なアムンゼンだが、この町との関係はわからない。

今日はバスでひたすらフィヨルド沿いを北上することになっている。トロムソは島にあるので、本土に戻るには橋を渡らねばならない。1960年に出来た立派な橋で本土に渡った。

 出発する頃から降り始めた雨は、強くなったり、小やみになったり。一日中太陽は見えなかった。

フェリー乗り場

 これ以後の道は、フィヨルドが入り込んでいるので、フェリーに2度乗った。橋を架けるのはお金がかかりすぎるのだろう。こうやって、乗り継いでいくのは情緒があるが、フェリー乗り場(左)には人影すらない。

 最初のフェリーはブレンセイディット港からスレンドブまで20分。次のフェリーは、リングセイド港からオルデルターレンまで40分。

 車窓の両側には、白樺の林が延々と続く。木の葉の緑、白樺の幹、カラフルな三角屋根の家。ノルウェー5日目ともなると見なれた光景だが、あまりに美しいので見入ってしまう。


HARUKOの部屋 昼食をとったホテルで無料でパソが使えた。無料パソは、オスロについで3回目だが、驚いたことに、私のHP(左)も文字化けしていない。北緯70度以上の小さな町だけに、感激してしまった。この小さなホテルで、日本語ソフトを使う人などいるのだろうか。

 今日の宿泊地アルタに着いた。アルタには、世界初のオーロラ観測所があったが、「岩絵」が世界遺産に指定されると、観光の町になった。オスロから飛行便もある。

 「岩絵」は、1972年に遊んでいた少年達によって発見された。発見は新しいが、描かれたのは紀元前9000年から紀元前7200年ぐらいと古い。

アルタの岩絵岩絵 アルタ博物館周辺には4000もの岩絵があり、博物館の敷地だけでも2000ぐらいある。氷河期が12,000年前に終了すると、海面が上がり陸も隆起した。海からの高さや絵の描き方によって、時代を考察している。


 博物館のガイドと一緒に、6000年から7000年前の石器時代の岩絵を見学した。トナカイ・ムース・クジラ・ボート・人々(上)が描いてあった。絵が見やすいためと保存のために、溝に赤いペンキが塗ってある。世界遺産に加工してもよいものだろうか。

「岩絵の発見者は、なにかご褒美をもらったのですか」と聞いてみた。「いいえ、名誉だけですよ」。西安の兵馬俑発見者は、サインするために座っていて、チップなどもらっている。つい比較してしまった。

 デザインがすばらしいので、岩絵デザインの商品をいくつかを買いたかったが、荷物を増やしたくないことを思い出して、絵はがきと小さな壁掛けを買った。売店の若者が流暢な英語を話すので、「英語は何年生からやるの」と聞いたら「小学校の2年生」と言うことだった。

 ホテルのとなりに、大きなショッピングセンターがあったので、中に入ってみた。人口が16,000人の割には物が豊富だった。 <アルタのリカホテル泊>

74日(火)-7日目 

 きのうに続き、今日も雨模様。15日間で、今日こそ晴れてくれなければ困る日である。ノールカップの「沈まぬ太陽」「真夜中の太陽」を見に行くのだ。太陽が出ていなければ、このキャッチフレーズは死語でしかない。   

宿泊したアルタのホテル近くに、鮭が遡上するアルタ川があった。しかし、個人で鮭釣りのライセンスを取るのは非常に面倒なうえに、2日間で日本円にすると50万円もかかるらしい。50万円を出して、鮭釣りをする人の顔がみたい。

 11時頃、食事予定のホテルに着いたので、土産物屋で暇つぶし。セーターなど全てが高いから、買う気が起きないのは幸いだ。

ホニングスボーグ バスは更に北上する。家もまばらな漁村は、天気が悪いので、ますます寂しげに見える。13時40分にノールカップトンネルを通った。ヨーロッパ最北端の岬・ノールカップは、ノルウェーの本土ではなく、マーゲロイ島という島にある。トンネルが出来るまでは、1時間もかけてフェリーで渡っていたが、1999年に海底トンネル開通後は10分に短縮した。しかし料金は高い。10分で、ひとり1000円ぐらいの負担になるそうだ。

 ホニングスヴォーグ北欧の旅1の地図参照)のホテルに着いたのは、2時過ぎ。ホニングスヴォーグは人口3,500人の小さな漁港(左)だが、ノールカップを目指す人たちが立ち寄る町でもある。


日本のおかき 今日は夜中まで起きているので、早めに到着ということらしいが、学生の時に泊まったユースホステルより、もっとひどい。

こんなホテルにいても不愉快になるばかりだし、雨も上がったので町を散策。といっても、町の両端に、博物館や教会があるだけだが、歩けばそれなりに収穫はあるものだ。立ち寄ったスーパーマーケットに、JapanMixとして日本の「おかき」(左)が置いてあった。ヨーロッパ最北端の島にある町で、おかきを売っているとは。

 もうひとつの収穫は、この町が第2次大戦中にドイツから爆撃を受けたことを、教会のそばにある慰霊碑を読んで知った。こんな最果ての辺鄙な場所をなぜ爆撃しだのだろうと、そのときは思った。

帰国後に調べたら、ホニングスヴォーグはドイツ軍の基地だった。ソ連の基地ムルマンスクを監視するための重要な基点だったとのこと。地図を見るとわかるが、ホニングスヴォーグとムルマンスクは近い。なぜ破壊したかということになる。不凍港ホニングスヴォーグが敵の連合軍に渡ると、連合軍のソ連に対する軍事援助が容易になる。そのために、撤退する時に破壊しつくしたそうだ。爆撃理由はさまざまだが、やられる住民はたまったものではない。(2007年6月2日 記)


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