北欧の旅 7 2006年7月5日(水)−8日目 ノルウェーの旅が終わり、北欧2番目の訪問国フィンランドの旅が始まった。夕方4時半頃に、イナリ湖畔にあるイナリ(北欧の旅1の地図参照)という小さい町に到着。 ノルウェーでも土産物を売っているサーメ人(左)を見かけたが、顔の色が違うわけでもなし、私には見分けがつかない。フィンランドだけで3部族、6000名ほどのサーメ人がいるという。 「サーメ人はサーメ人としか結婚できないのですか」と博物館の説明員に聞いてみた。「そんなことありませんよ」「それでは、サーメ人とフィンランド人をどう区別するのですか」とつっこみ。「少しでもサーメ人の血が混じっていれば、サーメ人として認定されるんです。サーメ人だからと差別されることもないし、サーメ人は保護されているので、認定されることを選択する人が多いのです」が、答えだった。 7時ころ、サーリセリカのホテルに到着。ウルフ・ケッコネン国立公園に隣接しているリゾートホテルだ。冬でもオーロラや犬ぞりやカントリースキーを楽しむ人が訪れるので、1年中営業している。 朝食前に、国立公園まで行ってトナカイの群れを探したが、そうそうはこちらの希望通りにいかないものだ。1頭も見かけなかった。 10時半にホテルを出発。相変わらず、バスの両側にはトウヒ、白樺、赤松の林が続く。広告の看板がないので清々しい。昼食を挟んでロバニエミに着くまでずっとこんな風景だった。 午後4時ころ、ラップランド州の州都ロバニエミ到着。ラップランドは、スカンディナヴィア半島の北部のほぼ北極圏にある地方を指す。フィンランドの面積の3分の1は、ラップランドである。 ロバニエミの人口は5万人にすぎないが、ガイドの加藤さんを含め、日本人が3人も住んでいる。加藤さんはデザインでも勉強しているのかと思ったが「いいえ。ラップランドが好きなだけです。オーロラのときに日本人をガイドしています。夏は暇なんですよ」と言っていた。世界のあちこちで、自由に羽ばたいている日本人女性に出会う。私たちが若い頃はあり得なかった職業の選択が出来て羨ましい。 フィンランドは1917年に独立したが、第2次世界大戦の時には、無理矢理日独伊3国同盟に入れさせられ、ラップランドをドイツの基地に提供していた。ロシアがフィンランドに和平を申し込んできたので、ドイツ軍は撤退。撤退時にロバニエミを破壊した行為は、ホニングスヴォーグの爆撃と共通する。 破壊後に建設されたビルは、みな斬新で垢抜けしている。図書館(1965年)、隣接する劇場(1975年)、市役所(1988年)の3つのビルは、フィンランドの建築家のアルバール・アールトの作品。「文化の光を起こす」をテーマに、光がとりこみやすい屋根など工夫をこらしている。 ロバニエミ教会(左)も、1950年に再建されたもの。重厚さには欠けるが、1000名が収容できる内部は清々しい。フィンランドの国教はキリスト教ルーテル派で、この教会もルーテル派。宗教改革を行ったマルチン・ルターに共鳴する信徒の教会だ。新教だけあり、けばけばしくさえ思えるカソリックの祭壇とは、まったく趣が違った。 |