北欧の旅 8
サンタクロース村

2006年7月6日(木)−9日目

サンタ村フィンランドのロバニエミの続きを書いている。最大の見どころは、サンタクロース村(左)である。サンタ村といっても、クリスマスグッズのショップ・レストラン・郵便局があるだけで、サンタが村の中を歩いているわけではない。サンタのオフィスに入場しなければサンタに会えないし写真も撮れない。ここのサンタは、プレゼントを配るころか、金稼ぎに一生懸命なのだ。

 ツアー仲間には、お金を払ってまでサンタに会おうとする酔狂な人はいなかった。でも、子どもや孫を連れていたら事情は一変しただろう。クリスマスシーズンは、子ども達の歓声が響くそうだ。

フィンランドは1927年に、「ラップランド東部の丘をサンタクロースの正式な住居」と宣言した。これにはじまり、フィンランド・デンマーク・スエーデンの3国で本家争いをしていたが、最近はフィンランドが一歩抜け出した。

 先日トルコに行ったときに、サンタクロースは聖ニコラスがモデルだと聞いた。聖ニコラスは、4世紀にトルコ南部の地中海に面したデムレという町に実在したキリスト教の聖人。娘を身売りしようとしていた家の煙突に金貨を投げ入れるなど、困っている人を救った。デムレには、聖ニコラスの聖堂があり、モザイク画や祭壇が残っているそうだ。こうなると、北欧のどの国もサンタには関係ないということになる。

私たちが知っているサンタクロース像は、トルコでも北欧でもなく、実はアメリカによって作り上げられたことがわかった。1822年にムーアというアメリカの神学校教授が次のような詩を書いた。「イブの夜、トナカイが曳くソリに乗ったおじいさんが、背中の袋いっぱいのおもちゃをかかえて煙突から暖炉を抜けて飛び出した……」。

 それまでの「ロバにまたがり善行を積む聖ニコラウス」が、「トナカイに乗って空を飛ぶサンタクロース」に変身してしまった。どちらが受けがいいかは言うまでもない。威厳あるトルコの守護聖人ニコラウスは、陽気なサンタクロースに定着してしまった。こうなると、トナカイのいる北欧を故郷としないわけにはいかなくなった。

 このイメージに拍車をかけたのが、1930年代にコカ・コーラ社が広告に使ったサンタクロースのイラスト。白い髭、赤い服、えくぼのある人間味あふれるおじいさんとして描かれた。写真で見るサンタ村にいるたくさんのサンタもこのキャラクターにそっくりだ。

アメリカのイメージ戦略の勝利と言えるかもしれない。史実までも変えてしまったのだから。これでかなりの外貨を稼いでいるフィンランドにとって、アメリカはサマサマだろう

郵便局の職員サンタ郵便

 サンタ村の郵便局は大混雑だった。赤ずくめの職員がてきぱきと働いていたので、「写真写していい?」と聞いたらおすまししてくれた(右)。

 黄色と赤の2種のポストがあり、ひとつはクリスマス用の赤いポスト。フィンランド語、英語、ドイツ語、スペイン語、フランス語、ロシア語、中国語、ロシア語、そして日本語の9ヶ国語(左)に対応している。やはりというか、本家争いをしたデンマークやスエーデンの旗はなかった。

クリスマスに届くように2通申し込んだところ、12月初旬にサンタからの手紙が届いた。当然だが、印刷された文章だった

北極圏の境界線

 サンタ村のもうひとつの見どころは、北緯66°32′35″の白線(左)。これ以北を北極圏という。

 そばに日本語でも説明(左下)がついていた。「北極圏とは、夏には少なくとも1日以上太陽が沈まない地帯。同様に冬には少なくとも1日は太陽が昇らない地帯をいう」

北極圏の説明 ロバニエミでは、11月中旬から1月下旬にかけて、まったく太陽が出ないそうだ。「1日中、真っ暗って経験したことないのですが、どんな感じ?」とガイドの加藤さんに聞いてみた。「来ていただくのが一番ですが、10時から2時ぐらいまでは、ほんのり明るいですよ。わずかに視界はあります」。1日中、太陽が顔を出している季節もあれば、まったく太陽が出ない季節もある。人生観も変わるだろう。季節を敏感に表す文学は生まれにくいような気がするが、どうだろう。

加藤さんがフィンランドの福祉事情を少し話してくれた。「ノルウェーと同じく26%〜36%は税金でとられますが、夏休みは6週間もあるし、バカンスの費用が出ます」。でもまったく問題がないわけではない。「ラップランド20万の人口で病院はひとつ。外科医は3人しかいないから、足の怪我をしたときに、ずいぶん待たされました。病気になると、まず健康センターに行き、緊急かどうか判断されてしまいます」。

 フィンランド全体で約520万人と、人口が少ないこともあるだろうが、人件費は非常に高い。7時以降や日曜は倍の給料を出さねばならない。食事がビュッフェ形式なのも、もともとは人件費の節約からだという。そのせいかどうか、サンタ村では到着後間もなく6時には夕食を摂らされた。昼食が1時過ぎだったので、もっと遅いほうがいいのだが、従業員の都合が第1で、私たちのお腹の都合は2の次だ。

ロバニエミ駅

今日はホテルに泊まらず、寝台車に乗る。サンタクロースエクスプレスという名前だけは夢のあるロバニエミからヘルシンキまでの列車だ。

 左写真でRovaniemiという駅名と8時15分の時計をご覧いただきたい。まだ青空である。

 出発は9時10分だったが、もちろん明るいので、寝る頃にはカーテンをしっかり閉めた。2等寝台だから立派ではないが、鍵のかかる個室だし、中に小さな洗面台もあるからまあまあだ。他の人に気を使わなくてすむので、2人だけの個室はありがたい。
<サンタクロースエクスプレス泊>(2007年7月2日 記)

感想・要望をどうぞ→
北欧の旅1へ
次(ヘルシンキ)へ
ホームへ