北欧の旅 9
 ヘルシンキ

2006年7月7日(金)−10日目

 定刻の8時40分にヘルシンキ駅に到着した。列車での移動は、重いスーツケースを乗せたり降ろしたりが大変だが、仲間が協力し合ってスムーズにいった。ロバニエミはフィンランドの北部、ヘルシンキは南部。だからフィンランドの中央地帯は見ていない。白夜だから起きていれば景色は見えるが、それでは身体がもたない。

 駅で迎えてくれたヘルシンキのガイドも、日本人女性の桜庭さん。誰からも聞かれるらしく自分から「福岡出身です」と自己紹介した。9時ころ市内観光に出発。北欧のどこも同じだが、清潔な感じがする街だ。電柱が少ないのは、美観のためと、風が強いので倒壊を防ぐため。洗濯物も外に干してはいけない条例がある。雪は20aから30aぐらい降るが、-25度にもなるので、年間10万人から30万人が滑って、病院の世話になるという。寒いので、窓のガラスは2重・3重になっている。

1952年開催のオリンピックスタジアム 作曲家・シベリウスのモニュメントがあるシベリウス公園 岩をくり抜いて作ったモダンなテンペリアウキオ教会 マーケット広場では手編みの帽子なども売っている

まずオリンピックスタジアムへ行った。1952年開催の戦後初めて日本が参加したヘルシンキオリンピックである。小学生だった私は、このオリンピックをよく覚えている。ラジオから流れた実況の雑音まで思い出す。これまでの海外旅行で、ずいぶんオリンピック競技場を見学した。後々まで集客力があるとしたら、オリンピック開催の経済効果は、計り知れないのかもしれない。日本を訪れる外国人も国立競技場に行くのだろうか。

 次はシベリウス公園へ。フィンランドの作曲家・シベリウスのモニュメントがある。600本のパイプで作られたステンレス製のモニュメントだ。シベリウスの銅像ならぬステンレス像があった。顔のまわりを囲んでいるモヤモヤは、作曲中の考えを示しているとか。

 お犬サマ専用の公園が83もあり、町で管理や掃除をしている。その代わり、犬税を年に50ユーロ支払わねばならない。聞き忘れたが、人間用の公園はもっと多いだろう。

 次のスポットは、1969年完成のテンペリアウキオ教会。岩盤をダイナマイトでくり抜いて作ったモダンな造りだ。だから外も中も岩だらけ。教会の地下は核シェルターになっている。「斬新なこの教会で結婚式をあげたがるカップルは多いんですよ。でも、フィンランドの離婚率は52%です」と、桜庭さんはこのギャップをシニカルに話した。

教会税として、ルーテル派とロシア正教徒は給料の1〜1.5%払うという。桜庭さんは仏教徒なので払っていない。そういえばロバニエミの加藤さんも払っていないと話していた。

 港に面したマーケット広場を自由散策。夕方乗船するシリアラインのセレナーデ号が、優雅が姿で寄港している。市場では、魚・野菜・果物以外に、雑貨や手編みのセーターなども売っているが、北欧は露店といえども安くはない。珍しい物では、白樺の枝で作った背中たたき。サウナで使うという。含まれるサトニンが垢を落とす役目をする。

白亜の大聖堂とロシアのアレキサンドル2世像 ヘルシンキ中央駅。寝台車でここに着いた スオメンリンナ要塞。中世の格好をした案内人がいる ロシア正教のウスペンスキー教会

 次は大聖堂と元老院広場へ。大聖堂はルーテル派の大本山で1852年に完成した白亜の教会。柱はコリント式。テンペリアウキオ教会と違って、ギリシャローマ時代を彷彿とさせる教会だ。元老院広場には、ロシアの皇帝アレクサンドル2世像がそびえている。圧政をしなかったとはいえ、支配されていた国王の像がヘルシンキの中央広場にある。ノルウェーのオスロの王宮広場にも、スエーデン王の銅像があった。こうなると、「国家って何なのだろう」と思ってしまう。

 ヘルシンキ中央駅の前にあるレストランで昼食。寝台車で着いた時には、ゆっくり見る余裕がなかったが、歴史を感じる立派な駅だ。

 午後は、フェリーに乗ってスオメンリンナ要塞へ向かった。固い御影石で作られた要塞は役目が終わったあとでも雰囲気があり、中世の服装をした案内人もいる。退任間近の小泉首相が、会議前に訪れたことをテレビで紹介していた。桜庭さんが、「今年はフィンランドがEUの議長国なので、ヘルシンキで会議がたびたび開かれます」と言っていた。ちなみに、北欧4ヶ国でEUに加盟しているのはフィンランドだけである。

 当時フィンランドを統治していたスエーデン王のフレデリック1世が、ロシアからの攻撃に備えて1772年に作った要塞。結局、1808年にロシアのアレクサンドル1世により陥落してしまった。だからフィンランドは、スエーデンに続きロシアにも支配されていた。フィンランド人が乃木将軍と戦ったことがあるのも、日露戦争のころ、ロシアに支配されていたからだ。独立したのは1917年。

 フェリーでしか渡れない観光の島だが、今でもここに900人が住んでいる。ヘルシンキ市内から海底トンネルも通っていて、いざという時に使えるし、家賃が安い。でも冬の寒さはヘルシンキどころではないそうだ。 

シリアラインの乗船までに少し時間があったので、ロシア正教のウスペンスキー教会へ行った。重厚な外観の立派な教会だ。内部のイコン画も見事。フィンランドのロシア正教徒はわずか1%だというが、この信者数で支えているのだろうか。ロシアには、ウスペンスキーと名のつく教会がたくさんあるらしい。ロシア語で、聖母マリアのこと。フランスのノートルダム教会、ポルトガルのノッサセニョーラ教会も、みな聖母マリア教会を意味する。
(2007年7月16日 記)

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