インドの旅11(最終回
 ジャイプール

2008年11月18日(火)-11日目

インドの旅も大詰め。今日と明日のジャイプールインドの旅1の地図参照)観光でほぼ終わる。「・・プールというのは、ヒンズー教の町です。・・バードはイスラムの町です」と、観光3日目頃に聞いた。だからジャイプールは、ヒンズー教の王が作った都だ。

アンベール城 アンベール城の象 アンベール城のモザイク模様
長い城壁で囲まれているアンベール城。 観光用の象が城内にもたくさんいる。 モザイクの装飾がきれいなガネーシャ門。

まずジャイプールから北東11`にあるアンベール城へ。ムガール帝国に果敢に戦いを挑んだラージプート族のサワイ・マン・シンによって1586年に建設がはじまった。その後1727年まで建設は続いた。城は山の上にある。麓からみると万里の長城のように城壁が長く連なっている大きな城だ。麓から城までは「象のタクシー」がある。象のタクシーは混んでいるので私たちはジープで行った。象が列をなして坂を上るさまは、観光用でなければもっといい絵になるのにと、勝手なことを考えた。

城壁は無骨だが、いったん中に入ると優雅で繊細な空間が広がっている。太陽門・獅子門・ガネーシャ門・月門などいくつかの入り口がある。ガネーシャ門は世界でもっとも美しいと言われる門で、壁面のモザイク装飾がまばゆい。壁と天井に鏡がはめこんである部屋、モザイクで飾られた部屋、レース状の葉の装飾がしてある大理石の部屋などどれも豪華だった。夏の宮殿には水を流して涼しく、冬の宮殿には鏡を多用して暖かくするなどの工夫もこらされている。

石を運んでいる女性達この城の見学でいちばん印象に残ったのは、豪華な門でもない、きらびやかな部屋でもない、眼下に見下ろす湖でもない、象のタクシーでもない、コブラ使いでもない。

 城内の工事中の廃石を運んでいる女性達の姿だった。頭の上に容器を載せ工事現場から出た石を集積場所に運び、帰りは空の容器で戻ってくる。それを何度も何度も繰り返している。台車で運べば一瞬で終わる仕事を、何人ものいい歳をした女性がこなしているのだ。

 退屈ではないのか、「もうちょっと工夫しようよ」の声は上がらないか。こんな単純作業ばかりしていたら、私なら気が狂ってしまいそうだ。こういった底辺の労働に就くのはアンタッチャブルだと聞いている。でも彼女らのサリーは、薄汚れていないし、色の組み合わせもセンスがよくてほれぼれしてしまう。彼女たちの本心を聞いてみたい。

サリーといえば、私はインドを訪れるまで、サリーを着ている人がこれほど多いとは思わなかった。もう少し活動的なパンジャビスーツを着ている人もいるが、圧倒的にサリーが多い。

 シャルマさんの奥さんは家にいるときはパンジャビスーツ、外出のときはサリーだという。ターコイズブルーやショッキングピンクなど、日本人なら敬遠する色でも褐色の肌にあう。5〜6人固まっていても、ひとつとして同じ色合いはない。労働している人でも個性的な色合いのものを着ていてよく似合う。ほとんどの人はイヤリングやネックレスをつけ、身の回りに気を配っていることがわかる。

ジャイプールの市内に戻りシティ・パレスへ。ジャイプールの旧市街の町並みはピンク色で統一されているので、ピンクシティとも呼ばれる。たしかに旧市街に入る門もピンク地に白い模様が施されている。シティ・パレスは、サワイ・ジャイ・シン2世が1726年に作った7階建ての宮殿。高台のアンベール城から平地に移しての宮殿である。彼の名前ジャイをとってこの町がジャイプールと名付けられた。

今でもマハラジャが住んでいて一部は博物館になっている。博物館で目を引くのは、銀製の大きな壺だ。エドワード7世の戴冠式に出たマハラジャが、ガンジス河の水をイギリスまで運ばせて沐浴した壺だという。イギリスの支配下にあったマハラジャでさえも、こんな贅沢が出来たことに驚く。

シティ・パレス シティ・パレス ラジャスターン・ダンス
シティ・パレス シティ・パレスにいるインド人はなかなかオシャレ。 壺を頭に乗せて踊るラジャスターン・ダンス。

マハラジャがいるときは、シティ・パレスに旗が掲げられる。在城を知らせる旗は世界のあちこちで見たが、エリザベス女王やロシアの大統領などよく知られた人物だ。今のマハラジャにそんな権限はあるのだろうか。

イギリスの植民地時代には、500人以上いたマハラジャの身分が剥奪されることはなかった。独立後は政府に領土を返上したが、かわりに莫大な年金を受け取っている。だから今でも豪勢な生活をしている。日本の江戸時代の藩主達は、戦前こそ優遇されていたが、戦後はまったく優遇されていない。インドも思い切ってマハラジャの年金を切ってしまえばいいのに。

シティ・パレスに隣接している天文観測所ジャンタル・マンタルに行った。ジャイプールの町を築いたジャイ・シン2世は天文学に造詣が深かった。皇帝の許しを得て5ヵ所に天文台を作った。このジャイプールのは観測儀の数も多く立派だという。ここで日本人の男女の若者に会った。たまたまどこかで一緒になったとか、友人ではないらしい。インドは若い女の子が一人旅をしても危険を感じない国だと話していた。彼らとインド情報を交換していたので、天文台の説明はほとんど聞いていなかった。

ホテルに戻り昼食。再集合まで自由時間だったが、ホテルでのんびり過ごした。ピンクシティを歩き回れば良かったなと今になって残念な気持ちが沸いてくる。

6時半にホテルを出て、豪華ホテルでのラジャスターン・ダンスを見に行った。この宮殿ホテルは、スイートをあてがわれた宮殿ホテルより格が上だ。ロビーにいる従業員の態度がまるで違う。ジャイプールはラジャスターン州の州都なので、ラジャスターン・ダンスは州の民族舞踊。金属製の壺を数個頭に乗せてクルクルまわる踊りだった。ラジャスターン州は砂漠が多いので、貴重な水を入れる壺が踊りに使われる。夕食は、ずっと格下のホテルの屋上でとった。どうせならダンスを見たホテルで食べたかった。        
                                   <ジャイプールのクラークス・アメール泊>

11月19日(水)・20日(木)−12日目・13日目

 風の宮殿

 今日は、ニューデリーまで移動して、夜の便で日本に帰ることになっている。最後の見学場所・風の宮殿を8時半ころに見学した。道路の反対側にある建物の屋上から眺めた宮殿は、朝日があたりピンク色が輝いていた。宮廷の女性達は自由に町を闊歩できないので、町を眺められるようにと窓が道路側に向いている宮殿だ。薄っぺらな宮殿で、奥行きは感じられない。イスラムの宮廷に使える女性たちと大奥の女性たち。もし選ばれてもなりたくないものだ。このワイドな写真は旅仲間のTさんからいただいた。

市場 一路バスでニューデリーへ。遅い昼食をとったあとに、マーケットでフリータイム。ことあるごとに「スーパーマーケットか市場に連れて行って」とシャルマさんに頼んでいたが、最後にようやく実現した。こここそ庶民の顔が見える。

 ホテルの売店の品物の定価はあってないようなものだが、ここのはきちんと値段がついていて、絶対にまけない。まけさせる交渉は苦手だから、この方がいい。

 今まで見たスカーフやストールは高すぎる。日本円で1万円以上のものもあるし、1000円ぐらいだと安っぽい。でもここの市場では5枚も買ってしまった。いちばん安いのは50ルピー(左)。100円ちょっとだ。インドの平均月収を考えたら、100円ちょっとが適正価格だと思う。その100円ストールの評判がいい。みんなが「ステキね」と言うので、自慢げに「100円だ」とホントのことを話している。

 19日22時30分 ニューデリーのインディラガンジー空港発→エアインディアで20日9時 成田着

                                                (2010年9月16日 記)

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