イエメンの旅

2009年2月22日(日)〜3月6日(金)

カタールのドーハ
世界最古の摩天楼都市
サナアの旧市街
サナアから東部のサユーンへ
シバームの旧市街
南イエメンの首都だったアデンへ
第3の都市・タイズへ
コーヒーの積み出し港だったモカ
紅海沿岸の町や村
大統領のモスク


イエメンの旅1
 カタールのドーハ

2009年2月22日(日)−1日目

 イエメン1ヵ国だけを巡る旅に参加したが、飛行機の都合で、半日だけカタールを観光することになった。
22時5分羽田発→ANAで23時22分関空着 23日関空0時20分発→カタール航空で6時37分カタールのドーハ着(カタールとの時差は6時間なので12時間のフライト)

ANAの札幌と関空を結ぶ便が遅れたうえに機体故障というダブルパンチで、羽田発が1時間45分遅れた。乗り継ぎ便のカタール航空が待っていてくれたのでなんら不都合はなく、ドーハ到着が30分遅れただけだった。でもANAは、遅延代として5000円をくれた。棚からぼた餅は、幸先良い旅を予感させた。

5つ星の航空会社と言われるUAEのエミレーツ航空には、ヨルダンに行った時に乗ったことがある。同じ中東のカタール航空も5つ星と言われるだけあり、室内や設備は数ヶ月前に乗ったエアインディアより格段上、2回の機内食(左)もエコノミーにしては美味しかった。

カタール航空の日本人キャビンアテンダントは「機長はカタール人が多いですが、乗務員は60ヵ国からなる外国籍です。私は、カタール人のキャビンアテンダントと乗り合わせた事はないですよ」と話していた。ナショナルフラッグなのに、乗務員のほとんどは外国人なのだ。国家ってなんだろう?

2月23日(月)−2日目

 イエメンのサナア行き飛行機の出発までに10時間もあるので、カタールに入国。カタールは、ペルシャ湾に面しているアラビア半島の産油国。半日の滞在だが、30ドルのビザ代がかかる。金持ちの国がビザ代をとるなど、さもしいのではないかと思うが、だからといってカタールを見ないのはもったいない。

 到着後すぐ、朝の7時半ころから観光が始まった。ガイドは、ラッツさんという日本語を話すネパール人。そもそもカタールという国には、純粋のカタール人は20%ほどしか住んでいないという。インド・ネパール・パキスタンなど周辺の貧しい国からの出稼ぎ者が80%を占める。国家ってなんだろうの疑問が又わいてきた。外務省のサイトにはカタールの人口は145万人と載っているが、このうち何人がカタール人だとは記載されていない。国籍を取っている出稼ぎ者がどの程度いるものやら。

ドーハの悲劇のサッカー場のゴール ラクダ市 野菜の市場
「ドーハの悲劇」のサッカー場のゴール。 ラクダ市。1頭の値段は幅がある。 砂漠の国にしては野菜が豊富だが、ほとんどが輸入品。

まず見学したのは、「ドーハの悲劇」のサッカー場。私がドーハという名前を知っているのは、このドーハの悲劇があったからで、そうでなかったら似ている名前のドバイとの違いもわからなかったろう。

 1993年の日本とイラクの対戦で、勝てば初のワールドカップ出場が決まるという試合。あろうことか、ロスタイムにイラクに同点ゴールされてしまった。ラモスやカズやゴンが、芝生に悄然と座り込んだ姿が忘れられない。これをドーハの悲劇という。芝も良くないし、14000人しか収容できない小さいサッカー場だが、日本のサッカーを語るとき、必ず出てくるドーハだ。

次はラクダ市場へ。白はスーダン、黒はサウジ、茶はカタールのラクダ。1頭の値段は500ドルから2000ドル。ずいぶん幅があるものだ。次に行ったのは野菜と果物市場。日本では見かけないような野菜も積み上げられているが、ほとんどが輸入品だという。

アジア大会のモニュメント 馬のトレーニングセンター カタール人
2006年のアジア大会のモニュメント 馬のトレーニングセンター 乗馬クラブでくつろいでいるカタール人

次の訪問は2006年にアジア大会を開催したカリファ競技場。わずか3年前のアジア大会を私は覚えていないが、アラブ諸国で開いた初のアジア大会だ。あか抜けしたモニュメントもあり、施設も立派。オイルマネーがあればこそである。

車窓から中東のCNNで呼ばれるアルジャジーラが見えた。アルジャジーラは9.11以降に有名になった放送局だが、ドーハにあるとは知らなかった。前首相が私財をはたいて作った放送局。

次は乗馬クラブへ。白っぽいアラブ種とヨーロッパ種が300頭もいて、水槽に入るなどトレーニングしていた。アラブの金持ちの競走馬になるのだろうか。ウィークデーの午前中だというのに、時間を持てあましていそうなカタール人がソファに座って談笑していた。

次は博物館に行くという。数人が「もっと市民の生活が分かる所に行きたい」とつぶやいた。添乗員のDさんが「皆さんの意見を聞いて見ましょう」と多数決をとった。博物館希望者は少なかったので、シティセンターのショッピングセンターに行った。

スケート場 水煙草を吸っているカタール人 道路掃除をしているインド人
ショッピングセンターにはスケート場がある。2人しか滑っていなかった。 スークのカタール人。昼間から水煙草を楽しんでいる。 スーク内が清潔なのはこうした専門のインド人などの掃除人がいる。


 日本の総合ショッピングセンターに似ている非常に立派な施設。スーパーマーケットには、日本で買えるような物は全て揃っているように思えた。黒いヒジャーブを被った女性の買い物に、アジア人のメイドが付き添っている。「重い荷物はお持ちしましょう」ということだ。ショッピングセンターの娯楽施設には、映画館や人工のスケートリンクもあった。子供2人しか滑っていなかったが、年がら年中暑い国に、スケートリンクを作る余裕がこの国にはある。

そのあとはお定まりのスークへ。これまで訪れたイスラムのスークは隊商宿や宮殿を改造したもので歴史を感じさせたが、50年前に出来た施設を10年前に修理をしているこのスークは、新しすぎて面白くない。午前中ということもあるが、人もまばらで道路にゴミ1つ落ちていない。インド人がゴミ集めパトロールをしていた。カタールの清潔さは、こうした外国人によって保たれている。

清潔といえば、カタールの男性は白い胴衣に赤白チェックのスカーフを頭から被っているが、胴衣の白さが半端ではない。糊とプレスが効いた白さは、エリートサラリーマンのYシャツを思えばいいが、上から下まで白さと清潔さを保っているのは、日に2度ぐらい衣替えをするのかもしれない。メイドが洗濯とプレスをやっているのだろう。奴隷制と同じようなものだと思う。

ペルシャ湾男性の白い胴衣と対照的に、女性のほとんどは顔も目もすっぽり隠す黒いヒジャーブを被っている。イスラムの国を10ヵ国以上訪れているが、アラビア半島の国は初めてだ。

 戒律にもっとも厳しいのはメッカがあるサウジアラビアだと聞いているが、カタールやイエメンも、女性はすっぽり顔を隠さねばならないらしい。観光客も酒は飲めない。下戸の私はこれはどうでもいいが、顔をすっぽりは困るなと思ったが、観光客の服装は自由だった。

スークの次にペルシャ湾に面した港(左)を見学。クルーズ船が横付けしていた。近くには大統領官邸や政府の建物があるというが、靄がかかっていてよく分からない。海と空の区別もはっきりしない。ガイドのラッツ君は「砂嵐です。2月や3月は砂嵐の季節なんです」と話していた。

昼食は、後で振り返るといちばん美味しかった。前菜5種にチキンや羊肉のグリル。中でも丸くて膨らんだパン(左)の香ばしさは2度と味わえないもので、ツアーの仲間と「あれが最高」と意見が一致した。

「地球の歩き方」にはもっとも退屈な町ドーハと出ている。わくわくするような観光スポットはなかったが、これから訪れるイエメンとの比較の意味でも、価値ある半日だった。なにしろカタールのひとりあたりのGNPは49,047ドル(2007年)、次に訪れるイエメンはひとりあたり760ドル(2006年)。いすれも外務省サイトに載っている数字だが、同じアラビア半島の国でありながら、石油開発が進んでいるか否かで65倍も経済力が違うのだ。(2010年10月2日 記)


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