インドの旅2 2008年11月9日(日)-2日目 ムンバイの港から小さな船に乗って、エレファント島に行った。ポルトガル人が上陸したときに象の石像があったので、エレファンタ島と呼んでいた。こともあろうに、ポルトガル人は象の石像を射撃の標的にしていたので、今はなくなってしまった。 観光の島だけあり、露店の土産物屋がたくさん並んでいた。水瓶を頭に乗せた女性たちは旅情をかきたてられるが、カメラを向けるとお金を要求される。後ろ姿しか撮れなかった。
インド全体には約1200もの石窟があり、その75%が仏教、20%がヒンズー教、5%がジャイナ教の石窟。エレファンタ島の7つの石窟は、どれも6〜8世紀のヒンズー教の寺院。
ここのヒンズー寺院でシヴァ神の説明を聞いても、インド人の80%以上に根付いているヒンズー教がどういうものか皆目わからなかった。インドは釈迦が生まれた国、タージマハルに代表されるように、いっときはイスラム教が勢力を持っていた国。それらを押しのけてヒンズー教が根付いているのはなぜだろう? ツーリストが案内されるのは、世界遺産など有名な寺ばかり。覚える気さえ失うほど、ヒンズー教にはたくさんの神がいる。その神々の彫刻を説明されても、胸に迫ってこなかった。わずか10日ぐらいの旅で、何かを知ろうなどは無理なのだが、ヒンズー教は、キリスト教やイスラム教のように基礎知識もないのでなおさらだ。 もし外国人が、奈良や京都の世界遺産の寺、東大寺・法隆寺・金閣寺・清水寺・竜安寺などを見ても仏教がわからないと思う。そこには、墓参りする日本人の姿もなければ、熱心に祈る日本人の姿などない。おおむねどこの世界遺産でも、現代人の息吹が感じられない。だからこそ遺産なのだなあと改めて思う。 昼食はムンバイ市内でビュッフェ。これ以後ほとんどがビュッフェだから良かった。 インドに行くにあたっていちばん心配したのが、食べ物と水だ。「生のサラダは食べるな、カットしたフルーツは食べるな、ペットボトル以外の水は飲むな」と、いろいろな人からくどいほど言われた。妹は「ペットボトルも危ないから、日本から持って行った方がいい」と忠告してくれた。インドに飛ぶこともあるパイロットの義弟情報では、JALのクルーでさえ、お腹を壊すという。 日本からペットボトルを持ち込むなど20`制限の荷物で出来っこない。水は腹をくくって現地のペットボトルを飲んだが、大好きなサラダやフレッシュジュースは、1度も口にしなかった。そのおかげかどうか、結局、ツアーの仲間で下痢に苦しんだ人はいなかった。不思議に思うのだが、父母は1973年にインドに行っている。父が丁寧なアルバムを残しているが、体調を崩した記述はない。当時はペットボトルなどない時代だ。彼らは何を飲んでいたのだろう。 ついでにインドで出た食事を書いておく。ビュッフェに並んでいるのは、もちろんカレーが多いが、私が小さい頃になじんだジャガイモごろごろのカレーではない。豆・オクラ・茄子などベジタリアン用のものもあれば、羊肉や鶏肉が入ったものもある。総じて日本のカレーより水っぽいが、辛さはさほどでもない。香辛料でお腹がやられるという話も聞いているが、日本人の口にもあうと思う。 ナンと呼ばれる厚いパンや、チャパティと言われる薄いパンがとても美味しい。タンドリーチキンは日本でもおなじみだが、インドで食べても口にあう。タンドルという窯で焼くのでその名がある。ヨーグルトが好きな私はどこに行ってもヨーグルトを探しているが、素朴な味で妙に加工してないのがいい。 昼食後、プリンスオブウェールズ博物館を見学。プリンスオブウェールズはジョージ5世のことだが、インド門と同じく彼が来印したときに博物館としてオープンしたそうだ。外観も内部も重厚で、大英帝国はかくあったのだと誇示しているようだ。
この博物館は細密画のコレクションが有名だが、細密画は細密だけに見ていて疲れるので、旅行中の鑑賞には相応しくない。ヒンズーや仏教の彫刻や財閥タタが収集した絵や陶磁器なども見応えがあった。 ムンバイはインドでいちばん多い1800万人が住み、経済発展もめざましい。インド税収の3割はムンバイ関連で占めると説明をきいた。裏腹にアジアでもっとも大きいスラム街がある。大都会に出てきた若者は村に帰らないので増加するばかり。私達は経済発展の具体的なものも、スラム街も目にすることなくムンバイを去る。 ムンバイ発(19時20分)→キングフィッシャーの飛行機で→アウランガーバード空港着(20時20分) 意外や意外、3時間遅れなど当たり前を覚悟していたが、定刻だった。キングフィッシャーというビール会社も経営している民間の航空会社。民間の方がいいのは、いずこも同じかもしれない。 <アウランガーバードのアジャンタ・アンバサダー泊> (2010年5月2日 記)
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